しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

天気が悪い

2006年02月28日 18時59分54秒 | こっち
 雪でも降って来そうである。天気が悪いと機嫌が悪い、訳ではないが、気分がよくない。居心地が悪いのだ。何がと言う訳ではないが、嫌~な気分だ。
 こんな時は、何か起きるかもしれない。予言ではない。戯言だが・・・。

 書くべきネタが無い訳ではない。

 こんな時「何かが邪魔してる」という言い方をする。
 今は、書くべきではないのか、必然性が無いのか、何かだろう。

 と言う事で、全く関係の無い事を・・・。

 向島に、隅田川七福神がある。本来は、松の内に廻る物だが、一度だけ夏に行ったことがある。道順は当然の事ながら、何処にビールの販売機、灰皿があるかまで、お馴染みのコースである。
 途中にある百花園、冬には見られない草花や木々に見とれて、見番通りの薬局でキンカンを買い込む事になった。カモの短パンは、蚊を呼ぶ。
 酒も呑むが甘党でもある自分には、黍団子、草もち、言問い団子、桜餅などで一服しながら、吾妻橋たもとのアサヒビアホールが楽しみ。で終わるかと言うとさに在らず、橋を渡って電気ブラン、観音様をお参りして伝法院通りへ、そこで串カツとホッピー、仕上げに芋羊羹と餡子玉か八目鰻。だったりした。
 それも、ここ数年廻っていない。来年こそはと思っているが、末広がりの八順目、そして七艘目の宝船になる予定。

 合羽橋までは、結構出かけてるのだが、是は、つくばエクスプレスの開通が大きい。乗換えが少ないのは楽だ。(但し、煙草が吸えないのが辛くもある。が、東武線も同じである。)

 この閉塞状態は、何処かで発散せねばならん!
 早く、暖かくなれ~!そうだ!明日から渓流が解禁だ!餌はある。天然のブドウ虫を実家の甲州葡萄の枝降ろしの時に確保しておいた。今は、冷蔵庫の野菜室で冬眠中である。
 釣りだけではツマラン。酒も呑みたい、花見もしたい。うまい蕎麦も喰いたい!

 段々その気になってきた、是は邪魔が入らないようだ。気合入れるぞ~。

   今日の箴言
<落ち込んだ時は、出来そうに無くても、楽しかった事を思い出して、其れの実現に向けて、兎に角、動き出す事だ。不思議と気合が入って元気が出てくる。>

旅館と病院

2006年02月25日 19時03分53秒 | あっち
 良く出ると言われているパチンコやさんでも、なかなか儲けるのは大変だ。激熱リーチが掛かっても、ちょっとやそっとでは当たらない。そんな時良く使うのが
 「おばけ」と「あとで」は出たこと無い。

 そんな中で、良く聞くのが、旅館やホテル、そして病院と学校は良く出ると言う噂。まあ、一寸考えれば、不特定多数の人達が、継続的に出入りしている場所だと言う事、その人達の中には、もう亡くなっている人も居るだろう事がわかる。
 条件が、揃っているという事か。

 犬は人に付き、猫は家に付く、なんて言うが、この場合は憑くの字を使ってもよさそうだ。(逆だったらスイマセン)
 この言い方で行くと、生もの系は人に憑くし、縛られ系は場所や建物に憑きそうですな。厄介なのが浮遊系で、気に入られると憑いて来ちゃう事。

 確かに、その手の場所はあるし建物もある。が、普通に一般人の生活圏と重なっている場合は、さほど危ない事は無いのだが・・・。ある種の結界状態になっていると本当に危ない。怪しいどころの話ではなくなる。
 唯、単に出てくるだけなら、趣味の範囲で興味を持っても悪くは無いかもしれんが、興味本位での「ひやかし」は如何な物か。
 中には、人系では無い物もあるし、神様系は最高に危険でもある。

 座長と出掛けられるのも、自分が、平気で何処までも行ってしまえると言うのもある。尤も座長に言わせると「何か有った時でも、尚休ちゃんなら、連れ帰ってくれるから。」だそうだが・・・(体力優先とサバイバルか?)。

    今日の箴言
<怖いだけならまだいいが、不安が恐怖に変わり経験が危険に変わる事もある。>

気の廻し方

2006年02月24日 16時56分31秒 | 身体
 お待ちかね!でもないか。具体的な方法をひとつ。

 廻すという言い方をしているが、要は、自己の気のコントロールの事である。いかに操るか、そのやり方である。

 簡単なのは、誰かに(導師)にやって(導いて)もらう方法。

 これは、井戸掘りに喩えられる。地表に水が無い時に地下水を汲み上げる、アレである。穴(孔)を掘って導管を入れる。水圧が高ければそれだけで噴出すが、出てこなければ、呼び水を入れて水を上げる。普通は掘っただけでは水は出てこない、最初は呼び水を入れないと、強力なポンプを使っても難しい。
 此処で言う水を気に置き換えて考えていただきたい。

 廻すと言うからには循環なのだが、縦と横とに分けられる(便宜上)。

 縦は、頭から手足の先へ。横は、体から手へ。
 縦の場合、血液が中枢の心臓から出て各器官から手足の末梢まで行って、又心臓に還って来る様なもの、始まりが頭なだけ。
 横の場合は、心臓から肺に、そして心臓に帰るようなもの。

 この喩えでも解るように、一種の呼吸と考えてもらえれば良い。外呼吸と内呼吸である。

 実は、この、呼吸が、秘訣なのである。

 呼吸とは息をする事であるが、息は生きに通じ、意気でもある。
 呼吸は、読んで字の如しで、呼び出して吸うものであるが、普通は吸って吐いての繰り返しだと思われている。が、違う!
 体内の悪気を吐き出し、外の良気を取り込むのである。この場合は気を酸素と置き換えて考えてもらいたい。外呼吸は酸素と二酸化炭素を肺で交換し、内呼吸は血液で酸素と二酸化炭素を交換している。

 はい!では、実践! はいて~! すって~! はいて~! すって~!

 で、どうやる?基本は、腹式呼吸である。横になると(寝ると)易しい。

 お腹を凹まして(横隔膜を上げる)息を吐き切る。字としては掃き切る感じ。後は自然に息が入ってくるが、さらにお腹を膨らまして(横隔膜を下ろして)深く吸い込む。
 本来は。吸い込んだ時点で呼吸を止め、取り込んだ気を廻らせるのであるが、慣れないと貧血状態になるので注意!(そのまま落ちるのも気持ちいいが・・・)

 息は意気なので、イメージにより観想するのである。
 呼吸により取り込まれた気が身体の中を廻るイメージである。
 溜まった気が、頭から始まり体幹から手足の先に流れる。そして頭に戻り呼吸によって外に出され、又、新たな気が入ってくるイメージ。これが、縦の廻り。
 溜まった気が、体幹から左手に流れ、そのまま右手に廻る。これが横の廻りだが、横の廻りは手に気を溜めたまま繰り返し、手に溜めた気を増幅して、「手当て」に使う事が出来る。のだが、素人は自分だけに使う事。他人への施術は危険だから。
 
 気の廻し方は、呼吸と観想である。解る人は解るはずである。

「秘するが花、言いおうせて何かある」世阿弥の言葉だが、特別に、秘密にする心算はない。が、しかし、言葉では言い尽くせないものがあるのも事実。
 「コツ」の様な物は在るには在るのだが、自分の表現力では、正確に伝えられないと思うし、物理的に如何こうと説明も出来かねるのである。悪しからず。

    今日の箴言
<要は気の持ちようである。己を知り、己を導き、操る事が肝心である。>導気法導師・尚休

 


予言と予知

2006年02月22日 17時37分58秒 | あいだ

 自分も、よく洒落でやるが、宗教的な意味合いでの予言とかはやらない。

 いつだったか、祭のオヒマチの後、流れて家で飲む事になった。
 その中に、自分と同じ髪型(?頭型か?)のシャザーンみたいな、髭の大男がいて、どんなに呑んでも酔っ払わないし二日酔いも無い!と豪語していた。
 ので、「今日は酔いまくる!」と予言。人差し指で孔を押して気を流してやった。
 暫くすると、トイレとお友達になってしまい、二人がかりで担いでいく羽目に。
 それ以来、彼は尚休教の信者になり、自分の事を怖がっている。

 これは、悪戯だったが、又、上さんが言い出してる。

 「近いうちに、地震か何か、大きな災害が来るかもしれない!」

 場所までは視ないが、良く当たる。動物と一緒で身体に変調をきたすので、その部位の変化で読んでいるようだ。

 予言ではないが、アドバイスはする。例えば、何事か予知して、其れに対して有効な対策が取れて事が免れたなら、予知は外れた事に成る。それで善いからアドバイスする。
 恐怖や不安を煽るためだけなら、無い方がいい。警告の意味を持ってのものなら、情報の中に含めてもよいと思うし活用すべきだと思う。

   今日の予言
<そのうち罰が当たる>   何処とは、誰とはいわないが。

   今日の箴言
<予言や予知は、其れを必要とするモノが存在するゆえに存在が必要とされる。>
 

 


小ネタ3

2006年02月21日 18時51分14秒 | あっち

 春になると、渓流釣りが解禁になる。最近はあまり出かけないが、以前はしょっちゅう、週に何回かは仕事サボって山に入っていた。その頃の話。

 若いのから上さんまで数人でわいわい出かけた時の事。
 その中に、訳ありで生ものに憑かれている奴がいた。

 岩魚が釣れるような所だから、人家や畑、田んぼなどは無い。有るのは滝と堰堤、植林された林くらいのもの。
 その滝は不動滝といい、落ち口の崖の上に、小ぶりのお不動様が鎮座している。
 滝の上で、冷やしていた飲み物を上流から流して遊んでいて取りはぐって滝つぼに落としてしまい、滝つぼを泳いで取りに行ったり(泳いだのは上さん、水泳のインストラクターだから)遊びながら、一人づつ記念写真を撮っていった。

 その時は、鍵を失くしたり、竿を折ったり、くらいで大したことは無かったのだが・・・後日、写真が出来上がってくると、奴の写真だけ、アレになっていた。

 同じ場所、同じアングル、時間も同じようなもの。なのに・・・
 出来上がりを一枚づつ見ていく。何枚目かで例の鳥肌が・・・
 バックは同じで人物だけが違う。林の後ろに上から左下に川が流れている。その真ん中に人物。

 奴の後ろ、木の間から川の流れの中まで・・・顔!顔!顔があっちにもこっちにも。うじゃ~!と言う表現が控えめに思えるくらい。

 他の写真は問題なし。生ものが呼んだようですな。最も不動滝で魚が釣れた例はない!という結界の場所ではあるんですがね。

   今日の箴言
<ついてるやつはなにをやってもつきまくる!その分周りは安心できる>

 


気の流れ

2006年02月18日 17時58分16秒 | 身体
 自分的には、気の流れと言っているが、考え方としては、東洋医学で謂う所の「気」と似ている。が、似ているだけ、と言うかその流れを汲んでいる。陰陽道の様なものだ。鍼灸の経穴にしても、日本とあちら側とでは違ってたりするし。

 「気」の流れは、当然、身体に対して使われるのだが、見えない。が診得るし観得る。

 空気は見えないが、風という形で流れ出せば認識出来るのと同じ。水も、湿気や水蒸気の状態では、感知しづらいが、凝縮し雲になり雨となれば目に見えるようになる。

 山に行って森の中に入ると、木々の間に道が観得る。道と言うより、人の通った跡や動物の通った跡が判ると言った方が良いかも。だから、迷う事は無い。

 山に樹があり川が流れる。日本の山は、険しいところが多いが、木々が茂り森となっている処が多い。樹は気に通じ、森は杜となり盛に通じる。
 山が険しい分、川も流れが急で激しい所が多く、滝も多い。滝は瀧で龍に、流は竜に通じたりする。
 水は、川から海へ流れ、蒸発によって空に上がり、風に運ばれ雲となり、雨となって大地や山に降り注ぐ。森は水を保持し、やがて水は、泉や清水として湧き出しその滴が集まり川となって流れ出す。その循環が四季折々の自然と同調する事によって、成り立っている。

 身体も同様に類推すれば、循環を繰り返しながら自然と、四季と同調しているものなのである。

 身体の中を流れる物と言えば、「血」とかリンパ液、体液などが有るが、「気」も、目で見えないだけで、流れているのである。
 気の流れを、水の流れに例えてみれば解り易いかも知れない。

 水は、基本的に高いところから低いところに流れる。
 流れ出した水は、川となり海に注ぐ。が、途中には、瀧のように流れ落ちることで空気と交わる事も有り、大地に滲み込み土と交わる事も有る。
 水が全て地下に潜り、水の無い川も有れば、止められた事により湖、沼となるものも在る。太く大きく集まる川もあれば、細く小さく分かれる川もある。川でなくとも用水や堀等もある。
 流れるから川であり、滞れば水は濁り最後には腐敗する。流れるからこそ浄化も期待できる。無理にとめれば洪水となり、止まってしまえば枯れる。

 気の流れは身体を廻るが、溢れたり滞ったりすれば、所謂、病気の状態となる。怪我をすると、逆に溢れたり滞ったりする。止まったり枯れたりはもう・・・。
 
 当然の事ながら、人(の持つ性)によって、流れ方は違う。
 ゆっくり流れる人もあれば、激しく流れる人も居る。問題なのは、その流れが地表にあって川になっていれば良いのだが、大概は、地下水脈として潜伏している、伏流水の状態になっている事なのだ。では、どうするか。

 その水を利用するためには、井戸を掘れば良いのである(所謂、穴を)。

   今日の箴言
<モノをみる時は、目で見るだけでは情報が足りない事を自覚すべきである。往々にして人は自分の目で見たものが全てであるかのような錯覚を起す。物事は、あらゆる感覚を持って観れば、見えない筈のモノも観得る。>

保険証の裏側に

2006年02月17日 16時58分55秒 | あいだ
 臓器提供の意思を確認出来るよう、専用の書き込み欄を付けるとか・・・。
 
 自分の個人的な意見を書く。過激かも・・・・・。

 本来、この世は必然であり、無駄、無意味、無用なモノは無い!そして、生あるものは滅びるが必然。此処で無と言ってよいかどうかは措いておく。
 無から生じた物は無に還る事が自然であり、存在の意義なり必要性がなくなったものは無に還るべきである。(この場合、意識や思念等が必要とされるのであれば残存或いは残留するだろうが。)

 例えば、自分の場合、廃物利用で移植されるとなった場合。移植された側に、自分(俺)の身体の一部としての存在価値が無ければ、自分のパーツは、無に帰ろうと色々な行動?に出るだろう。障るし祟るし、本来制御するべき意識が無いのだから暴れまわる事だろうと思う。これは怖い恐ろしい事だ。
 より客観的に観れば、廃物利用してまでの存在意義、価値があるのだろうか?と言う事。一神教的な物言いをするならば、神が創ったものは神の元に、土から出来たモノは土に還るのが本分なのである。

  今日の箴言
<我が身をもって救うべき命など、更々無し。ならば、新たに誕生し救うべし。その復活を邪魔せしモノ、呪い祟りて障るべし。>

 のろいを変換しようとすると消えてしまう。これは・・・・・

火焔太鼓

2006年02月15日 17時34分24秒 | あっち
 落語の話ではないが、世に二つという、雅楽で使っているようなあれである。 

 お祭で使う太鼓で、普通は胴長の革張りだが、これは、直径が胴長より大きく、胴の上に火焔の飾り(焔胞?)が付いている。大概は一対で、彩色が施されて脚の上に載っている。

 T県のU市役所に、この火焔太鼓が飾られている。(と思う、昔は在った。)
 元々は、市内のS町のもので、昔はどこの町内にも在る物だった。という事は、その祭は、現在は・・・残念ながら伝わっていない様だ。

 S町に代々続くMという名家がある。或る時そこの当主が熱を出し寝込んでしまった。
 十日ほどたった頃、本家の地元の物見御祓いの偉い先生(氏神社の老巫女?)が、何も言わないのに向うからやってきた。
 「拝んでいると、Mさんの処に何かが在って、表に出たがっている。何も無ければいいが、変わった事は無いか?」
 言われた家人は、吃驚して、医者に掛かっても良くならないことを話す。
 兎に角、障っている物を探そうという事になり、蔵を一つづつあたっていくと、桐箱の中にさらしで包まれた祭太鼓が入っていた。
 あちこち蟲に喰われ、飾り紐もぼろぼろに。
 先生と一緒に、さらしを換え、綺麗に掃除をしてやると、翌日には当主の熱も引き元に戻った。
 個人で修理、保管は大変だと悩んでいたのを、市役所に寄付するという事で、一件落着。現在の市役所での展示と相成った。
 後日、その話を聴いた他の町内も、寄付の申し込みに行ったが、予算が・・・と断られ「S町はうまい事やった」と言って居たそうな。

     今日の箴言
<触らぬ神に祟りなし。障らぬ神も祟りなし。障るほど、祟れるほどに力あれ。されば崇めん、奉らん。我に御力遣わしたまえ。>

今日は何の日?

2006年02月14日 21時36分35秒 | お莫迦ネタ
 世の中バレンタインデーとかで、騒がしい。

 他でも書いたが、甘党の自分としては、自前で調達せずに甘味が入手できるこの時期は、非常に嬉しい。
 しかも、戴ける人(くれる人)は、毎年ほぼ決まっているので、こちらの好みを把握して、それなりのモノが届く。今日も二品戴いた。{いや、先週の分とで全部で三品しか戴いていない。勿論!上さんからは、(仕事でケーキを作っているので、甘いものは・・・ということで、)戴けない。}

 今日も、仕事帰りに、買い物をしてきた。当然、甘味を調達すべくコーナーに向かったが、「今日は、沢山あるからよい事に」と、何も買わずに帰ってきてしまった。
 そして、戴き物の包みを開けると・・・純米吟醸原酒!も一つが、徳利とお猪口にチョコレートが2個!
 確かに嬉しい!流石に自分の好みを解ってるだけに、美味いし粋だ。・・・が、今!今日!欲しかったのは、甘いものだったのだー!!!
 
 今年に入ってから、頂き物に、お酒が多くなってきた。戴ける事に感謝し、ありがたく頂戴している。御蔭さまで(これも、死語に近いか?)現在まで、お酒を自前で調達しないで済んでいる。
 清酒3本、濁り酒1本、原酒1本、焼酎2本、ウォッカ1本、コニャック1本、ブランデー1本、(コニャとブランはアルマかも知れん、で、料理用なので調理中しか飲めない)というところである。あ!昨日、新聞屋さんからビール券も貰った。
 
 お酒を戴く時、「お世話になって」というのが殆どである。
 うーむ・・・。お世話してるのかー?感謝されるほどー?

 仕事では、それなりの対価を貰っている訳だから特別な感謝は要らないはずである。ならば、他で世話してる?・・・!あっちだ!

 先ずは、轍撰!お宮の御下がりを戴いてる。そして、あれ系のを施術してる(所謂サービスだな、お金貰ってないし)。
 と言うことは、此れもある種の報酬と考えて良いのだろう。

 とすると、自分は、それに見合うだけのことをしているのだろうか?自分としては、そんな大した事はしてないつもりなのだが・・・。

    今日の箴言
<自分で考えている“つもり”ほど、当てにならないものは無い。自分の評価は、人に任せるが良い。>
 

座長の昔の話

2006年02月12日 20時42分41秒 | 座長根太
 かなり前、自分が独身だった頃の話。

 今、稲川淳二と言うと、夏の「ミステリーナイトツアー」が、風物詩のように成っているが、そのツアーの開始以前に、「マジニナルミステリーナイト」という芝居があったのを、覚えておいでだろうか。または、ご存知だろうか。

 作、演出、監督、稲川淳二。という純粋ミステリーであった。当時、座長は、どちらかと言うと、お笑い芸人の顔が表に出ていて、本来の顔を出したかった様だ。西荻にお店を出したのも其の頃だと思う。

 役者選びから、舞台美術、大道具、小道具まで、座長本人が手作りで仕上げていた。其の拘りは、今も、シネマの監督として続いているが、当時も半端ではなく、よく怒鳴られた。自分は、当然、役者・・の訳も無く、一回目は効果、二回目は制作協力だった。

 一回目は、新宿で。二回目が九段近くの教育会館?か何かだったと思う。
 直接係わったのは二回目で、其の頃マネージャーが逆玉で婿さんに行ってしまい、マネージャーが居らずに、ゼネラルマネージャーは役者として舞台に立っていたはず。現在の鬼マネも役者として出ていた。カメラマンの先生がマネージャー代わりでいたが、先生も舞台のスチールやなにかで、現場は座長一人!なので、自分がマネージャーをしていた(肩書きはプランナーで)。

 当時の座長は、大阪でレギュラー、戻って緑山でドラマの撮影、他に単発、レギュラーなど等、終わって舞台に駆けつけ、ダメ出しと演出、指導。付き合う自分は、飛行機のなかで寝ていた。(チョンボも多かったのでチョンボの’と呼ばれていた。役名マリーという娘がかわいくてお気に入りだったので、打ち上げにその彼女と座長の車で二人で行ったら、座長たちは歩きで、皆を追い越していくのを、目撃され、「薄情だ、長い友情も、女の前では無いに等しい!」と・・・しかも、自分の結婚式のスピーチでも言われてしまった。)

 舞台が始まると、意見の相違で昔からのプロデューサーが、降りてしまった。(尤も、制作費の殆どは座長の個人資金で持ち出しのようになっていた筈だが。)そうなると、舞台はともかく、現場を仕切る人間がいない事態となった。現場も舞台も、両監督とも舞台に立っているのである。出演者を動かす訳に行かない。後は、自分だけが、総監督であり、脚本家であり、総合演出の座長との連絡が出来る唯一の暇人になってしまったのである。座長のスケジュールが全て消化し終わればマネージャーは、余裕で観劇を楽しめるはずだったのに、使い走りの雑用係と相成ったのである。

 座長は、そんな自分(私)を見るにつけ、「食べないと駄目だよ。体が持たないよ。」との優しい言葉と、座長の分のお弁当、空港の時間待ちのカレーライスとビール。人が太る心配をしているのを知っていて、又、「その腹、何とかしよう!」と言いつつ尚、「何食べる?若いんだから大丈夫!」と、空腹の時間が無いほどに“飯を喰わせて”くれたのである。座長の処にいた時は、一時たりとも“ひだるさ”は、感じたことが無い。この事は、今でも、感謝している。

 今現在、かなりな体型だが、「貫禄があっていいじゃない」と、言われている。

   今日の箴言
<人の欲を満たせる事が出来たなら、その欲が何であれ、自分を誇りに思っていい>
 
 
 
 

剃髪!

2006年02月11日 20時24分54秒 | 趣味
 先ほど、頭を剃った。今日は剃る日じゃないが、我慢していた。其の甲斐あってボウズだけは免れた。・・・が、一枚も見なかった。代わりに一杯は見た。甲羅長20cmはあろうかという毛蟹である。後は、カサゴっ子が一匹。

 上さんは、案の定、待ちの釣りから攻撃的積極釣法に転換した途端、パタパタとカサゴっ子を釣り上げ、自己の本性を再認識していた。おまけに、海鼠(なまこ)まで釣り上げていた。

 釣果はいずれにしても、そこそこの陽気と、きれいな水(しかも海水)いい空気、時折吹く穏やか・・ならざる風、青い空、白い雲、・・・あれ?
 地水火風空・木火土金水・・・合わないな?
 兎に角、釣とは、かくも自然と同調できるものなのである。

 早速、から揚げで、一杯。(本来ならば、平たい唐揚げだったはずなのにー。)

今日の箴言

2006年02月10日 18時12分03秒 | こっち
 やらなければならない事が重なっている場合、優先順位を付け対応するようにしている。してはいるのだが、時間に追われると、焦りが出てくる。
 あわてる必要が無いにも拘らず、気が急いて、後の事が考えられなくなってくる。そんな時こそ箴言でも読んで、心を落ち着かせるのが良かろう。だが、手元に無いし、自分の頭からも出てこなかったりする。
 箴言集というのを何冊か持っている。
 ニーチェだったりショーペンハウエルだったり、ちょっと違うが孫子だったり呉子だったりする。菜根譚は寄せ集めなので好きじゃない。六韜、三略などもある。
 <善や悪は神々の偏見だ!そういい捨てると、蛇は立去った>byニーチェ
 蛇は立たないけどね、是がお気に入りだったりする。にひひひひ・・・。

気と性

2006年02月08日 21時14分59秒 | 身体
 前回の気に関連して、「性」のネタ。「しょう」と読んでね。

 気で治すと言っても、自己の性が分かっているのといないのとでは、空回りや、無駄、下手すると悪影響、逆効果等が出てきかねない。

 そこで、自己の本質という意味で、性を使う。

 よく、性格分析とか、血液型占い等があるが、その様な物だと思えばいい。しかし、中身は似てはいるが別。似て非なるものである。
 クレッチマーにしても、ABOにしても、4種類。それに、内向外向、Rh等を組み合わせても8種類しかない。

 自分の場合、お手軽なので、陰陽五行を拝借している。(10種類じゃ2つしか多くねーじゃねーか!とかのツッコミは、止すように!)但し!形態を借りているだけで中国の其れとは違う!敢えて言えば、日本の陰陽道の其れだ!

 孫子の兵法に曰く。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。」前後に続くが省略。
 このように自己を認識することが先決なのである。

 ということで、自己分析である。

 方法としてお勧めは、「Oリングテスト」であるが、一人では出来ないのだな。で、個人で行う場合の確認の方法として、直立前屈が使える。立ったまま手を足先に出すように前に曲げていくアレである。

 自分に合う物、良い物を身に憑けて(敢えて憑けての字を使うが)やってみると、何も無い場合や駄目な場合と、伸び方曲がり方が違うのが確認できる。(U市の某M堂ん番店では、Oリングテストをやってくれる。わしの入知恵。)

 例えが良くないかもしれないが、自分に合った物を憑けると、火事場の莫迦力の様に、普段押さえられている、無意識層の力まで引き出せるのである。

 が、これは、相性が解るだけで、自己の本性が解る訳ではない。

 ご存知のように、陰陽は日月に対応し、五行は木・火・土・金・水に対応する。
・・・・・実は、分析用のアイテムが在るのだが・・自分の宣伝ぽくなるので・・
(暫く前までは、中目黒の、某お店に在ったのだが、知ってる人は聞いてみて!)
 取敢えず、此処では、自己分析のヒント及び配当のモデルだけ並べときます。

木:もく・き、火:か・ひ、土:ど・つち、金:ごん・きん、水:すい・みず
 この順番で、各性のモデルを列記していく

 色:青、赤、黄、白、黒
 時:春、夏、季(土用)、秋、冬
 方:東、南、中、西、北
 神:青龍、朱雀、勾騰(黄龍)、白虎、玄武
 人:仁、礼、信、義、智
 数:八、七、十、九、十六
 音:角、徴、宮、商、羽
 臓:肝、心、脾、肺、腎
 腑:胆、小腸、胃、大腸、膀胱
 主:筋、血、肌肉、皮、骨

 残りは後で、詳しく出しますが、字が出ません!
 ?:眼、舌、口、鼻、耳   ケツです。
 他に、星:卦:気:情:味等があるです。

    今日の箴言
 <本性を知らずとも今生を全う出来れば幸せかもしれない。しかし、本性を知っていた方が今生を全う出来る確立は高くなり、尚且つ、より幸せになれるだろう>
 
 
 

2006年02月07日 18時15分09秒 | 身体
 この時期、体調不良の人が多いようだ。自分もそうだった。

 普通、病気になったり怪我をしたりすると、治す為に薬を使ったり医者に行ったりする。

 大きな分類で「医」だと思うが、学術や者、家、療などを付けて使う事が多い。
 術について言えば、西洋と東洋に分けたりする。
 自分について言えば、日ノ本に住んでるし東洋系の流れを引いている。以下は、あくまでも、自分の考えである事をお断りしておく。

 気というのがある。
 病気の気である。そして、元気の気であり、気枯れの気でもある。
 気を遣う。気に入る。気分が悪い。気にする。気に病む。気をつける。気楽。気軽。短気。気の置けない。気狂い。などなど、の気である。自然治癒力の意味で使う事もある。
 ここで言う気は、中国のそれとは違う。気功の気では無い。似ては居るが。
 「病は気から」という場合、気が枯れたり、多すぎたり、中庸にない事で、影響が出ているということだ。気の流れが滞るなどとも言う。

 ならば、その気を、戻してやればいい。という考えだ。
 人には、持って生まれた気の強さがある。そして、鍛える事により強める事もある。(この場合は性格のことではない。)
 気を調整、又は強化することによって、自己の持つ自然治癒力を高め、病なり怪我なりを癒し治すことが出来る、という事。

 元来、日本には「手当て」という言葉があるように、意識するしないに拘らず自然に気を遣っていたのである。
 気が遣えなくなってきたのは、いつ頃からだろう。いや、遣わなくなって来たのは・・・。
 遣い方が解らなくなっているだけで、使えるはずである。

 方法は色々在るが、自分以外の力を借りるのが簡単だし、一般的で、気付かないうちに遣ってたりする。
 力を持つモノは、人間とは限らないし、動物とも植物とも限らない。気を持つ全ての物を指す。最も身近なのが「空気」だったりする。「香気」だったりする。
 「木気」「火気」「土気」「金気」「水気」「陽気」「陰気」だったりね。

 とりあえず、ヒントにはなったと思う。詳しく書くには難しいところもあって、おいおい。気楽に行きましょう。

     今日の箴言
 <気は、気より出で気に還る。気に病んで、気にするよりは、気楽に陽気に気を長く。>

 えへへ、気を使って書いたので、気疲れしちまった。
 

本日の料理

2006年02月05日 19時31分47秒 | お料理
 休みの日は、何か創造的な行動を(活動を?)することにしている。

 今日は、本当なら、つり用のクーラーボックスの改造をする予定だったのだが、お酒飲んでの、刃物扱いは、危険なので、来週廻しに・・・呑むなって!?

 と言いつつ気が付いた。料理をするのに、酒呑まんでどうする!調理中、酒飲みながらの包丁は?ナイフは?・・・今日は3本しか使ってないので・・・?

 一品目、昨夜からタレに漬け込んで置いたスペアリブ。網焼きの付け焼き。
 タレは、甘め。味醂・酒・コニャック・醤油・味噌・スパイス色々・塩・気合等を配合。

 二品目、先日、好評だったアップルパイ。林檎の皮をむいて、塩・砂糖・コニャック・無塩バター・レモン汁・シナモン・オールスパイス・水で煮込む。
 これはストーブ使用。市販の冷凍パイ生地を適当に切って挟んでオーブンに。

 三品目、カレー。肉は三種の浄肉の牛・豚・鶏のぶつ切りを、ビニール袋にいれ、カレーパウダーとガラムマサラをブレンドしたモノと各種スパイスを入れてよくまぶし、しばらく置いて、バターに大蒜で炒める。
 じゃが芋は別茹でし、肉を炒めた後のカレーオイルで炒めておく。切り落としの豚肉も、別炒めしておく。この二つは盛り付けの時点でトッピングする。
 玉葱、人参、ピーマン、パプリカ等、適当に切って炒める。
 炒めた肉と野菜をお酒で蒸らし煮込み、水を入れコンソメ・醤油・カレーソース・麺つゆの素・塩・各種スパイスで煮込む。この時点でかなり味は付いている。
 カレーパウダー・スパイスをホワイトソースを作ったところに合わせて炒めルーにする。
 野菜が煮えたら牛乳を加える。苦味や渋みが牛乳と結びついて、灰汁のようになるが、気にせずにルーを加えて煮込む。当然、市販のカレールー固形も使う。
 それでも量が多すぎてユルイ。・・・トマトケチャップ入れ忘れた。

     今日の箴言
<人の評価がどんなに良くても、自分が気に入らなければ、失敗だと考えた方が次に繋がる>