気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

ジョー樋口

2010-11-08 22:26:22 | 昭和プロレス
数ヶ月前に山本小鉄さんが亡くなった事をブログに書きました。
今日のネットニュースで、ジョー樋口さんが亡くなった事を知りました。
私がプロレスを見始めたのが、小学校5年生の昭和50年頃です。
その頃、もうジョーさんは、全日本プロレスのメインレフェリーでしたね。
もっとガキの頃、祖父が見ていた日本プロレスをチラッと見たとき、レフェリーは沖識名という年輩(お爺さんだな…)。
動きが鈍くて、時にシャツをビリビリに外人レスラーに破られているシーンが映って、レフェリーに対する失望感を抱いていました。
それが、何年振りかで見たプロレスには、スリムでスキンヘッドで、動きがシャープな青年レフェリーが英語をバンバン使って裁いていました。
なんでもNWAオフィシャルレフェリーのジョー樋口というレスラー上がりのレフェリーとの事。
とにかく、動きが俊敏でしたね。
そして、派手なコスチューム。
上下とも黒、赤、水色、オレンジ、緑ですよ。(時々上下色違いもあった)
今まで、レフェリーと言ったら、黒かグレーのズボンに黒縞のシャツか白シャツだったでしょう。
ジョーさんは、その殻をうち破った人です。
さすがに、50代・60代になると、だんだん動きが鈍くなっていきましたが、ブッチャーやハンセン、ブロディに吹っ飛ばされても、また立ち上がって裁いてましたから、凄い体力を持った人に違いありませんでした。
レフェリーを引退した後も、ノアのGHCタイトル管理委員長を務め、委員長現役のまま、本日肺腺癌のために死去しました。81歳。
全日本プロレスは、昭和51年を皮切りに結構生観戦しています。
ジョーさんは、スーパーヘビー級のレスラーに挟まれると、小さく見えますが、どうしてどうして元レスラーだけあって良い身体してましたよ。
心からご冥福をお祈りいたします。


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遅ればせながら…ほうきとはたき

2010-11-08 18:38:30 | 日記
引っ越しして2ヵ月半、やっと生活ペースも慣れてきたところです。
しかし、1日に実家とアパートを何往復もするのは面倒くさいといつも思ってしまいます。
でも、私の安月給では2人分の食費まで負担するのはとても無理。
食事は、実家で世話にならないと、とてもアパート暮らしは出来ません。
実は、私は児童扶養手当を受給しているので、申請すれば、給食費が免除されたり、学用品代を市が支給してくれたりするのですが、敢えて申請していないのです。
くだらない見栄だけですが、そろそろ貯蓄の切り崩しも底が見えて来たので…。
それから、申請して受理されるまでに、色んな審査があるのです。
学校長や教育委員はわかります。
驚いたのは、民生(児童)委員の見解があること。
民生委員と言ったら、一昨日まで、一緒に独居老人宅を訪問していた方々ですよ。
その近所の民生委員に、貧乏な私の審査をして貰うなんて、とてもいたたまれません。
そんな民間人に私の個人情報を教えるなんて、市の見識も疑います。
そんな訳で、貧乏ですが、私の諸々を切りつめて、給食費も学級費もちゃんと今のところは払っております。

なんで、こんな貧乏話になってしまったのか…。
引っ越しして2ヵ月半経過して、今頃娘に要望されて、ほうきとはたきを買ってきました。
キャンドゥで210円也。
これ、貧乏とは関係ありません。
ここお金掛けるところじゃありませんから…。

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