しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

2月3日は

2008年01月30日 16時53分26秒 | こよみ
 節分であります。
 読んで字の如しで、節を分ける日であります。
 と言う事は、土用と同様に、四季毎に四回あった訳であります。
 が、暦には立春の前日、大寒から15日目のこの日だけが記されて居ります。
 占いとか、産まれ年干支を見る場合は、この日が基準であります。

 まあ、是は立春正月、翌日から年の始めで、冬から春になると言う事であります。
 故に、この日は一年の最後であり、本来の大晦日であり、邪気を祓い、幸せを願う色々な行事が行なわれてきた来た訳であります。

 当然、御馴染の八幡様も、節分祭が行なわれます。
 追儺の鬼遣や豆撒き的なものではないようですが、取り敢えず行きます。
 冬の薬師寺散策も、この日が最後でありますから。

とある町で

2008年01月26日 15時48分42秒 | 降臨・お告げ系
 喫茶店に入った。こういう店も久し振りである。
 学生の頃は、行きつけの店に入り浸りであったが。

 ランチセットのハンバーグステーキが来る間に、新聞を読み始めた。

 可也のローカル紙のようで、外猫が3匹もご飯を食べに来ている、とか、狸が暫く顔を出さないだのと、ほのぼのと言うか何と言うか、余程ニュースが無いんだろうと思わせる、平和を絵に描いたような紙面であった。
 が・・・・

 お悔やみ欄に、病名は無く・・

 惨、絞、扼、薬、撲、刺、銃、等の文字が・・・・・・・・。

しとりごと

2008年01月22日 22時18分56秒 | あいだ
 普段の移動は、手段としてバイクである。
 4輪と比べて、外界の情報の認識率が多いように思われる。

 で、何時もの事ではあるのだが、テリトリーの中に古墳が多い事に気が行った。

 考古学的なものでは有るが、現在の、所謂、天皇陵が発掘調査を拒まれていた主な理由が、「現に祭祀が行われている。」という事であった。

 そう!考古遺物では非ず、祭祀施設(遺物に非ず)なのである。

 と言う事は、神社の一形態として捉えたいところである。
 現に、陵墓(含む参考地)には鳥居が存在するし、ちょっとした古墳には、上に神社があったり、ズバリ!そのものの名前が付けられて居たりする。
 大概は、塚であるとか山であるとかが名付られているが、(愛宕・山王・三王・摩利支天なんてのもある。)形態と祭祀の関係であろう。

 殆どの古墳は、考古的遺跡と成り果てて居るが、本来の意義と原初の偉力を、保って(残ってに非ず)機能しているモノも存在しているのである。

 場合によっては、形骸・名跡のみに為っていながらも尚、力を失っていないモノも・・・少なからず存在している。

  久々の    今日の箴言
<モノが知りたければ、常と変わらぬ見方だけでは、其の情報は不十分となり、一つならず多角的な接触が不可避である。が、其の見方は、同じ階梯、同じ平面上では、意味を成さない場合が殆どである。>

お寒うございます。

2008年01月18日 16時21分52秒 | お莫迦ネタ
 先日の誕生日で、大台に乗ってしまいました尚休です。

 その日は、夜になって雪が降り出し、翌日の朝には、家の北側は真っ白!

 案の定、凍った路面を濡れていると勘違いした大台は、見事に転倒しました。

 と、いうことで・・・右肩~上腕が、痛いです。
 若い頃は、一般道でコケたくらいでは、身体を痛めるような事は、無かったんですがネ~・・・。少し寂しい・・・。

 この分だと、竿を持つのも・・・なので、釣りは行っても出来ないかもです。
 尤も、先頃の釣りは、潮風に当たるだけの結果と成って居りますが、加美さんは相変わらず、カレイと穴子!を確保し、釣りになって居りました。

 で、早くも参加希望の表明が御座いました。故、少し告知であります。

 2月17日の日曜日。
 酒蔵見学であります。
 「若駒酒造」であります。
 小山市の小薬であります。
 当然、電車であります。
 宇都宮線の小山駅から、両毛線に乗り換え、思川駅であります。
 ホームページは

 http://wakakoma.net/

 になります。
 集合は、小山駅に11時頃の予定であります。

 宜しくお願いいたします。

これからの予定

2008年01月12日 22時52分08秒 | 尚休プレゼンツ
 此処の処、尚休プレゼンツ根多が多いのでありますが・・・。
 敢えて!

 二月は、薬師寺廻り、節分に合わせます。
 そして!酒蔵見学であります。是は、17日。

 ちょいと、危ない絡みが有るので、其方を一段落させます。
 まあ、その、危ないと言うか何と言うか・・・。

 お国に払う(祓うに非ず)税金とか、云々かんぬん・・・。
 真面目に深刻(申告)とかが・・・・・。メンドクセー!!!!!

 取敢えず、そんな所であります。

 と言う訳で、イベント的には、儂の気の発散的要素が大きいものに成ります。
 
 此の先の、イベントに向けての布石の意味も有り、ちょいと面白くなります。

 が、当てられやすい方は、充分注意して、万全の体制で、お望み下さい。
 尚休プレゼンツのスペシャル企画に、・・・巻き込まれる可能性も、・・・御座いますので、・・・当然のことながら、企画運営側に・・・と言う事であります。

ネタ晴らし的あっちからの解説

2008年01月09日 23時22分39秒 | あいだ
 えー、先日のイベントでありますが、裏が多かったので、解説致します。

 先づ、同じ七福神廻り・北斗踏み、であっても、場所が違えば意味も変わる訳であります。
 そして、同じく東京と言っても、江戸を考えると・・・であります。
 江戸と言うと、ご存知のように、東の都でありますから、天海さんの呪術が、其れこそ本場の京都奈良飛鳥以上に、張り巡らされている訳であります。
 そう、四神相応であるとか、北に日光を置くであるとか、将軍を天帝に見立てるであるとか・・・。
 江戸を東の京にしたのは家康に代表される徳川氏、所謂、江戸幕府でありますが、それ以前に、太田道灌公が上杉(関東管領)家の元で治める努力をしていた訳であります。

 ご存知のように、七福神自体は、鎌倉・室町あたりの中世からのモノでありますが、流行りだしたのは、江戸の中期頃からであります。
 七福神廻りとして、一番古い!と言われて居るのが、今の「谷中七福神」あたりらしく、「向島・隅田川七福神」(去年踏みましたネ!)は、其の人気に対抗して創作されたと言います。

 さて、何故に対抗したのでありましょうか。
 
 江戸の都市は、江戸城を中心に螺旋状に成っている訳で、防衛上の必要に迫られての事であります。自ずと、各街道の出入りにも注意した町割をしていった訳で。
 当然の事ながら、各種の結界が!張られて行った訳であります。

 各宿場を繋いだ線を、地図上に朱色で引き、其の内側が府内・江戸で、朱引内と呼んでおりました。是は行政上の結界であります。
 又、其れとは別に、五体の不動尊で張った結界がありました。現在に残る、目白・目黒などの地名は、其の、五色不動尊に由来します。

 と言う事で、スタートは、目黄不動尊だった訳でありますが・・・

 浄閑寺は、朱引外、文字通り江戸の外だった訳であります・

 其の、結界の内側を廻った訳であります。

 実際に踏んでいくと、弁財天、そして不動尊の多いのに気付かれる事でしょう。
(尤も、其れ以上に、猫さ、が沢山居られましたが・・・。)

 まあ、各々の成立ちは置いて措いて、何を踏んで行ったかと言う事で有ります。
 当然、吉原の、生きた弁天様達の、抑えも御座いましたが、意味的には、ご供養の効果も大きかったと思います。
 ご供養の意味で言うと、御酒を挙げるよりも、心地よく酔った身体を仲介媒体にして、酔った心持を、味わっていただく・・・と言う事で・・・・・。
 
 申し訳ありませんが、皆様の、お身体を、お借り致しました。

 さあ、是で、謎の・不思議の一端は、ご理解戴けたかと思います。

 続きは、又、後ほど。

 危ない事は、無かった筈でありますし、ご利益も、倍増した筈で御座います。
 とは言え、事前承認も無く、巻き込んでしまったのは、私の責任であります。が、今に残る、当時の方々の思いの、幾分かでも味わって共感出来ましたならば、お許し願いたい所で御座います。
 直接の先祖で無いにしろ、又、後ろに繋がる訳では無いにしろ、方々の存在が有って、現在の我々に繋がっている事が、身近な事例で認識出来ました(であろう)事に、ある意味、感謝と感動を禁じえません。

 皆様、そして、お付き合い下さり善い様に利用されてしまい共謀させられた参加者の皆様。有り難う御座いました。

 あ!参加者の皆様。決して悪い意味は御座いませんし、悪い事も、起こりません。却って、皆様のご加護、ご協力により、御神籤であるならば、「超大吉」とか「弩大吉」「超弩大吉」である筈であります。

 騙した訳ではありませんので、其処の処・其の辺は、宜しくお願い申し上げます。  

尚休プレゼンツ子年正月版・詳細報告

2008年01月08日 21時56分39秒 | 尚休プレゼンツ
 とある男。Tさんとして置く。
 Tは、イベントに参加する為、都心に出かけた。早めに家を出て、学生時代を懐かしみ、水道橋の某Wに寄った。
 正月らしく特設の神社が設えてあり、馬の着ぐるみの宮司の御祓いを受け、青と赤のボールペン付きの絵馬を頂き、2レースぶんだけ購入し、集合地点に向かった。其の時点で、一つ目が当り!・・・が、14.1倍で勝負に勝って、90円負けた。

 
 さて、ご利益てんこ盛りのスタートは目黄不動、の筈が、閉まっておりました。
 次の布袋尊で、桃酒で厄払い、清酒でお清めをして、飛不動へ。此処は恵比寿様でありますが、お寺なのに二礼二拍手一礼!其の上真言が解説されて居ると言う・・・。そしてお清め。
 千束に回り、吉原神社の弁財天にお参りして、公園で一休み。(実は、次の事を考えての休憩であったのであるが・・・。)
 吉原弁財天の奥宮へ。此処で、皆さんの酒気は、吸われて仕舞いました。錦鯉が、綺麗にそして悲しげ寂しげに群れ泳いでおりましたが、とある碑にお線香を上げて次へと。
 大通りに出て、鷲神社。茅の輪を八の字に潜りお参りです。
 普茶料理のお店などを眺めながら、朝日弁財天へ。(此処の御神像が品切れ!とかで、後ほど郵送して戴ける事に。)お茶の接待を受け、(多分此処で、お世話人をしていた江戸っ子のおじさんに「踊りかなんか、習ってらっしゃる?」とキモノ姿を褒められた方が、居った様な・・・。)遅れてくる方に、好い加減な指示をメールしてしまい、時間感覚の無さを露呈。
 小野の篁を御祭神とする小野照崎神社で芸能上達を祈願。直ぐ前を入って。
 毘沙門天の法昌寺。此処でもお清め。
 三面大黒の英信寺へ、漸く途中参加の友人と合流。お清めして、独楽を廻し、羽根突きをし、ケン玉で遊んでから、お参り。大黒様の他の二面は弁財天と毘沙門天。境内には手汲みポンプの井戸が有り、金柑と山茶花が。
 福禄寿の入谷の鬼子母神。柘榴の実が残っておりました。甘酒の御奉仕を戴く方とお清めと・・・実はお酒がいけない下戸の方が何人様か居られまして・・・。
 さて、お次は、元三島神社であります。知っている方は知っている、ラブホ街のど真ん中にある寿老人。まあ、その、生きると言う事・子孫繁栄の厳粛なる営みに囲まれてと言う事ではありますが・・・。わざわざではないのだよー、近道なのだよー。
 さて、新坂を渡って上野公園へ、花園稲荷の脇から五条天神へ。この辺まで来ると、階段と坂の多さに疲れ気味。後一つです、頑張りましょう。
 不忍池弁天堂。言うまでも無く、弁財天であります。(此処までに、御神籤を引きまくっていた方が、五つほどお引きになって居られました。確かに、最初が「半吉」では・・・・。)
 清水さんの下から上野公園を通り、最後の〆、直会のお店へ。
 驚いた事に、二階座敷があり、美味しく楽しく打ち上げが出来ました。

 お付き合いくださった皆様、如何でしたでしょう、楽しんで戴けましたでしょうか。ご利益は、御座いましたでしょうか。

 因みに、T氏は、帰宅後レース結果を確認し、十万馬券に当っているのを発見!
 曰く「解っていれば、打ち上げの費用ぐらい、出していたのですが。」

 私はと言えば、座長からの直の(留守電ではありましたが)新年の挨拶を頂き、
 今日!御年賀に、「久保田・千寿」を頂きましたー!
 良い心持でございます。

尚休プレゼンツ、報告

2008年01月06日 23時26分31秒 | 尚休プレゼンツ
 無事に踏んでまいりました。

 ご参加戴きました皆様。お疲れ様でした。
 そして、有り難う御座いました。

 距離の割には、上り下り、坂道、階段が・・・多う御座いました。
 トモさん曰く、
 「百人組手の八十八人目」
 くらいのハードさでありました。

 で、家に帰ると留守電が・・・
 座長からでありました。
 
 詳細報告は、また後ほど。

 取敢えず、ご報告まで。

尚休プレゼンツ子年正月版

2008年01月04日 15時13分42秒 | 尚休プレゼンツ
 いよいよ、明後日であります。

 集合・出発地点は、
場所:メトロ日比谷線「三ノ輪」駅。3番出口。
 目黄不動の永久寺の方。
時間:11時40分過ぎ。
 中途半端な時間ですが、田舎者がローカルで参りますので。
目印:私、尚休が、スーパークロスの派手な青ジャンを、着込んで居ります。

 出発前に、邪気祓いの「桃酒」で乾杯!
 北斗を踏んでからスタートであります。

 今回も、好い加減な解説をしながら踏んでまいります。

 このコース。
 企まずして、面白いご利益に溢れております。
 女性方には勿論!芸能、音楽、文筆から、運輸、航空等、色々な職業に現が御座います。当然、安産子育てから縁結び、病気平癒、学業成就まで、殆どのご利益を盛りだくさんで揃えて御座います。
 しかも!北斗踏みの呪術を重ねて御座いますので、その効果の程は・・請け合いであります。

 さあ!我と思わん方は、奮ってご参加下さい。

 尚!コースの〆は、お清め(なおらい)が、待って御座います。