気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

川上哲治氏を偲ぶ

2013-10-31 19:03:50 | 昭和レトロ

読売巨人軍の元監督・川上哲治氏が、28日にお亡くなりになりました。
享年93歳。

私が小学生の頃、川上監督率いる巨人軍は、V9の真最中でした。
ON(王・長嶋)がいて、右のエースが堀内、左のエースが高橋一三。
森(捕手)・土井(二塁)・黒江(遊撃)・高田・柴田・末次(外野)が脇を固めていました。
私の親父が巨人の大ファンだったため、なぜか私も当時は大好きでしたね。
昭和40年代、長野県には民放が2局しかなく、プロ野球中継は週に3日あれば良い方でした。
なので、毎日ラジオでナイター中継を聞いていましたね。
私、今でも覚えていますが、最晩年に当時売出中の河埜の左手に、大洋の平松のシュートボールが当たったのです。
それを主審にストライクとコールされて、川上監督が激高、生涯唯一の退場処分となりました。
あと3ヶ月で、野球人生が終わるというのに、もったいない記録を作ってしまいました。

昭和49年、私が4年生のとき、ついに巨人軍の優勝は途絶えてしまいました。
巨人×中日の最終戦は、後楽園球場でダブルヘッダーでした。
この日、長嶋が引退式を行うというので、急いで学校から帰った記憶があります。
長嶋だけが騒がれていましたが、イコール川上監督の勇退でもあった訳です。
凄いですよね。9年連続リーグ優勝&日本一ですよ。



川上監督引退後、私は5年生か6年生のときに少年野球教室でお会いしています。
今日の信濃毎日新聞の記事中の写真に、昭和50年の長野市での野球教室の模様が掲載されていますが、まさにその前後。
確か、伊那にも来たのですよ。
NHKの解説陣(懐かしの加藤進氏もいました)が何人かで指導してくださいました。

あと、茅野市蓼科に別荘があったため、伊那市高遠町の「中央道晴ヶ峰カントリー倶楽部」で良くプレーされていました。
何を隠そう、私のお袋が6年前までここの従業員だったため、たびたび目撃しています。
伊那市の飲食店の多くに、川上元監督のサイン色紙が飾られているのは、そのためです。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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