足が痛いことが無くなったとは言え、どこも痛くないわけではない。ちょっとしたことで足首が痛くなったり、膝が痛くなったりはある。
股関節が治ったのだから、もうどこも痛いはずがないと思ってるのも変な話だ。
変な座り方をすれば、それなりにどこかに歪みはいく。でもずーっとその痛みは続かない。いつの間にか痛く無くなるし、また別のところが痛くなることもある。
つまり痛いということは、生きている証拠なだけだ。そして、痛みに関して敏感になりすぎているだけだ。
そう考えると、どうということはない。
出かけたら結構歩けるし、翌日は仕事もできる。ジムにも通える。明日、急に死んでしまうわけもない。
病気や手術、痛い経験が長かったから、まだこの先に何かがあるのではないかと思ってしまうだけなのね。
まあ、気にしないで生きてなさいよ。と、もう一人の私が言っている。
股関節の半年検診に行ってきたが、症状に関するアンケートがたくさんあって、どんな時にどのくらい痛むかとか足の爪は切れるかとか、寝ている時の痛みはあるか、その痛みの大きさはどのくらいかなどなど。
先生の診察の時、順調でもっとさらに良くなるからどんどん歩きなさいと言われた。
そうか普通にしてて良いんだな、怖がることはないし、もっと馴染んでくるのだな。と再確認した。
1月と2月はいろいろな部位の健診があって、それぞれ無事に終わったところです。
さあ、明るい気分で新車に乗ってみましたよ。図書館の地下の駐車場に入った途端、車のライトが自動でついたり、私の年代にはとても親切な可愛い顔をした車なのよ。
夫は、いつ私が車に乗るかを伺っていた。
「ジムに行かないの?」と何度も聞いてきた。
私は家にいる時はピアノやエレクトーンも弾くので、色々都合もあるし初めは1人でゆったり運転したかったので、「まだ行かないよ」と答えた。
夫は何かをこぼしたりこぼしたものを踏んづけたりして台所の床を汚したり、トイレは使うが掃除などしたことがない。汚したあと、汚れていたよと言ってもどこ吹く風だ。あまりにひどい時は拭いてもらったが、かわいそうな感じだった。
糖尿のせいかと思うが、多分手先や足先に力が入らないのかもしれない。
とても悪い言葉でそれを知らしめようとしたこともあったが、すごくそのあと気の毒に思う。しかしまたすぐあと夫は毒舌で返してくるので、やはり可愛くないなとは思う。
もうその繰り返しだが、夫はいてくれるだけで良いのだと思うことにする。
ひとり暮らしの友人がいるが、多分私は難しいと思うから。
あの家にひとりは、キツい。
10歳で母親と差別し、25歳で1番仲の良かった妹と死別したトラウマがある。
私がコバちゃんだったなら、自分がいなくなったあとの息子や娘の行く末を見ることができないので、それぞれが幸せでいてくれなくては困る。良い伴侶に恵まれてて欲しいと願うだろう。伴侶と変わらず仲良くしてて欲しいと願うはずだ。
だから私は、自分のことを棚に上げて夫を批判しないことにしたの。
長女の私は何かと上からものを言う。妹や弟に対してもそうだったような気がするし、ピアノやエレクトーンを教えていたから、先生という立場からも尚更だ。
さも自分が正しいかのような。
気をつけるようにするの。
今日も車に乗って、D2にお花を見に行ってきます。
お天気もいいしね。
ではまたね。
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