しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

京都の鬼

2006年04月29日 20時29分40秒 | あいだ
 Nちゃ氏の京都旅行に触発されてしまった。
 暫くちんたらしていたら、一週間たってしまった。

 昔はよく京都に行った。
 学生時代は、毎年何回か行っていた。
 所謂新婚旅行とかも、京都に行った。のだが、其の話はあとで。(某cx系の夫婦喧嘩グランプリで有名な裏拳事件は、其の時の事。)

 京都は、道などが、さほど変わらないので(東京ほど)地図無しで歩けるくらい通ったものだ。後のころは自転車で行ってたので、地元の人間と勘違いされ、木屋町あたりで、よく声を掛けられた。しかも、若い女の子に。
 今思うと、逆ナンパされてたのかも。「すみませーん、この辺にディスコありませんか?」

 京都は、歩きが基本。当然、千年の魔都。あっち系の怪しい処には事欠かない。
 単なる観光の心算が、知らず知らずのうちに、その辺を廻っていた。

 まあ自分が行くんだから、しょうがないかもしれないが。

 よく歩いたのが、駅から蓮華王院、鳥辺山の墓地から清水の裏を回って八坂神社、インクラインを渡って南禅寺、哲学の道で銀閣寺へという東山コース。
 嵐山から小倉山を越えて嵯峨野、化野、栂尾、北大路とか加茂、鞍馬、大原とかね。西京極から桂、なんてのも在った。

 初めて、らしさを意識して、写真(あの手の)を撮ってしまったのが、金地院手前の東照宮。楼門の左右には、右大臣と左大臣。その屋根の上から見下ろすような学生の姿が。丁度入学前の春だったので、浮かれ気分で居た頃だ。
 学徒出陣でいった人らしい。羨ましいという感じではなく、見守ってくれるような、そんな感じか。

 不思議と、京都は危ない感じがしない。怪しい感じはあるが。
 しかし、其れは特定の場所や建物がという意味であって、土地的にはかなり厳しいものがある。その辺を弁えていないと、一寸辛い事もある。

 傾注!京都で托鉢僧に会ったら、金額の大小に係わり無く、お布施をすべし。
 代わりに災厄を引き受けてもらいましょう。其の為の托鉢乞食なのですから。

         今日の箴言
<旅に出て開放されると、押さえ込まれていた意識も開放される事がある。気を付けないと、とんでもない事に発展する事もある。>
      特に京都は夫婦喧嘩に注意せよ。

前世

2006年04月22日 15時51分22秒 | あいだ
 自分の前世は・・・解らない。観る人によると、お坊さんの様な修行者らしい。
 って、今と同じ様じゃ・・・とか思う今日此の頃です。

 前世が有る無いではなく、輪廻とか転生とかを考えると、あるのが当然。

 其の考えに立って話して行きましょ。

 先日も、なにやらの泉という番組を見ていて感じた事なのだが、確かにTVのバラエティーでは、放送の限界があるだろう。しかし、無駄な知識でも、「無用の用」と言う事もあり、それはそれで無駄ではないと、と、と、とりびあ?
 じゃなくて、Oのほう。

 大衆、衆生を対象にしている以上、残念ながら、その大半は前世や現世についての理解だけに留まらざるを得ない訳である。し、人としての来世の無い者が大半である以上、来世において、ある人の前世と成る事が出来ると言う事を、前面に出す事は憚られる訳である。

 人として、現世に存在している以上、前世があるのは、それこそ必然な訳だが、人としての来世が在るかどうかは、現時点では?な訳である。

 で、来世に人として転生できると仮定してみると、其の時の自分から見て、今の自分が前世にあたる訳だが、こんな自分が前世で良いのか?とか思うのである。
 可哀想になったりする、訳である。

 と言う事で、来世に不憫な思いをさせない為にも、もっと修行せねばな。
 とも思っている今日この頃でもある。

 自分には、子供が居ないので、其れに対する責任(親として子供に恥じないように)は無いのであるが、来世に対する責任は(転生できるとして)大きなものが在るのではなかろうか。

        今日の箴言

<前世の業を背負い尚且つ来世の責任を負う。其れが出来れば来世は輪廻の輪から外れて仏陀に成っている事だろう。出来ればだがね。>

あっちとこっちとごろごろと

2006年04月18日 16時56分38秒 | あいだ
 ネタにする訳ではないのだが、土地としての東京の見方を。

 東京自体が、明治になって作られたとこだから、それ以前を、江戸を考えるのだが、江戸も、戦国期の終わりから作られたところだからな。以前は武蔵で東海道も相模から上総へと海を渡っていて武蔵は通っていなかった。

 江戸期には、それなりの都市計画があり、火事とかで大改造も容易だったようだが、其の分、犠牲者も多かった訳だ。

 江戸城を中心として、都市防衛を考えると、最終的には城が落ちなければ良い訳だが、逃げ道は四谷から甲州街道を想定してあった訳だ。

 時移り、江戸から東京になっても現皇居、江戸城の守りは残っていたりする。
 すると、川の流れも、道の流れも、鉄道の流れも、地下鉄の流れすら、避けている訳だ。

 そこで、気の流れはどうなるかと言うと、相変わらず龍穴が開いている以上、邪気も寄って来るのだが、防御が生きているので中に入れず、周りを渦巻く事になる。
 其れが流れていれば問題ないのだが、何らかの影響で澱んでしまうと・・・。
 色々な事が起こる。だろうな。

 ましてや、元々の流れを堰き止めてしまう様な事があると、逃げ道を失ったものが、噴出しかねない。

 中国の風水的な考えは、その土地の持つ力を、ある意味コントロールし、利用する事が出来るとするものではあるのだが、其処には人様の傲慢さが見え隠れしているような気がするのは自分だけだろうか。

 古来、日ノ本の国に於いて、自然とは、征服するものではなく、協調するものであった。江戸に於いても、自然を押さえつけるのではなく、受け流していた筈なのだ。例えば、多くの堀は在ったが、堤防などは無かった筈。台風や洪水、高潮などで浸水しても、堀から水は引いていったのである。が、想定限界を超えて一度堤防を越えた水は、其の内側に溜まり、排水できず溢れ還ることになる。

 では、どうすればよいか。
 道が混むならバイパスを造ればよい。道が無くなっていれば、新しい道を造ればよい。水が溜まったら川の流れを造れば良い。排水出来なければ穴を開けて流してやればよい。

      今日の箴言
 <大きな流れには逆らわず、受け流した方がいい。激流を止める事は困難でも、流れを分け、細かくして行けば、水は治まる。>

もうすぐ土用

2006年04月15日 16時52分22秒 | こよみ
 清明をネタにしようと思っていたのだが、うだうだしてる内に過ぎてしまったので、土用である。

 本来の土用は、年に四回ある。
 立冬、立春、立夏、立秋、それぞれの前の十八日間のことを言う。
 国立天文台の「理科年表」だと
<太陽が黄経二十七度、百十七度、二百七度、二百九十七度にある時>
 と成っている。夏だけのものではないのである。

 もともとは、お馴染みの陰陽五行説から来ている。
 当然、土気が司っている。
 暦的には、雑説に入るのが一般的。

 ここで、こじ付けをしてみよう。
 元々、自分は、一月生まれで、本性も「水」である。
 春は「木」で「水生木」でみると、木気を旺盛にする為に水気を使ってしまう、吸い取られてしまうのである。
 が、土用に入ると、木気は「木剋土」で、土気の養分を吸い取れる様になるので、水気の役目は終わり。且つ「土剋水」で水気を吸い取る土気を「木剋土」で抑えてくれるので、「水」の自分は、元気になれるのである。

 いい加減パワーチャージしないと辛いのである。
 で、容量もアップさせないと、節約だけでは追いつかなくなっているのが、よ~く解った。年齢的なことは言いたくないが、効率が悪くなってるのは事実だから。
 
 小排気量のレーサーより、大排気量のツアラーということか?

        今日の箴言

 <技術だけでは限界がある。チューニングアップしてパワーが上がっても、耐久性や、稼働率が下がったのでは意味が無い。>

 と言う事で、容量アップに向けて、大改造の始まりだ。

 写真は山吹。 木気は植物、色は黄
 一重なので、「道灌」みたいに「ななへやへ・・・」には咲かない。

なんだかな~

2006年04月14日 16時02分15秒 | こっち
 心霊写真    ではない。
 ゴジラのアップ でもない。
 お下手が撮ったプミーのあっぷである。
 めったに撮らせないのである。
 慌てて撮ったのである。
 フラッシュの使い方が解らなかったのである。
 
 草木は、生り物が好きである。桃、柚子、山椒、ん?実家には、葡萄、あけび、ぐみ、ラズベリーなどがある。

 果実がなる物は、元気な時は、実をつけない。枝を下ろしたり、皮を剥いたりして苛めると「このままじゃ死んでしまう~!子孫を残さねば~!」で、実がなる。
 と聞いた。(林檎と梨の農家のご主人に)

 動物は、どうだろう。人様は。
 直裁的に考えると、恋愛する事は、生きる意思の現われのようではあるが、死への恐怖の裏返しだったりするかも。である。

 さて、自分の場合は?等と言うと、差支えが在りそうなのでカット。
 人を好きになると言う事で、一般論にして、自分の思う所を。

 ある人に惚れる。その場合に、気が合うとか、話が合うとか、価値観が合うとか言うけれども、相手が在っての事である。
 その相手を考えると、出会った時点での、その人を見ているのであって、「もっと前に出会っていれば」、と言うのは、どうかね。
 自分の場合、加美さんがいるから、不倫になっちゃう。が、その加美さんがいての今の自分がいる訳である。
 けれども、「もう少し若ければ」などと考えてしまうのは、男の性かもしれない。・・・のだが、現実問題として、そんなにモテル訳が無い。
 
 しかし、「お!いいな!」なんて思うようなことも無くなったら、お終いかもしれんな。前向きに生きるためのパワーの源!みたいな所はあるだろうし。
 なにより、不可能に挑戦するという、やる気が出てきそうな・・・。不可能か。
 
 確かに、「いい女」はいる。身近にもいる!が、恋愛の対象とは成らないのである。加美さんは、釣った魚だから論外である。(読ませられんな)

 危ない方向に行ってしまった。が、元々過激が売りの自分から、この手の発言が出てくるようでなくてはな。うん!段々と復活の気配だな。

      久々に   今日の箴言
<男だ女だ言う前に、人間であり、人類として地球の一員で在る事を認識せよ。>

ゴンズクとパトス

2006年04月12日 17時16分09秒 | こっち
 根性と情熱みたいなものか。
 写真は少佐である。
 布団干しするのに、寝ていて動かない。
 そのまま、簀巻きの太巻きに。
 それでも動こうとしない。
 なかなかの根性である。
 見習うべきか?

 うだうだしている自分が居る。
 気の変わり目でもあり、陰の性が陽に移っていく時期だから仕方ないと言えば仕方が無い。(其れにしては月初めのテンションの高さは何だったのか。)
 もう直ぐ、春の土用になる。今週いっぱいは辛いかも。

 何をするにも、以前のような情熱が持てない様な気がする。
 老化と言うには悲しすぎる。冷めてる訳ではないのに。

 燃えるような恋!熱情の愛!・・・なんてのが、・・・無いものな。
 エロスは、ある意味、生きる情熱の現われだからな。

 仕事では、気合入れても自分に還って来ないからな~。

 何か、パワーアップアイテム探さないとな~。(レスキューとか摂ってるのに)
 要は、増幅器の問題じゃなくて、大元のエネルギーというかパワーが落ちてるんだよな。補助的なもので補ってもあまり効かないのは、ゼロに何をかけてもゼロにしか成らないのと同じ事。

 心に身体が引っ張られる~!鬱だな~。陰だな~。いかんな~。

 何かを始めなければ。創造的な、新しい事を。

 ほらな、又消えた。でもコピーしといたもの。

陰陰鬱鬱

2006年04月11日 17時15分58秒 | こっち
 なぜか知らんが、テンションがた堕ちである。
 霧のような雨が、さらに気分を落ち込ます。

 これで、又、消えたら・・・最悪だ。なので、コピーしとこう。

 桃で邪気を祓おう。   楽しい事を考えよう。

 気が早いかも知れんが、連休。どうしようか。
 実は、予定や計画を考えてる時が、結構楽しかったりする。

 山に行くなら、やはり釣りだな。餌は、天然の葡萄虫が取ってある。
 海は、此処のところ、ついてない。天気が荒れても、山だと最高のコンディションになるし。
 しかし、美味しいものも捨てがたい。
 向島の親子丼、伝法院通りの串カツ、浅草橋の焼き鳥、ガード下の馬モツ煮込みと串焼き、美味いものは幸せになる。これにホッピーか?

 そう、もうすぐワインが届く。が、今日の分の飲み物が無い。買い物してこ。

 何か駄目だな~。頭が回らん。

     今日の忠言
<この時期、首を痛めることが多そう。痛めた時は、先ず冷やす事。お風呂も控えて動かさない事。自分の場合、違う意味で、首が回りません。>

 

 

釣りのおまけ

2006年04月07日 16時24分26秒 | 趣味
うが~!!!消してしまった!!!書き直しの二稿目である。萎え。

 昔の話である。山に釣りに行くと、おまけが付く時がある。おまけだけの時もあるし、憑いて来るときもある。

 今の時期だと、筍、タラの芽、蕗か? 少し前だと蕗の董とかね。
 食材でなければ、山吹や水仙(菖蒲?杜若?)などの、目に美味しいものもある。(いつかは紅葉を貰って来た)
 鹿の角を拾ってきた時は吃驚したが、よく見つけたものだ。
 尤も、大半は加美さんが呼ばれて見つけて来るのだが。

 他にも、椎茸や野生の三つ葉、山葵、蕨にゼンマイ、コゴミなど等、山菜の宝庫だった!

 最初、魚籠の中には、冷えたビールなんぞが入っている。一匹釣れたら乾杯。蕗を摘んで底に敷き、魚を入れる。釣れたら蕗を摘み包んで入れる。釣れたら!

 堰堤や滝の下でマイナスイオンを浴び、森の中でフィトンチッドを浴びる。
 非常に健康的なおまけである。

 おまけと言えば、所謂、外道と呼ばれる魚達も忘れてはいけない。

 本命は、山女魚、岩魚であるが、朝のうち上流で釣って、お昼前に降りてくる時がある。釣れすぎたときか、釣れなかったときか。そんな時、下流で釣りをする。

 満開の躑躅の下、鮎釣りの人を横目に、ガンガンに立ちこんで、尺を超えるようなウグイ、オイカワ等を抜き上げる・・加美さん。あの時は、葡萄虫で、なんと!鮎を釣り上げた(しかも良い型の天然物を三匹も)。おまけに鯰も!

       今日の箴言
<釣りは、魚との真剣勝負である。が、魚を釣る事が重要なのではなく、釣りによって己を弁え、人間も自然の一部である事実を確認する事に意味がある。>

せんそうはいやだ

2006年04月04日 18時36分10秒 | あっち
 先週末は花見三昧でした。
 目黒川、菅刈公園、浅草堤、飛鳥山~音無川。
 其の帰りに、赤羽の伯父・伯母のところに寄った。

 博多の正絹の帯を頂いたので、お礼がてら遊びに行ったのだ。
「着物を着るかどうか判らなかったので、帯を送れば、返事が来ると思って。」
 大した土産も持って行かなかったが、お小遣いと着物、帯と揃いの紬を貰って来た。

 其の羽織の裏が友禅なのだが、伯母の手描きのものだ。
 其のデザインは伯母が起したものだが、モチーフは、伯父の観た夢の中の情景だという。
 所謂デジャビューのような夢を良く観るのだと言う。尤も、この場所には未だ出会っていないと言っていたが。

 その伯父は、八十歳を超えているので、当然、戦争に行っている。
 
 ご存知のように、負け戦での撤退ほど難しいものは無い。
 そんな(たぶん)南方での話。

 始めは大勢居た戦友も一人減り二人減りして、最後の二人になってしまった。
 食料も、弾薬も、ましてや薬も体力も無くなっていた。
 後は、唯、歩いて寝るだけ。

 友と二人、川辺で寝ていると・・・
 気持ち良く寝ていると、母親が自分を起そうとする。静かに寝かせて欲しいのにと思っていると、棍棒で背中を叩きながら「・・・!起きなさい!・・・!」
 そこで目が覚めた。背中には木の枝が乗っていた。
 友を起す。返事が無い。・・・・友は、すでに・・・・。

 「あの時、母に起されなかったら、たぶん・・・。」
 「本当に、不思議な事はあるんだよ。人に言っても信用されないから言わないけど。」

 伯父は、勾玉が好きだと言う。ので、魔よけに持っていった、導気勾玉と瑪瑙、翡翠、トルコ石、瑠璃、などの勾玉を置いてきた。

      今日の箴言
<存在するのは事実、たとえ不思議を不思議と思わなくても。>