半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

大晦日のことなど

2014年12月31日 08時01分59秒 | 日記
時の移ろう速度が加齢と共に速くなって、今日は早くも大晦日で、
光陰矢のごとしを毎年のことながら実感する日でもある。
今年は、いろんなことがあった。
一月に母と永遠の別れをし、その後は大雪に2回ほどみまわれ、火
山噴火、地震と散々な思いをさせられ、心地好い季節の春夏秋が瞬
く間に過ぎ去ったと思ったら、明日は、新年が明ける。今年は、喪
中なので、注連飾りも鏡餅も無い目出度さも中くらいの年明けとな
りそうである。

子どもの頃の年取りは我が家に限らず、何処の家でも一大行事だっ
た。年末の30日頃は父母が、暗いうちから餅米を蒸して、杵で餅
をついていたので、その音で幼い兄弟は目覚めた。はっきりは覚え
ていないが、5,6臼以上はついたような気がする。鏡餅も床の間
用、神棚用、仏壇用と何種類もつくった。冬場の主食ともなるので、
切り餅も木のリンゴ箱が一杯になったような記憶がある。

年取りの晩は、年取りの魚の鮭を食べた、我が家は、ゆでた新巻鮭
に酒粕を溶いたものを掛けて頂いた。当時の鮭は、現代のように甘
い鮭では無く、かなり塩が効いていた。
お節料理はのほとんどが母の手作りで、昆布巻き、田作、レンコン、
黒豆、蒲鉾、真っ赤な酢だこ、きんぴら牛蒡、なます、金団などが、
本塗りの重箱に重なって納まっていた。それと忘れられない味に鯉こ
くがあった。極めつけは、母が打った自家製の蕎である。蕎つゆは、
雉の肉でダシをとった脂が浮いた濃厚なものだった。それに、冷水を
くぐり抜けた蕎をつけて食べるあの味は、大晦日の母の味でもあった。
それらを肴に、普段は自家製のどぶろくを飲んでいる祖父と父は、清
酒の熱燗を大事な物を飲むようにチビリチビリ酌み交わしていた。半
世紀近く前の思いでである。
今は、独りきびきびと動き回っていた若く綺麗だった母の横顔が懐か
しい。

今年の年取りは、母を偲びつつチビリチビリと父の晩酌の相手をする
つもりである。

来年は、何やら不吉な時代に突入する元年になりそうな気がする。い
や、確実に右へ右へと進む舵はきられているので、加速するだけなの
かも知れない。

とは言え、この拙ブログを訪れてくださる方々にとって、健康で少し
でも佳いことがある年になるよう祈念いたします。
一年間お付き合いいただきありがとうございました。