壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

虚実の関係

2009年05月07日 23時11分02秒 | Weblog
        馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな     芭 蕉

 この句は一般に、天和三年(1683)夏の、甲斐流寓中の作とされている。しかし推敲過程を辿ってゆくと、その最終的な成立は、もう少し下るのではないか。それはともかくとして、推敲過程にある句を列挙してみる。

   1 夏馬(かば)の遅行我を絵に見る心かな  (『一葉集』連句の部)
        甲斐の郡内といふ処に到る途中の苦吟
   2 夏馬ぼくぼく我を絵に見るこころかな   (同 発句の部)
   3 馬ぼくぼく我を絵にみん夏野かな    (真蹟短冊)
   4 馬ぼくぼく我をゑに見る夏野かな     (『水の友』)

 ここに一貫してうかがわれる芭蕉の気持は、自分の旅姿を絵として見ようとする虚構化の意志である。
 少なくとも1から3までは、それが顕著に感じられるが、4になると事情がやや異なる。
 4には、画賛として、
   「笠着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境(さかひ)より出でて、何を
    むさぼり歩(あり)くにや。このぬしの言へる、是(これ)は予が旅
    の姿を写せりとかや。さればこそ三界流浪の桃尻、落ちて過ちするこ
    となかれ」
 と前書きされている。これによれば、芭蕉は、自分の旅姿を写した絵を見て興じているように思える。
 以前に、自分の旅姿(実)を絵(虚)として見ようとした意志は消え、絵(実)の中に自分の旅姿(虚)を見ている。
 このように1から3までと、4との間では、虚実の関係が逆転する。

 芭蕉が、自分の旅姿を絵画化しようと思い立ったのは、野晒紀行の旅中の貞享二年(1685)三、四月の、尾張滞在中かと思われる。このとき書かれた巴丈亭画賛の「小夜の中山」の句文が、後の『野晒紀行』に発展し、最終的に長大な画巻として完成することは、よく知られているところである。

 「馬ぼくぼく」は、芭蕉の師ともいうべき北村季吟の「一僕とぼくぼくありく花見かな」が、心にあった発想であろう。
 「ぼくぼく」は、童謡にある「お馬の親子はなかよしこよし、いつでもいっしょにぽっくりぽっくり歩く」の「ぽっくりぽっくり」で、ゆっくり歩くさま。
 前書きの「桃尻」は、尻が安定しない意。季語は「夏野」で夏。

   「この広々とした夏野を、馬にゆられて、馬の歩みのままにぽっくり
    ぽっくりと進んでゆく。この夏野の中の我が姿を、一幅の絵として
    心に眺めてみると、なかなか面白いものである」


      竹皮を脱ぐや夕日のたはむれて     季 己