壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

初鰹

2009年05月15日 23時05分07秒 | Weblog
          かまくらにて
        目には青葉山ほととぎす初鰹     素 堂

 この句ほど有名で、しかも間違えられる句はあるまい。
 「俳句は五・七・五」というイメージがあるのか、「目には青葉」を「目に青葉」と、「は」を抜かして憶えていらっしゃる方が多い。
 また、作者を芭蕉と思い込んでおられる方も多いのではなかろうか。いや、句だけは知っているが、作者名は……という方が多いのかもしれない。

 夏の句で、季語は、「青葉」「ほととぎす」「初鰹」である。いまは「一句に季語は一つ」とかなり厳しく指導されるが、江戸時代は、それほどやかましくは言われなかったようだ。
 この句、季語が三つあるが、現代人の眼から見れば、本当の?季語は、下五にデンと坐っている「初鰹」であろう。しかも前書きに「かまくらにて」とある。
 回遊魚の鰹は、三~四月ごろに薩摩・土佐・紀州を通り、青葉のころに伊豆や湘南付近に上ってくる。その身がしまった鰹は、初物好きの江戸っ子の大好物であった。
 当時は、舟上でさばかれ、舟べりに結びつけ海水に浸しながら運んだ。この塩味のついた鰹を砂糖と醤油のたれに漬け込み、からしを薬味にして食べた。
 江戸っ子は、高いゼニを出しても走りの鰹を食うことを誇りとしていた。おもに鎌倉・小田原あたりで釣ったものが、珍重されたという。

 一見、この句は名詞を羅列したにすぎない句であり、「青葉」と「ほととぎす」は王朝以来の、いわば陳腐な取り合わせでもある。
 では、なぜこれほど人口に膾炙しているのか。
 初五の字余りが効いている、と思うのだが、どうであろう。「目には青葉」と大きく張るリズムが、「山ほととぎす初鰹」と一気によみおろして、生きのいい初鰹が尾を光らせて躍る。とりまく江戸っ子たちが、気前よく財布の底をはたく。
 前書きの「かまくらにて」は、『徒然草』の
   「鎌倉の海に鰹といふ魚はかの境にはさうなきものにて、
    このごろ人のもてなすものなり」
 によっている。
 この句はやはり、一息によみ下ろす句調の、思いがけない下五のイメージが、鮮やかな印象を残す。都市の育てた談林俳諧がとらえた、いわゆる「元禄文化」の世相である。川柳子の好題材になったのも無理はない。
        目と耳はいいが口には銭がいり
        目と山と耳と口との名句なり   (『柳樽』)
 なるほど、目・口・耳と取り合わせたところに、作者の得意があったのかも知れない。

        鎌倉を生きて出でけん初鰹     芭 蕉
        初鰹観世太夫がはし居かな     蕪 村
        芝浦や初松魚より夜が明る     一 茶

 江戸の三大俳人といわれる、芭蕉・蕪村・一茶の初鰹(松魚もカツオと読む)の句を揚げてみたが、素堂の句と比べてどう思われるだろうか。


      聴きに行く三社祭の江戸囃子     季 己