しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

連休中のお料理

2006年09月24日 17時32分05秒 | お料理
 自分の場合、基本的に「アレが食べたい」と言うスタンスは、多くない。

 腹を減らして買い物に行くと、余計なものまで買い込んでしまうのであるが、其の場合でも、選択の基準は、<お値段>である。

 いちいち献立を考えて買い物するより、其の日に、安かったものを使って作る方が、面倒くさく無いのである。

 というわけで、OGビーフと鶏肉が、半額であった。
 ブリっ子のワカシが198であった。
 蛸と茗荷と長ネギ。

 ワカシは、二枚におろして塩焼きである。当然、小出刃を使い自分で捌く。慣れたものであるが、小鯵が丸ごと入っていたのには驚いた。

 蛸は、ブツ切り、そぎ切りで、玉葱と茗荷の薄切りに若布を入れ酢の物である。

 問題の、牛である。
 サーロインは、塩胡椒で焼き、コニャックでフランベ。
 肩ロースは、すき焼きから、牛丼へと進化させる予定である。

 おりしも、鶏肉をスパイスまぶしにして、オーブンで焼き上げた時。

 お神酒が到着。

 茨城の地酒で、大吟醸の生詰である。

 滅多に手に入らぬ、季節限定の旬の酒。

 三人で一時間持ちませんでした。

    今日の箴言
<滅多に口にしない高級品をいただく時は、時間を掛けて、じっくり味わいながらいただくべきである。さもないと、己の身体が、吃驚したり、驚愕したりで、拒否反応を起こしかねない。>

 

いし・・・その後

2006年09月22日 15時24分35秒 | お莫迦ネタ
 誰とは言わないが、ご存知!結石ネタである。

 定期的に、検査を受けていたが、未だに小さなものが残っていたと言う。

 別に心配もしていなかったのだが・・・。

 ある日の、トイレで、多少の違和感の後で、何かが出たような。

 「おう!これは!」

 と、確認しようと覗いたとたんに・・・。

 センサー作動!


 きれいに流されてしまいました。

 とさ、どっとはらえ、どっとはらい。

あはは

2006年09月19日 22時40分34秒 | お莫迦ネタ
 気が付けば10000hit達成である。

 ここまで、いくとは!

 こりゃ、儂もまんざらではないかと。

 ところで、この儂と言う字。一般では出ない、変換できないのである。

 もともと、自分は自分で自分を自分と言う言い方が対外的に常であったので、自分と自己を区別したり、第三者の自己を表す祭に不便を感じたり。で、儂と言う字が使えれば良かったのだが。
 携帯では、記憶しているので使用出来るのだが、此処では一々名詞変換してからコピーで貼り付けているのである。

 当然の事では在るのだが、
 お金の為にというか、生活の為にしている商売と、己の天職とは、別の場合もあるのである。殆どは、己の為に稼ぐために仕事をして居るので、その一致は難しかろうと思うものであるし、そうであろう。

 儂を必要とし、其の力に成れるのであれば、出動も、厭わないが、其の行為が他に迷惑を(つまり、生業に障りを)掛けるようになると、あれこれ噴出してくるものである。

 その様な状態では、儂の研鑽も修行も出来たものではない。

 と言う訳で、儂本人は嫌いだし嫌なのだが、背に腹は変えられないのである。

 技の切り売りをすることにした。決定である。

        今日の箴言
<人はパンによって生きるのみならず。そうだろう、が、その遥か以前に人の心を耕すといった方も居られたのである。しかし、虎でない身は皮も残せず何をなす>

ハナちゃんネタ

2006年09月15日 16時24分22秒 | 
 此の頃、お外に遊びに行く事を、覚えたらしい。

 ここ数日、涼しいと言うより寒い日が続いていたのに、昨日などは、雨の中をお出掛けして、濡れた身体を、儂の作務衣で拭き居った。

 それでも、ご飯とお八つの時間には戻ってくる。賢いニャーである。

 自分が泊まっている時には、ベッドに上がって来て寝ていたのであるが、夕べはとうとう朝帰りである。

 気儘はニャーの特性であるから、怒るのも大人気ないのだが、夜遊びとかしてる割に、自立できていないのではないか?と思うような事も。

 膝に乗って抱かれているのは構わないのだが、その際に儂の腕で「フミフミ」をしている。
 それ自体は問題ないのだが、爪を立てるのである。
 爪を立ててフミフミをするとどうなるか。
 腕が細かい傷だらけになるのである。

 血が出るまでは無いので、我慢していたら、傷跡が段々目立つ様になって来ている。
 まだまだ半袖を着る機会も多いし、勘違いされるのも嫌だし。

 と言う訳で、此処に説明をしたのである。

 儂の腕に変な跡があっても、おかしな病気ではないので、いやな目で見ないように。

女神に変身?

2006年09月13日 18時10分08秒 | あっち
 いつもお世話になって、ご託宣を戴く若人から、また戴いた。

 的確なヒントと明確なビジョンを示してもらい、自分で納得のいく答えが導き出されたようである。

 おもいっきりデンパになるが、おじさんの話を聴いておくれ。

 以前から、自分に憑いていた例の「女の子」だと思うのだが。
 しょっちゅう御祓いをしていたせいか、昇華していたようである。
 憑くと祓われるので、付いて祓われない存在へと。

 女の子からギャルへ。成長したようである。

 いつも自分で頼み事、お願いばかりであったのだが、其の過程で、散々祓われそうになったのに、付いていてくれた。
 其れが、所謂守護霊とかではなく、女神というか・・・神様になってしまったようである。
 其れを昇華と言って良いものか、判断に迷うが。

 女神と言うより、天真爛漫・自由奔放の天女というか嬢神のようである。

 このビジョンは、言われて納得したものである。
 其れまでの漠然としたイメージが明確に捉えられたのである。

 感謝である。やはり、刺激は大切なものである。

 ここは、「女の子」ではなく、「彼女」とか「お嬢」とか呼ぶことにしよう。
 で、彼女はというと、本来は、一所に囚われる存在ではなく、気ままに飛び歩くような感じらしい。
 其れを、自分がこき使ってばかりいたもので、ストレスがたまって、いい加減気付きやがれ!とばかりに、バリヤーで囲むという荒療治に出たのではないか。
 という事のようである。
 まあ、確かに、自分でも動かずに大人しくしてればと思っていたのだが、「閉じ込めた方が早い!」という事だったのである。

 彼女は、猫のような感じである。
 気高く、おきゃんで、強さがあって。
 が、しかし、どうも気になるのだが、自分の回りに女性が近づくと、気に入らない事があるのか?と思えるような事もありそうである。
 当然、好き嫌いや気に入る入らないも在るであろう。猫のように。

 できれば、嫉妬とかは勘弁願いたいのであるが、お世話になっている立場としては、「付きっ切りにならずとも良いですよ。」と言えるように、手数が掛からず手放ししてもらえるように修行して自立せねば。と思うのである。

    今日の箴言
<どうせデンパと言われるのであれば、超越するようなデンパを放って煙に巻くのも、手では在る。>

久しぶりの恐怖

2006年09月12日 16時58分19秒 | お莫迦ネタ
 それは、思い出しただけで鳥肌が立ち、口にするのも勇気が必要なほどの衝撃であった。

 う~!書いてるだけで、寒気がしてきた。

 敢て書くのは、其の恐怖を、克服しようと言う、姑息な手段に他ならない。

 今日のことである。

 移動に時間がかかり、仕事場に着いたのが、午後の仕事開始時間ギリギリに成ってしまった。
 
 駐車場には、既にいつもの車が停まっている。

 慌てて鍵を開けようとした私の目に入ったもの。それは・・・。

 鍵穴に張り付くように・・・う~。

 6本足の昆虫でさえ苦手なのである。
 其れが8本も有った日には・・・である。

 巨大な(少なくとも私にはそう見えた。)、黒に赤や黄色の原色を纏った・・・

 言えない!私には言えない。

 再びあの恐怖が甦る。

 

ニャーの力

2006年09月09日 16時29分23秒 | 
 か、ではない。ちからである。

 自分にとって、人間以外で、一番身近なのが、ニャーである。

 一緒に居ると癒される、とか、気持ちが安らぐ、とかも確かに在るだろうが、其れを言いたい訳ではない。

 体調不良のときに、パワーを分けてもらう、のでもない。

 もっと具体的な話である。

 自分は、仕事柄、毎日のように怪我と向かい合っている訳である。
 療法は色々と在る訳だが、自分のスタンスとして、怪我をしている本人の「自己修復」や「自然治癒力の発現」を手助けする訳である。

 其の、自然治癒力(癒しと呼び変えたりしてるが)の発現に効果有り!と言われるのが「1/fゆらぎ」という奴らしい。

 考えてみれば、自然界に存在する、ある一定のリズムを指すらしいのだ。

 小川の流れる音とか、そよ風のリズムとからしい。

 実際に、其のリズムを使っている治療機械とか扇風機がある。

 で、何処がニャーなの?であるが、例の「ゴロゴロ」である。
 咽を鳴らすというやつである。

 野生の猫科動物も鳴らすのかどうか知らないが、自分の診たところ、「1/fゆらぎ」と「ゴロゴロ」は、同じ様に感じる。

 確かに、ニャーの治癒力は物凄いものが在るし、具合が悪い時にはゴロゴロ言いながら(鳴らしながら?)じっとして治している。

 当然、機嫌が良い時にも鳴らしている。

 何時だったか、有名なサッカー選手が足を骨折した時に、折れた骨に直接電気を流して治癒力を高め。回復期間を短縮したとか。
 其の時の周波数(多分、低周波とか)が、ニャーの其れと同じものだった筈。

 まあ、人の言う事を良く聞く、聞き分けの良い、言いなりのニャーなど居ないだろうが、具合が悪い時には、文字通り「猫の手」を借りるのも、手、ではある。

身近な生き物

2006年09月08日 16時21分57秒 | こっち
 生き物づいております。

 犬や猫は、常に傍に居て、夜はニャーと寝てます。

 以前にも、書いたかも知れませんが、「狸」と「白鼻心」は、宇都宮でお馴染みであります。

 よく釣りに行っていた頃は、目の前を「鼬(イタチ)」が横切ると、大漁の予感で、確かに大釣したものである。
 「狸」の場合は、恨めしげに顔を見られることしばしば。「又、坊主か」と。
 鼬は、横切りざまに、止まって此方を見る。何故でしょうか?お決まりの様に、常に立ち止まっては振り向く。そして何も無かったように走って行くのである。

 狐や栗鼠、ムササビも出会った。

 が、中には出会いたくないモノも居るのである。
 自分は、爬虫類は平気なのであるが、蛇が川を泳いでいるのを見たときは、対岸に渡って釣をする気にはならなかった。

 いつぞやは、釣り上がり堰堤をよじ登り、そ~っと顔を出すと・・・
 湯気の上がったナニが目の前に・・・水辺には大きな足跡。
 何も言えずに、そのまま逆戻りしたのは言うまでも無い。
 林道に出ると、黄色い標識に「熊出没注意!」と、書かれていた。

 先日は、混雑する国道で信号待ちで繋がっていると、其の車の間を右に左に、道を渡ってチョロチョロしてるモノが居る。
 目の前を横切っていくソレは。猫より小さく鼠より大きい。細長い身体に短い尻尾。毛色は白っぽく短毛。どう見ても鼬かフェレットである。

 普通では考えられない生き物が生息しているのである。

 自分が知らないだけなのか、生態系が乱れているのか。
 気になるところでは在る。

 魚でもそうである。釣り上げた山女に朱色の斑点が在る。これはアマゴであるが、本来は東日本には生息していない魚である。
 筑波山で、岩魚を釣ったことも在る。これも、標高の高いところにしか居ない魚で在る。
 尤も、海で生まれた鰻が田圃の脇で獲れるのだから、何とも言えないし、無計画な放流が為されているのも事実であり、現実である。

 声はすれども姿は見えずで、「虎鶫(トラツグミ)」が、夜になると啼き、明け方には「仏法僧(コノハズク)」が啼く。
 どこに居るのか、そんな山奥ではない。田舎とはいえ。二桁国道沿いである。
 どんなところに住んでいるのか不思議がられそうである。

 因みに、虎鶫は「鵺(ヌエ)」のことである。ヌエの啼く夜は恐ろしいのアレである。確かに、気持ちの良い鳴き声ではない。
 何かが絞め殺されるような、とても鳥が啼いているとは思えない声である。

 又、とりとめも無い事を、うだうだと書いてしまった。

 生き物って不思議だな~。

無知の生物

2006年09月06日 17時28分16秒 | こっち
 未知ではない。自分の無知で判らない生物のことである。

 この手のネタが続くが、じぶんのお気に入りなのである。

 十数年前のことである。
 場所は、日光の渓流である。

 其の日は、源流近くまで岩魚を釣りに行った。

 かなり上った所で川幅自体は1mも無いところ、小さな落差が岩の間に細かい滝を作り瀞と巻き込みが良い渓相をしていた。

 のだが・・・釣り上がる足音に驚いたのか、何かが「ポチャン」と飛び込んだ。

 蛙か?と見ていると、水の中を、潜り浮き潜り浮きを繰り返しながら泳ぐように、落差を上っていってしまった。あれあれと言うくらいの速さで。

 20cmくらいで、黒いもの。尻尾は確認できなかったが、黒い短い毛が水に濡れて光っているように見えた。

 あんな山奥に、鼠が居るのだろうか?それより、(鼠の泳ぐところは見たこと無いが、)水に潜りながらあんな速さで泳げるものなのだろうか。

 どなたか、無知な私に、正体をご教示下され。

     今日の箴言
<喩え、自分の無知を曝け出すことになろうとも、不思議の正体が解明できるのであれば、恥とはならない。>

 

不思議な生き物の記憶

2006年09月05日 16時00分30秒 | こっち
 何時頃であったのか覚えていないのだが・・・。

 母方の田舎の神社での事だと思う。

 そこは、かなり山奥で、今はバスも通らなくなっている。

 其の神社の、本殿前の砂利を敷き詰めた広場に、それはあった。

 コンクリートで出来た大きな水槽である。

 うろ覚えなのだが、幅が2mくらい、長さが4~5mくらいか。高さが1mちょいくらいで深さは2~3mあったのだろうか。もっと小さかったかも知れない。
 半埋め込みに成っていたようだ。上には金網が被せられていた。
 何度か遊びに行ってその水槽の存在は知っていたものの、気にもしていなかった。

 在るとき、ふと覗き込んでみた。

 お目当ての、魚等は、雑魚一匹みえなかった。
 青い苔のようなもので覆われて生き物の気配はしなかったのであるが、黒い塊が、かなり大きい塊が横たわるように沈んでいた。

 あたまでっかち、というより、ずんぐりと長く先のほうはやや細くなり、平べったくなっていた。

 しばらくすると、その太い方が浮き上がってきた。細い方は其処に付いたまま、丸いものがくびれた形で水面に出てきた。
 其処には二つの穴が開き、蓋が閉まるように閉じると、又沈んでいった。
 そして何事も無かったかのように、ソレは元の状態にもどった。

 其の時は、アシカやアザラシのような生き物だなと思い、納得していたのだが、今になって考えると、アレは何だったのだろうか。

 山奥であり、水は淡水だった筈である。

 大きさは、小さく見ても3mはあったと思う。

 ヒレや手足のようなものは、平たく丸い尾のようなもの以外確認していない。

 上下に動く以外、泳いだり出来るスペースはなかった。

 淡水の水棲哺乳類? 自分には、思い当たる動物が出てこないのである。

 何故あそこに居たのかも不明だが、なんだったのであろうか。

 自分の中のUMAではある。

情報の取り扱い

2006年09月03日 15時59分50秒 | その他
 何事を起こすにしても、情報は必要であり大事である。

 しかし、何処かの国のように、最新の情報をよその国の提供に頼っていながら、集める量は多くとも、其の正確な分析が出来ない!のではなかろうかと疑わせるような所もあるので、個人の収集分析能力に、とやかく口出しすることは本意ではない。

 ではない!のではあるが、どうしたらそういう解釈が出来るの?と、頸を傾げざるを得ないような答えが出される時がある。
 質問に対する答えならば、それもアリかもしれないが、人の書いた文章を、勝手に自己判断分析して思い込み独自の解釈を施した上で、儂に対する非難のよりどころとするのはやめて欲しいのである。
 
 このての場合、殆どは、自分(反撃非難しようとしている側)にとって、都合の良い文言だけを無意識に取捨選択して、独自の理論体系を構築してしまうのだろうが、其の判断自体が間違って、又は恣意的に捻じ曲げられたものであれば、どこぞの隣国と呼ぶもおぞましい国と一緒である。

 普通に、平常心で読むならば。きちんと前後を把握し、一つの連続した文章として読むことが出来るならば、素直に読めると思うのだが。

 始めから、或いは途中からでも、思い込みに支配されると「疑心暗鬼」正常な判断は出来なくなってしまうのは、自明の理である。

 たかが私のブログである、そこに書いてあることを、丸呑みするなとは言わないが、勝手な裏読みで真に受けて、文句を言われても、何も言えないし出来ません。


  今日の箴言
<疑心、暗鬼を生ず> 「疑心生暗鬼」by「列子」

無知の恐怖

2006年09月02日 17時09分14秒 | あっち
 物事を知らないと言う事は恐ろしいものである。

 知らない当人にとって、ではない!その無知と係わる者にとって、である。

 当人の無知は自己責任で自業自得なのであるが、そのとばっちりを受ける方は堪った物ではない。
 受ける側で、予想なり予感なりで分っていれば対処のし様も在るだろう。が、その本人も気付いていない場合は・・・最悪である。

 自分のところに回って来る様なものは、大体があっち系なので、余計性質が悪い、ものが多い。
 所謂、生ものである。
 まあ、分っていれば、対処は出来るので此方に問題はないのだが。相手が、生ものであった場合。そっちに自業自得が行ってしまうのである。

 よく陰陽道とかで、式を打つ。というが、生ものも同じようなもので、一般には憑かれた、憑いた等と言う。のであるが、実際は「打たれて」いるのである。

 当然、祓ったりするわけだが、自分の場合「返す」と言う。
 文字通り「打ち返す」のである。

 で、相手が分っていれば、手加減のし様もあるのだが、普通は知らないし分らない。よって、全力でお相手することになる。
 
 今現在、復活直後でもあり、パワーも燃料が少ないだけで全開し易い分、相手は可哀相では在る。
 しかし、自業自得なのである。同情には値しないし、罰が当たって当然なのである。しかも、知らずにやっているなら未だしも、自覚が在るのであれば、押して知るべしである。

 であるからして、自分は何も気にしない。打たれた側も、打ち返された相手がどうなろうと、一切責任は無いので在るから、気にする事は無い!のである。

 しつこい奴は、逆恨みも甚だしく、打ち返した自分のほうに打ちかかってくるような無知蒙昧の無謀なお莫迦もいる。よ~く考える事だ。

 返すと言うのは、打ってくるからであって、返る時には、打った力に打ち返す力が加わる、打ち返すほうが強いわけであるから、クロスカウンターのように、何倍にもなって帰ってしまうので在る。
 ましてや、尚休が打ち返すのである。パワーロスは殆ど無い。
 それを、直接儂に打ってくるなど、自殺行為以外の何者でもない。倍返しはおろか、滅多にやらない処まで何の躊躇いも無く行使する。正当防衛である。大義名分が立てば、何処まで出来るか試してみたい気もするし~。

 いみじくも、弟子に言われた。  今日の一言
     
    <判ってて酷い事してる人だ>

  当然の事である。

 暗くなったので明るいお莫迦ネタを!
 妻の車で来て、妻だけ降ろし、買い物に行った夫。
 暫くして、夫が歩いてやってきた。
 「鍵貸して!」

 今時の車はカードキー。鍵をエントリーしなくても車は走る。
 しかし、エンジンを切ったらロックも出来ない、動かせない。

 彼は2kmの道のりを歩いていった。
 9月とは思えない陽射しのなかを。

復活

2006年09月01日 15時36分03秒 | お莫迦ネタ
 お祓いの仕方、方法には色々と在るものである。

 ヒントを戴いて、お祓いしてきた。

 カラオケである。

 当然のように、お神酒でお清めをしながら、言上げしてきた。
 プラス説教付である。

 で、何が復活したのか?

 気力は当然の事ながら、声が復活した。
 現役当時には比べようも無いが、不摂生をしている割には好調であった。

 魅惑の低音から幻の高音まで、漸くでは在るが。3オクターブはクリアーである。
 声量も、腹に力が入るようになったので、マイクの距離は一尺をキープできた。

 うはははは、今日は、唯の自慢である。
 まあ、こんなのも良いだろう。

 レパートリーは・・・、秘するが華である。