しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

座長の昔の話

2006年02月12日 20時42分41秒 | 座長根太
 かなり前、自分が独身だった頃の話。

 今、稲川淳二と言うと、夏の「ミステリーナイトツアー」が、風物詩のように成っているが、そのツアーの開始以前に、「マジニナルミステリーナイト」という芝居があったのを、覚えておいでだろうか。または、ご存知だろうか。

 作、演出、監督、稲川淳二。という純粋ミステリーであった。当時、座長は、どちらかと言うと、お笑い芸人の顔が表に出ていて、本来の顔を出したかった様だ。西荻にお店を出したのも其の頃だと思う。

 役者選びから、舞台美術、大道具、小道具まで、座長本人が手作りで仕上げていた。其の拘りは、今も、シネマの監督として続いているが、当時も半端ではなく、よく怒鳴られた。自分は、当然、役者・・の訳も無く、一回目は効果、二回目は制作協力だった。

 一回目は、新宿で。二回目が九段近くの教育会館?か何かだったと思う。
 直接係わったのは二回目で、其の頃マネージャーが逆玉で婿さんに行ってしまい、マネージャーが居らずに、ゼネラルマネージャーは役者として舞台に立っていたはず。現在の鬼マネも役者として出ていた。カメラマンの先生がマネージャー代わりでいたが、先生も舞台のスチールやなにかで、現場は座長一人!なので、自分がマネージャーをしていた(肩書きはプランナーで)。

 当時の座長は、大阪でレギュラー、戻って緑山でドラマの撮影、他に単発、レギュラーなど等、終わって舞台に駆けつけ、ダメ出しと演出、指導。付き合う自分は、飛行機のなかで寝ていた。(チョンボも多かったのでチョンボの’と呼ばれていた。役名マリーという娘がかわいくてお気に入りだったので、打ち上げにその彼女と座長の車で二人で行ったら、座長たちは歩きで、皆を追い越していくのを、目撃され、「薄情だ、長い友情も、女の前では無いに等しい!」と・・・しかも、自分の結婚式のスピーチでも言われてしまった。)

 舞台が始まると、意見の相違で昔からのプロデューサーが、降りてしまった。(尤も、制作費の殆どは座長の個人資金で持ち出しのようになっていた筈だが。)そうなると、舞台はともかく、現場を仕切る人間がいない事態となった。現場も舞台も、両監督とも舞台に立っているのである。出演者を動かす訳に行かない。後は、自分だけが、総監督であり、脚本家であり、総合演出の座長との連絡が出来る唯一の暇人になってしまったのである。座長のスケジュールが全て消化し終わればマネージャーは、余裕で観劇を楽しめるはずだったのに、使い走りの雑用係と相成ったのである。

 座長は、そんな自分(私)を見るにつけ、「食べないと駄目だよ。体が持たないよ。」との優しい言葉と、座長の分のお弁当、空港の時間待ちのカレーライスとビール。人が太る心配をしているのを知っていて、又、「その腹、何とかしよう!」と言いつつ尚、「何食べる?若いんだから大丈夫!」と、空腹の時間が無いほどに“飯を喰わせて”くれたのである。座長の処にいた時は、一時たりとも“ひだるさ”は、感じたことが無い。この事は、今でも、感謝している。

 今現在、かなりな体型だが、「貫禄があっていいじゃない」と、言われている。

   今日の箴言
<人の欲を満たせる事が出来たなら、その欲が何であれ、自分を誇りに思っていい>