前回までで、お気付きの方も御座いましょうが、元々、ランドマークの話でありました。
で、日本で(現在もずーっと繋がっている)頂点に立つものは何でしょう?
そう!国名にこそ成っていませんが、不二山であります。
この名の謂れは、色々在るようですが、現在は富士山で、日の本の象徴の様な、火山!であります。
頂上は、時代によって変遷しておりますが、其処から北に線を伸ばすと、秩父、白根を越えて、佐渡のあたり・・・例の丑寅・未申、戌亥・辰巳ラインの交点へと向かっている訳で在ります。(白山、白根、白馬などは、糸魚川・富士川と供に、別の機会に。)
この、富士南北ラインが、(ほぼ現在の)東西日本を分けている様な気がしますが(フォッサマグナのちょい東)、政治的な意味合いの、東夷とか蝦夷とか、坂東などは、徐々に、東遷して来ている訳であります。(昔の坂東は、逢坂の関とか大江山とか。其れが箱根になったりしている。)
前置きが長くなりました。
歴史上、政争の果てに、左遷された(と言う事に成っている)人物は、多々存在しますが、有名な所で、菅公と道鏡を、例に取ります。
菅原道真は、九州の大宰府に流された訳ですが、ご存知のように、怨霊となり、後年、祀り上げられて居ります。要は祟った訳です。
その後は、流石に学習したようで、祟る可能性の在る者、特に、皇族や僧侶等には、気遣いが見られる様になります。
そして、道鏡ですが、彼以前にも、薬師寺には、高僧が流されております。
又、一般に人口に膾炙しているように、道鏡は、左遷で流されたのでは、ありません!
菅公は、祟りをなしたが故に、御霊とされましたが、道鏡は、東国の抑えとして、生きたまま赴任した訳であります。
当時の、中央政府にとっての抑えは、西国の九州と東国の蝦夷であった筈です。
言うなれば、経済殖民政策を取った訳で在ります。
人身掌握の要として、一般人を無視しても、知識人なり、実力者なりを懐柔、洗脳するのに、宗教は(現在でも)非常に有効且つ現実的であったろうと思われるのであります。
宗教を絡めた地位と名誉。支配の正当性を保障する「錦の御旗」を使ったわけで在りましょう。
さて、当時は、仏教で在りますが、是をコントロールし、尚且つステータスとして権威付けする為に、戒壇を造ったわけですが。
この所在地が、九州は筑紫の観世音寺と東国は下野の薬師寺でありました。
もう一つは当然のように大和は奈良の東大寺であります。
又、話は飛びますが、初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂は、征夷と言うくらいで、蝦夷征伐に人ですが、彼の埋葬の仕方が・・・甲冑を着けたまま直立して、東向きに(多分。北か東北だったかも。)埋められているそうであります。死して後も都を守ると言う事らしいのですが、其の場所は、確か?清水寺の筈であります。
以上の事を考え合わせると、呪力の強い(河内の弓削氏は武門の出)道鏡を、東国に送り込む事により、沈滞した宗教政策を呪的効果で梃入れし、尚且つ、彼の死後も、其の土地の抑えとなるべく(祟るのならば、中央にではなく、東夷の方に往けと)、特別な、高僧に相応しい埋葬は、されなかったのであります。
今日の箴言
<能力のあるものは、控えめにするべきかも知れない。其の力が大き過ぎれば、一般人は、尊敬・崇拝よりも、畏怖・恐怖の対象としか見なくなり、死後も其の力を利用し尽そうと、大小の蟲が蠢きながら、骨さえもしゃぶりかねない。>
で、日本で(現在もずーっと繋がっている)頂点に立つものは何でしょう?
そう!国名にこそ成っていませんが、不二山であります。
この名の謂れは、色々在るようですが、現在は富士山で、日の本の象徴の様な、火山!であります。
頂上は、時代によって変遷しておりますが、其処から北に線を伸ばすと、秩父、白根を越えて、佐渡のあたり・・・例の丑寅・未申、戌亥・辰巳ラインの交点へと向かっている訳で在ります。(白山、白根、白馬などは、糸魚川・富士川と供に、別の機会に。)
この、富士南北ラインが、(ほぼ現在の)東西日本を分けている様な気がしますが(フォッサマグナのちょい東)、政治的な意味合いの、東夷とか蝦夷とか、坂東などは、徐々に、東遷して来ている訳であります。(昔の坂東は、逢坂の関とか大江山とか。其れが箱根になったりしている。)
前置きが長くなりました。
歴史上、政争の果てに、左遷された(と言う事に成っている)人物は、多々存在しますが、有名な所で、菅公と道鏡を、例に取ります。
菅原道真は、九州の大宰府に流された訳ですが、ご存知のように、怨霊となり、後年、祀り上げられて居ります。要は祟った訳です。
その後は、流石に学習したようで、祟る可能性の在る者、特に、皇族や僧侶等には、気遣いが見られる様になります。
そして、道鏡ですが、彼以前にも、薬師寺には、高僧が流されております。
又、一般に人口に膾炙しているように、道鏡は、左遷で流されたのでは、ありません!
菅公は、祟りをなしたが故に、御霊とされましたが、道鏡は、東国の抑えとして、生きたまま赴任した訳であります。
当時の、中央政府にとっての抑えは、西国の九州と東国の蝦夷であった筈です。
言うなれば、経済殖民政策を取った訳で在ります。
人身掌握の要として、一般人を無視しても、知識人なり、実力者なりを懐柔、洗脳するのに、宗教は(現在でも)非常に有効且つ現実的であったろうと思われるのであります。
宗教を絡めた地位と名誉。支配の正当性を保障する「錦の御旗」を使ったわけで在りましょう。
さて、当時は、仏教で在りますが、是をコントロールし、尚且つステータスとして権威付けする為に、戒壇を造ったわけですが。
この所在地が、九州は筑紫の観世音寺と東国は下野の薬師寺でありました。
もう一つは当然のように大和は奈良の東大寺であります。
又、話は飛びますが、初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂は、征夷と言うくらいで、蝦夷征伐に人ですが、彼の埋葬の仕方が・・・甲冑を着けたまま直立して、東向きに(多分。北か東北だったかも。)埋められているそうであります。死して後も都を守ると言う事らしいのですが、其の場所は、確か?清水寺の筈であります。
以上の事を考え合わせると、呪力の強い(河内の弓削氏は武門の出)道鏡を、東国に送り込む事により、沈滞した宗教政策を呪的効果で梃入れし、尚且つ、彼の死後も、其の土地の抑えとなるべく(祟るのならば、中央にではなく、東夷の方に往けと)、特別な、高僧に相応しい埋葬は、されなかったのであります。
今日の箴言
<能力のあるものは、控えめにするべきかも知れない。其の力が大き過ぎれば、一般人は、尊敬・崇拝よりも、畏怖・恐怖の対象としか見なくなり、死後も其の力を利用し尽そうと、大小の蟲が蠢きながら、骨さえもしゃぶりかねない。>