気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

東海大三高 野球部凄い!

2013-10-20 19:33:59 | 昭和レトロ
秋の北信越高校野球大会、長野県茅野市の東海大三高校が決勝戦まで駒を進めました。
北信越ブロックの来春のセンバツ甲子園枠が2校。
ということは、決勝に進んだ東海大三と、日本文理(新潟県)が最有力候補となります。
ただ、決勝戦が10-0とかになると、準優勝校は推薦されない可能性もあります。
今日、決勝戦が中止になったので、明日仕切り直しです。

東海大三、長野県の私学の中では一番好きです。
もちろん、南信にあるということも一因です。
私が中学3年生だった昭和54年の今頃、東海大三は北信越大会で快進撃を続けておりました。
今から34年前です。
当時は、野球では無名。松商学園が強過ぎました。
生徒の数も少なくて、パッとしない高校だったのは否めません。
しかし、校長先生(山崎諭先生)が監督に就任すると、メキメキ強くなって行きました。
それまでの、東海大系でお馴染みのピンストライプ(縦じま)のユニホームから、純白のユニホーム・帽子に変更。
「弱い高校の選手が、ピンストライプのユニホームを着てはいかん!」という校長先生の意向でした。
(大ブームが起こった東海大相模の原辰徳らの影響が大きかったと思います)
後に、開校した大阪の東海大仰星高校も大阪府高野連の決まりで、純白のユニホームを着ていましたっけね。
東海大三高・純白ユニホーム
何の因果か、初代校長は山崎先生でした。
ちなみに、山崎先生は、東大時代、東京六大学リーグで唯一2位になったときのエースだった方です。

話を戻します。
昭和54年秋、北信越大会優勝、明治神宮大会も優勝。
で、東海大三は一躍有名になってしまいました。
当時は、センバツの北信越枠って1校だったのですが、文句無く推薦されました。
私、当時は、高校野球キチ○イ。
東海大三に入学したくてたまりませんでした。
入学したら、甲子園に応援に行けますからね。
実際、受験したんですよ。
合格もしたのですが、徒歩で通える県立高校にも合格していたので、止む無く東海大三はあきらめました。
(結局、昭和55年のセンバツ出場以降、しばらく甲子園には出られませんでした)

この新聞記事(良く持っているよな…)、二塁手の土屋選手が、そう夏の大会までの監督さんです。

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第27回 行者そば祭り

2013-10-20 15:00:23 | B級グルメ
 


伊那が信州そば発祥の地なんだそうです。
しかも、小黒川上流域の内の萱で、奈良時代に山岳信仰で訪れた行者が、一握りのそばの種を渡したところから始まるというロマンいっぱいの話です。
今日は、その内の萱スポーツ公園で、第27回の行者そば祭りが行われました。
私は、来賓で呼ばれている坂下区長さんの運転手でやって来ました。
お祭りですから、神事があって、それから直会(なおらい)。
区長さんが一杯飲むため、私が運転手です。





直会では、私も呼んでくださり、ご相伴に与かりました。
大根をおろした辛いつゆに焼味噌を解いたのにつけて食べるのが、本来のこの地方の食べ方だそうです。
(行者そば・高遠そば)
直会では、その辛つゆで頂きました。
初めての味です。
くせになる辛さと味噌の素朴な味。
美味しかったです。
他に、手作りの五平餅と豚汁も頂戴しました。





区長さんが、一杯やっている最中、今度は自費(600円)で、いつもながらの醤油つゆで食べてみました。
これも、食べなれているから美味しい!
結局、2枚食べてしましましたよ。

今日を含めて4週に渡り、市内随所でそば祭りが開催されます。


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