しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

明日から4月

2007年03月31日 19時18分04秒 | こっち
 只今、雷雨の最中であります。
 折角、早めに咲いた桜と桃が・・・・。

 雨降ってなければ、お酒かついで夜桜見物に行きたい所だが。

 先日の、尚休プレゼンツを、本に書けばよいのに!と、推薦を受けました。

 故に、又、もう一本、書き上げる心算であります。
 応募先は、文芸ビジュアル。

 「尚休・狭間紀行」ということであります。

 〆切が8月末なので、時間的な余裕は有るものの、感覚を忘れてしまいそうなので、早めに書き上げます。

 自ブログ等での発表は問題ないとの事なので、初出は此処にします。

 問題は、ノンフィクション部門に応募する心算なのでありますが・・・、フィクションのほうが良いのかな、とか。思うわけですよ。
 わかってもらえるかどうか。理解されるかどうか。突飛な発想で解説しておるもので、作り物というか、どう受け取られるか。
 ジャンル分けに悩む所であります。

       今日の箴言
<己の判断基準が、世間一般の常識と異なる時がある。その場合、修正するかしないかは、その人の良心に委ねられる。尤も、敢て非常識を貫く事で個性が際立つ場合もある。>

尚休プレゼンツ薬師寺散策版後記

2007年03月27日 15時18分27秒 | 尚休プレゼンツ
 無事に、とりあえず、終了しました。
 まあ、一回目としては、そこそこの評価を戴いたようです。

 が、今回は特に「足止め」が厳しく、連絡の不手際などもあり、参加人員は5人にとどまりました。
 ご参加戴いた皆様。お付き合い下さり有難う御座いました。
 今回参加できなかった方々も、夏前に次回開催予定です。

 少人数だった事もあり、解説は逆に細かい所にも目が行きました。

 詳しくは、そのうちにアップしますが、参加戴いた方々の、別な目線からの、新たな発見もありました。
 やはり、一人では気づかない事もあり、自分にとっても有意義なイベントでありました。

 心配された天候も、集合時には、雨が止み、途中もたいして降られる事も無く、普段の行いと人徳の賜物でありました。
 有難う御座いました。

SP薬師寺散策編コース紹介 裏版 解説用

2007年03月20日 15時19分56秒 | 尚休プレゼンツ
    尚休プレゼンツ薬師寺散策編
       コース紹介 裏版 解説用
 と言う訳で、裏のテキストであります。儂のネタであります。

 歴史館を出て西側の道を北進。信号の東南角の雑木林が地蔵山。其の中に・・・
① 石造地蔵菩薩坐像
1678年(延宝六年)建立、周辺最古の石造地蔵菩薩坐像
裏:時代背景・江戸初期。この時点で、薬師寺は安国寺。戒壇論争の少し前。建立の意味は?
方向、作り。南向きである。方角的には、薬師寺城(戦国期)の丑寅である。薬師寺方向を向いてはいない。宝珠、石塔の残骸らしきものあり。塞の神としての場所ではない。北方守護か?北面して拝む事になるが北辰信仰と係わりが?政治、宗教と離れた生活の中心に係わるか?
本来、付近に道は無かった筈。

北側の道を東進、緩い坂を上がると、左手に、こんもり高い島のような杜が・・・
② 御鷲山古墳
六世紀後半古墳時代後期に築造。墳丘全長約90メートルの周辺最大の前方後円墳。くびれ部の前方部よりに、両袖方の横穴式石室が南に開口する。
裏:薬師寺創建以前。所謂、聖徳太子の頃。石室の方向・南北線。下毛氏か?墳丘上の重圧感大。十三夜の石塔が、袂にある。見せ掛けだけの王権への服従と、首長霊信仰の形を借りた星神信仰か?但し、私見によれば、未だ王権は倭国であり、大和(日本)には移っていない。

其の南側、県道結城・石橋線の西側に・・・
③ 藤麿墳
日光開山の祖、勝道上人の父、藤麿を埋葬した地に建てられた石碑。
裏:何故終焉の地が、ここなのか。時代背景に注意!

此処から南は、下野薬師寺の旧寺域になる。
・ 下野薬師寺跡:国指定史跡。
74,000平方メートルの広大な史跡。天武天皇の時代に建立された寺院。日本三戒壇のひとつ。
裏:何故この地を選んで建立されたのか。又、其の機能を考えると。首長墓群の間、水流に挟まれた小高い舌状地の中央に位置する。が、生活の中心地では無かった筈。東国の押さえを、仏教に託すいつもの手段か。政治権力に係わった僧の配流地であるが、仏教勢力拡大に専念させるため戒壇が。当時の仏教は一般民衆のものではない。支配者側とすれば、宗教を取り込み同化するのが常套手段。其の為に手っ取り早く、聖地を押さえればよい。第一位の聖地には既に神社があった。故に、次の聖地に寺を建て、神社をも包含、現地勢力を押さえた上で官営の寺として戒壇を作るが、あくまでも中央の権力の下である。ひょっとすると、現地勢力が中央に対抗するために、仏教を使い防御しようとしたものが、取り込まれたものかも。面従腹背で。
670年前後に、大和王権が火事場泥棒的に政権奪取。所謂、天智天皇期である。唐帝国に日本として認められるのが700年過ぎ。

県道を南進し右折すると・・・
④ 回廊跡
一部が復元され、平成13年より公開されている。
裏:回廊の北西隅の部分。当時の建築様式に忠実になっているのであれば、甍も含めた工法の必然性。この時代の寺は、城塞の機能は持っていないようで、城壁にはなっておらず、当然環濠も無い。政教分離。

南東直ぐに・・・
⑤ 六角堂
江戸時代末に、下野薬師寺の戒壇を偲び、その跡地と思われる場所に建立。屋根、柱、礎石のいづれも六角造りの珍しい建物。
裏:六角の意味は?六天?印度の宇宙観?通常は六道かと思われるが?道教との関わりは?傍の塔跡付近、気の流れ尋常ならず。戒壇跡か?聖地の中心?戒壇院は761年。規模は?

⑥ 安国寺
室町時代、足利尊氏が「薬師寺」を「安国寺」へ改称。境内には下野薬師寺跡出土の礎石がある。
裏:何故、薬師寺に戻らなかったか。修行道場ではない。本来は、檀家を抱えての檀那寺では無かった筈。改称の持つ意味は何か?寺院勢力の封じ込めか?

県道を挟んで東に・・・
⑦ 幢竿支柱跡
寺の荘厳さを示すために、立てられた旗竿を支えるための柱で東回廊と塔のほぼ中心にある。

⑧ 塔跡
9世紀後半に造られたもの。
寺の中心から東へ120メートルの位置にある。
裏:場所の問題。再建の意味。寺域内の塔が戒壇になったとすれば、塔を新たに造る必要があったのではなかろうか。

其の東側、旧道を挟んだ杜の中、古墳状の小山の南に鎮座する、県指定有形文化財・八幡宮を左に見ながら南進。参道に出たら鳥居を北に見る・・・
⑨ 八幡宮
875年(貞観十七年)岩清水八幡宮の祭神を東北守護の大神としてこの地に鎮座したものとも、宇佐八幡宮から直接分社された下野薬師寺の寺内社であるとも。
現社殿は1662年(寛文二年)佐竹右京太夫(秋田藩三代藩主)により再建。
裏:背後の森の小山・古墳か?人工物か?本来の土地の気脈からすると、此処が聖地の中心であった筈。もう一つは初期の塔跡周辺。気の流れは南北であり、本殿は南面する。

⑩ 雷電神社
通称、雷電さま。この地を天狗山と言い、天狗と雷神には色々な伝説が残る。
裏:創建年代。どれが先か。此処も本殿は南面している。近年の再建であるが重要なのは其の場所。

参道を南進し、龍興寺に向かい県道を左折、右側に・・・
⑪ 吉田が池
竜神が祭られ、池には竜神のお使いである片目の鯉が棲むという伝説がある。
裏:竜神は、雨の使い。雨乞いに必要。水脈は日光から連なり、竜脈となっている。が、現時点で竜神の棲息は望めそうも無い。

龍興寺に戻り境内へ・・・
裏:八幡宮への参道が南に延びる。気の流れが道となり、以前は八幡宮に停滞していたが、改修時に昇華され、尚且つ結界が強まったことにより、此処に停滞することになった。完全な檀那寺と化してしまい俗世の臭いが。要注意:危険!あっち。

⑫ 鑑真和尚の碑
唐代の高僧、鑑真の威徳を偲び弟子達が建立した供養碑。
鑑真は、761年(天平寶字五年)勅願により下野薬師寺に戒壇院を建立した。

⑬ 道鏡塚(古墳)
770年(寶亀元年)下野薬師寺別当職として赴任し、2年後に生涯を閉じた道鏡の墓と伝えられている塚。
円墳である。故に、年代的に?
裏:何故ここにあるのか。薬師寺より早いが・・・。参道を挟んで八幡宮の塚と南北で対峙している。規模としては此方の方が大きい。築造年代の比較が出来れば。

龍興寺の表から県道に戻り北進、信号を渡り暫く行くと、八坂神社を挟むように延びる、下野薬師寺正面旧参道を進み下野薬師寺歴史館へと。
裏:710年、時代は奈良期、ようやく日本として、国家が認められた頃。

 これらは、あくまでも、尚休のヒントなので、答えは自分で見つけましょう。
*コース紹介のパンフレット的なもの、ご希望の方は参加表明の時に書き込んで下さい。尤も、此処にアップした物のコピーですが。(一部写真入であります。)

SPツアー参加募集の告知であります

2007年03月16日 16時31分56秒 | 尚休プレゼンツ
 ようやく確定申告も終わりました。
 途中、会計ソフトのトラブルで、上半期のデータが消える!というトラブルも乗り越え、無事に(???)提出しました。郵便局で!当日消印有効!

 気象庁が、開花予想のトラブルでお詫びしたようですが、それでも、花見の予定が早くなりそうですな。
 今年は、地元での義理や売り込み、或は、忘れられない為の顔繋ぎ等の関係で、栃木でのイベントに参加であります。
 まあ、四月八日ですので、弥寒い前日光では、丁度宜しいかと。
 馬生師匠(十一代目現役)の花見会であります。
 参加の返事は月末なので、ご希望の方は同伴可能であります。

 では無くて、二十五日の尚休プレゼンツに花見を兼ねられたらと思っていたもので・・・。

 と言う事で、尚休プレゼンツ薬師寺散策クリーンアップ&パワーアップ版、参加人員募集であります。
 制式受付開始であります。
 別段、参加表明せねばならぬ、ということもないのであります。
 また、参加人員が事前に分らねばならぬ必要も無いのでありますが。
 とりあえず、お楽しみと言う事で。

         尚休プレゼンツ
     薬師寺散策&史跡廻り
        三月二十五日、日曜日
メインは、下野薬師寺跡周辺散策及び史跡廻り。

 顕幽導師・尚休が、あっちとこっちのあいだから案内、解説し、途中、疑問・質問にヒントを提供しながら、十三の史跡を廻り、浄化・パワーアップする約二時間のハイキングツアーです。

 集合・出発は、午前十一時。
下野薬師寺歴史館で御座います。
* 栃木県下野市薬師寺1636 tel0285-47-3121

地蔵山、御鷲山古墳、藤麿墳、下野薬師寺回廊跡、六角堂、安国寺、憧竿支柱跡、塔跡、八幡宮、雷電神社、吉田が池、鑑真和尚の碑、道鏡塚の十三箇所を廻ります。

 途中、+αとして、所謂、聖地、パワースポット、ヒーリングスポット等が含まれております。

 尚、参加費は無料となっております。
お弁当は、「史跡下野薬師寺跡ふるさと歴史の広場」の芝生の上でピクニックっぽく、広げましょう。

 *以下注意事項
・と言う事で、飲食は、各自ご用意ください。
・コンビニは、歴史館にいく途中に御座います。
 ・服装は自由ですが、一部、林に中に入り込んだり、墳丘を登ったりしますので、其れなりの装備をご用意下さい。
 ・季節は春とはいえ、冷え込むことも考えられます。
・又、全行程、徒歩となりますので、水分補給の用意も御願いします。
・場所により、気の流れ、場の重圧等、尋常ならざる処も御座います。体調に不安のある方は、深入りはご遠慮ください。
・あっち系の、所謂心霊スポットが近所にある関係で、危ない処は、避けております。興味のある方は、ご自身の責任において行動して下さい。

電車で御出での方は、JR宇都宮線・自治医大駅です。
 関東鉄道常総線・下館駅でも可。
 どちらでも、連絡いただければ、お迎えに上がります。

地雷原の啓開

2007年03月10日 21時06分46秒 | 
 猫のトイレ掃除のことである。

 普段は加美さんがやってるので毎日ではないが、自分が居る時は楽しんでいる。

 木で出来た猫用の砂なのである。
 それを、クリヤーボックスに入れて使用している。

 子供の頃の砂遊びよろしく、啓開して行くのである。
 まあ、その、つまり、地雷を、掘り出していくのである。

 臭い対策に、お香を焚いて、大概は風呂を汲んでいる間に作戦行動にかかる。
 状況は、ガス及び粉塵であるので、加美さんの場合、防塵マスクを使用。

 砂の乱れ、盛り上がり、足跡の窪みなどから、大体の状況を予測し、最初の一掘りを開始するのであるが。・・・たまーに、自爆!

 猫の健康状態を観察するためにも、疎かには出来ない、重大な任務であり作戦なのである。

         今日の箴言
<どんなにつまらない事でも、自分なりの意義付けで楽しめるのならば、それもある種の才能である。>

拙者、親方と申すは

2007年03月09日 18時14分24秒 | こっち
 お立会いの中には、ご存知の方も御座りましょうが。
 お江戸を北に二十五里下方、野州下野宇都宮、雀宮をお上がり為されて、・・・

 この時期、卒業式なのでありましょうか?

 そう、宇都宮には、自衛隊が御座います。
 其処には、航空学校が開設されております。
 日本に、二箇所のヘリ学校であります。(もう一つは明野)

 此処には、世界でも珍しい、ヘリのアクロバットチームがあります。

 で、本日の午前中。編隊飛行をしておりました。

 仕事場が、航空路の直ぐ下なので、航空機の通過は、左程珍しくないのであります。が、本日の編隊は、二悌団、合計二十機でありました。
 形式が旧タイプでありましたので、卒業式の飛行展示かと・・・。

 考えてみれば、この辺りは、飛行場が結構近くに在るので、(百里と宇都宮。宇都宮は北関東最大で、輸送機も下りられます。)色々と航空機を見られ、それが、子供の頃からなので、当然の事と思っておりました。

 古くは、第一回のクラブマンレースの行なわれた清原など、陸軍の飛行場がありました。中島飛行機の工場もあり、当然、空襲も受けました。(三発目の原爆の投下予定地の候補だったとか。)

 家の庭には、葡萄の古木がありましたが、機銃掃射の弾が根本に当たり其のままだった為、傷跡と共に枯れてしまいました。
 今は、その木の子孫が、繁茂しております。

     今日の箴言
<産土の歴史を振り返る事は、自分の歴史を考える上でも、有効である。しかし、未来を考えると、憂鬱になるのは、何故であろうか。>

啓蟄

2007年03月06日 16時27分10秒 | こよみ
 旧暦二月、卯の月の正節であります。
 冬篭りしていた虫が、雷に驚いて、穴をひらいて出てくる。であります。

 と言う訳でもなく、冬眠をしていた訳でもない。

 此処の所、季節感が、感じられないのである。

 暦も、唯の読み物になってしまう。

 春だから心が騒ぎ気が急くのか、或は、申告の期限が迫りつつある為か。

 この時期は、なんとなく苦手である。

 去年も、同じ様な事を、言っていた様な気がする。

 のであるが、今年はマシである。

 自分は、花粉症は持っていないのであるが、既に、車が「鶯餅」に成りつつある。
 梅は咲いたが、桃は蕾のままである。
 今年は桃酒でも漬けようか。