気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

こんにゃくパークのBIGプリン

2020-02-14 19:25:19 | B級グルメ
会社の女性事務員さんから、「こんにゃくパークのBIGプリンシリーズ」を業務スーパーで見かけた!との情報を得ました。
この商品、実はちょっとネットで話題になっています。
300gも内容量があり、低カロリーで安価。
ちなみに、「カスタード風プリン」のカロリーは100gあたり77kcal。
値段は、業務スーパー価格で1個88円(税別)。
他のプリンと違うところは、こんにゃく粉が入っているところ。
とにかく、買いたくても普通のスーパー・コンビニではなかなか売っていない商品のようです。



早速、私も購入して来ました。
種類は5種類でしたね。
「カスタード風プリン」「抹茶プリン」「黒蜜きな粉プリン」「カフェラテプリン」「ミルクプリン」。
私は今回、ミルクプリンを除く4個を購入。
ちなみに、ネットの情報によると、昨年夏までは内容量が280gで、「カスタード風プリン」「抹茶プリン」「ミルクプリン」「マンゴープリン」「杏仁プリン」の5種類だったようです。



実は、このプリンシリーズをしばらく夕食に置き換えようと思っているのです。
最近、またブクブク太って来て、着るものが窮屈で仕方ありません。
それに、5月の連休明けには定例の健康診断が待っていますからね。
このまま、今の食生活を続けたらヤバいのです。





昨日から、こんにゃくプリンダイエット開始。
まずは、黒蜜きな粉プリン。
フタを開けると、プルプルです。
量があるし、適度に弾力があるので食べ応え十分です。
味も甘くて美味しい。
ちょっと、この甘さに罪悪感はありますが---。
人工甘味料ではなく、果糖ぶどう糖液糖を使用しているからです。
まあ、完食しても1食200Kcal程度なので、良しとしますか。





今夕は、カスタード風プリンを食べました。
これも、こんにゃく粉のお蔭でプルプル!
このプリン、めちゃくちゃ美味しいです。
バニラエッセンスが効いていて、カスタードプリンそのもの。
カラメルは掛けてありませんが、カラメル風味はします。

これで、ダイエット出来れば最高ですね。
ちなみに、ネットではミルクプリンの評判がよろしいようです。
しまった~、次回は必ず買って来ようっと。

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オイルの海

2020-02-13 18:49:52 | 日記
昨日の朝、寒かったですよね。
クルマのフロントガラスには、霜がビッシリ付着していました。
こういう寒い朝には暖気です。
フロントガラスに暖かい空気をあてて霜を溶かすのです。
エアコンのスイッチを入れて、ドアを閉めて、自室に戻ろうとしたその時---。
右前輪付近に水たまりがあるのを発見!
あれ!?
昨晩から朝にかけて、雨降ったっけ?



今朝ではありませんよ。
昨日の朝です。
雨、降ってませんよね。
じゃあ、この水たまりは何なの?
近付いて、良~く見ると油ですよ。
私のポンコツ「ワゴンR」から漏れたオイルのようです。
驚いた驚いた!
オイル、こんなに漏れちゃったの---レベルです。



慌てて、自室に戻り、古いメリヤスのシャツを持って来ました。
そして、ゴシゴシ シャツでオイルの拭き取り。
このオイル跡が付いた写真は、拭き取った後のものです。
やばいなあ、半年くらいは跡が残りますね。

一旦、実家へ行き、朝食と身支度。
そして、いつもより20分ほど早く実家を出ました。
わずか数十分でも、クルマの下に敷いた紙には茶色いオイル痕がこの通り。



コバックで見てもらうと、エンジンオイルではないとのこと。
「トランスファーオイル」の漏れだそうです。
聞いたこともないオイル名です。
容器のパッキンが摩耗して、隙間からガンガンオイルが漏れたようです。
部品取り寄せのため、1日程度預かるそうで、代車に「アルト」があてがわれました。



そして今日、ワゴンRを引き取りに行ってまいりました。
新しい部品の装着とオイル注入と工賃、全部で14,036円(税金)請求されましたよ。
今年の2月は、車検もなく出費が少なくて助かる---と思っていたのも束の間でした。
トホホ。


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羅・舜で久々のお通し定食

2020-02-12 18:10:45 | B級グルメ


今年に入って初めて、辰野町で仕事。
昼ご飯は、辰野町樋口の「羅・舜」(ラ・シュン)で。
久々に、メニューには載っていない「お通し定食」(コーヒー付き・税込1,000円)をオーダーしました。
羅・舜は、夜の営業では「カラオケスナック」に変貌いたします。
なので、ママさん特製のお通しが昼間仕込まれているのです。
そのお通しを何品かチョイスして、定食として出して貰えます。





今日のお通しは何でしょうか?
おっ、来た来た。
いつものようにおかずがいっぱいであります。
まず、メインは「山賊焼」。
県外の方にご説明すると、大きめの鶏の竜田揚げと言ったところでしょうか。
今回は、専門店のそれと比べると、ちょっと小振りの山賊焼。
そこへ、昨日定休日に上田市の飲食店で買って来たという「おいだれ」が掛けてあります。
おいだれと言うのは、上田で焼鳥を食べる際に、直前に掛けるたれのこと。
「美味だれ」「追いだれ」の意味があるそう。
にんにくやりんごを摺って投入した、その店独自のおいだれが、上田では楽しめるようです。

このおいだれ、最高に旨いです。
私は、初めておいだれというものを頂きましたが、山賊焼にも合います。
にんにくとりんごの風味が堪らんですね。



あと何だろう?何かの天ぷらがありますよ。
ブロッコリーの天ぷらですかね?
ママさんに尋ねたところ「たらの芽」の天ぷらだそうです。
こんなに早く、たらの芽が味わえるとは---。
ハウスものだと思いますが、春の味、堪能いたしました。







そして、生野菜・ポテトサラダ・辛子明太子・味噌汁・ご飯。
ねっ!結構バラエティに富んでいます。
食事が終わった後は、コーヒーとお菓子が出て来ます。
いつも お菓子は食べ切れないので、お土産にしています。
ご馳走様でした。


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野村克也氏死去

2020-02-11 19:56:47 | 日記
今日、クルマで買い物に出掛けていたのです。
カーラジオからは、ちょうど10時のニュースが流れていました
「戦後初の三冠王に輝いた野村克也氏が死去しました」の報。
驚きましたね~。
先月、故金田正一氏のお別れの会に出席していたじゃないですか---。
車いす姿で、顔の表情も決してお元気そう---とは言えませんでしたが、まさかこんなに早く訃報を聞くことになるとは。
本当に信じられませんでした。
金田氏、野村氏と戦後プロ野球のスーパースターが立て続けに逝ってしまいました。



私は、野村選手の現役時代を見ていますからね。
昭和48年(1973年)、南海がパリーグ優勝したのを鮮明に覚えています。
南海の監督兼捕手。
キャッチャーをやりながら、監督でしたからね。
凄い人でした。
その後も、ロッテと西武で現役を続けました。
あの頃、40歳を過ぎても現役---なんていませんでした。
西武を退団(引退)したのは45歳のとき。
「生涯一捕手」という名言も残しました。
そして、現役引退後の監督生活では「データ野球」の名将・知将として名を馳せました。

さて、5年前に、このブログで野村氏のことを書いています。
今日は、その復刻版を掲載して、追悼したいと思います。
安らかにお眠りください。



シダックス野球部

(前文省略)
調布飛行場の周りは、調布基地跡地運動広場(旧関東村)と言って、広大な土地に沢山のサッカー場や野球場があります。
私も、郵便局の野球同好会や、地元の草野球チームに幾つも加入していたので、土日と言ったら、この関東村に良く来ていましたね。
隣が調布飛行場なので、スリル満点。
本当に、小型飛行機が間近を飛んで行きます。

さて、皆さんは、「シダックス・硬式野球部」を覚えていますか?
活動期間は、1993年 ~ 2006年までのたった13年間。
しかし、都市対抗(最高・準優勝)や社会人野球日本選手権(最高・優勝)に出場すること多数。
当時例が無かったキューバ人の選手・監督をスカウトしています。
あの野村克也氏も、阪神の監督の後、3年間GM兼監督を務めています。



シダックスは、調布市が本拠地だったのです。
しかし、調布には、味の素スタジアムはあっても、観客が入場出来る野球場はありませんでした。
シダックスは、なんと関東村の草野球場で、毎日練習していたのです。
金網もフェンスもありませんから、練習は見放題。
私も、草野球の練習や試合があると、シダックスの練習風景を見ていました。

もちろん、お目当ては野村監督。
あの南海・ヤクルト・阪神で監督を務めた名将がすぐそこにいるのです。
今から思えば、投球練習をしていたあの投手が、野間口貴彦投手(巨人)だったり、武田勝投手(日本ハム)だったのかも知れません。
2006年に、野村氏は楽天監督に就任。
同じ年の10月をもって、シダックス硬式野球部は廃部となりました。


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お年玉切手シート

2020-02-10 20:26:49 | 昭和レトロ
本日、お年玉切手シートの交換に郵便局へ行ってまいりました。
令和最初のお年玉切手シート。
今年は、80枚ほど年賀状が来て2枚の当選でした。
100枚で3枚の当選確率なので、まずまずですかね。
ちなみに、母親は30枚到着で1枚当選。
確率とは恐ろしいものです。

今年の切手シートの絵柄は、「福」と「寿」の字ですか。
ずーっと干支が主流だったのに、今は字なんですね。
時代の流れを感じます。
※良く見たら、福という字の中にねずみがいましたね。



今は、郵便局の窓口に当選はがきを持ち込むと、「お年玉切手シート引渡証」に枚数を書きます。
局員は、引換証に書かれた枚数とはがきの枚数をチェックして、はがきのくじ部分に消印して、枚数分の切手シートを渡してくれます。
もちろん、持ち込んだ年賀はがきも“無傷”で返してくれます。

私が郵便局員だった頃は、くじ部分を切り取っていましたからね。
無傷で年賀はがきが返って来ることはありませんでした。
お年玉切手シートの当選が50枚もある人は、切るのに一苦労です。
道具は事務用のはさみですから、本当に難儀しましたよ。
そして、切手シートの交換と一緒にお願いされるのが、「書損はがき」の交換です。
1月20日から2週間くらいは地獄でしたね。
切り取ったくじの束も書損はがきの束も、窓口が終了するまで整理できずに、置きっ放しでした。



ちなみに私が最初に、お年玉切手シートの交換業務を担当したのは昭和59年(1984年)のお正月。
今から36年前です。
ということは、奇しくも3回り前のねずみ年。
あの頃は、確かにねずみの図案の切手でありました。

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