気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

力道山講演会

2013-12-12 20:49:59 | 昭和プロレス
今日の信濃毎日新聞に、伊那市立図書館で本日午後5時から「力道山とわたし」と題した講演会があるという記事がありました。
私、すぐに行きたい衝動に駆られましたよ。
私が社会人1年生のときに、力道山没後20年のブームがあって、たちまち虜になりました。
本や雑誌を買い漁りましたね~。
新宿に、高橋伴明監督の映画「ザ・力道山」を観に行ったりもしました。



あれから30年、今年は力道山没後50年です。
今日の講演会の講師は、なんと力道山の弟子でいらっしゃった「鄭 康雄」(70歳)さんです。
昔のリングネームが「黒川康雄」というプロボクサーの方です。
力道山は、言わずと知れたプロレスラーですが、リキジムというボクシングジムも経営していました。
そのリキジム所属の鄭さんが、南箕輪村に住んでいるというのを聞いて、ビックリしました。

鄭さんのお話は、昭和36年のリキジム入門から38年の力道山の死去まで、オフレコの話盛り沢山でした。
38年12月8日に力道山は、赤坂のクラブ「ニュー・ラテンクォーター」でチンピラに腹部を刺されますが、その後の足取りを克明に教えてくれました。
病院で手術して成功したものの、飲食厳禁を守らず、弟子にパンや牛乳を買いに行かせて、それを食べていたそうです。
それが原因で、腹膜炎を起こして急死してしまいました。
因みに鄭さんが看病担当のときは、一切買い与えなかったそうです。
知ってはいた死因でしたが、関係者から聞くと、真実味が増しますね。



最後に、質疑応答です。
質問者は、今朝の信毎を見て駆け付けた輩ばかり。
私も5番目くらいに、質問させて頂きました。
私の前の回答で、30数年前、伊那勤労者福祉センターに全日本プロレスが来た際、ブッチャーが試合で流血したにも関わらず、会ってくれたことを話してくれました。
すかさず当てられた私、冒頭に「そのブッチャーが流血した試合で、ティッシュペーパーで血を拭き取っていたのが私です!」
室内、大爆笑に包まれました。

とっても楽しい2時間でした。
「伊那谷自由雑学大学」と言って、1ヵ月に1回例会が開かれているそうです。
知らなかった~。

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