(ブログ読者の投稿です)
「不適切な」表現とは?
落語のビデオで「現在では不適切な表現が使われている」という字幕が出たが、どこが「不適切な表現」なのかわからなかった
先日、ちょっとショッキングな体験をしました。落語のビデオを見ていたところ、こんな字幕が流れたのです。
「現在では不適切な表現が使われている場面がございますが、古典落語の文化を尊重し、そのままにしております。予めご了承ください。」
そして、さらに唸(うな)ってしまったのは、その後に収録されている落語を聴いても、私にはどこが「不適切な表現」なのか、わからなかったからです。
テレビ局が寄席番組を流すと、与太郎ものは知的障害児の差別につながるとか、廓噺(くるわばなし)は女性差別だといったクレームが寄せられるということは以前から耳にしたことがあります。しかし、そういうものは聴いてみればなるほどそうかも知れないという箇所がどこかにあるものです。今回のように、どこが「不適切」なのかまったくわからない、ということはありませんでした。ところが、今回のビデオでは、残念ながら少なくとも私には、どこが「不適切」か、わからなかった。
わからないままに「今日的には不適切」なことを平気で話したり、書いたりしているのかも知れない、という恐ろしさ
ということは、私が人前で話したり公開される文章を書いた場合、どこがそうかわからないままに「今日的には不適切」なことを平気で話したり、書いたりしているのかも知れない。そう思ったら、怖くなってしまいました。
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん、「今日的には不適切」とされ、自殺に追い込まれた?
今年の訃報でショッキングだったのは、上島竜兵氏(ダチョウ倶楽部)の自殺(5月)でしょう。「熱湯風呂」といった彼の芸風が、子供らにイジメの見本を示しているようで今日的に適切ではないと、テレビ出演の機会を減らされていたのが原因ではないかとささやかれています。「熱湯風呂」だとか、ドライアイスを食って口から煙を吐けだとか、一時はさんざん面白がって上島氏にやらせていたくせに、「今日的ではない」と批判がくれば閉め出してしまったのだとすれば、テレビ局も随分ひどいことをするものです。
国家の検閲も恐ろしいが、知らないうちに表現、思想が規制され、何が不適切なのかさえ議論できない「業界の自主規制」も恐ろしい
戦前のように検閲によって、国家が不適切と考える表現の削除や改変を命じるならば、言論弾圧となります。ところがこのように、「業界の自主規制」として不適切認定が進められてしまうと、世間が気付かないうちにどんどん規制が進んでいく。表現、ひいては思想が規制されてしまう。本当に不適切なのかどうか、議論する場も封じられてしまう。これもまた、怖いことなのではないでしょうか。気が付いたら、年寄りは何も言えない時代になっているのかも知れません。
ディズニーの自主規制から不適切表現を考える
こうしたことは日本でだけ起っているわけではなく、アメリカではディズニー作品の自主規制が進んでいるそうです。「ピーター・パン」に出てくるアメリカ・インディアンの描写が差別的だ。「ダンボ」に出てくるカラスのギャング団は黒人を思わせるからダメだ、といった指摘を受け、再編集が進められているのだとか。
そしてこの「アメリカ・インディアン」という言葉自体もアウトだそうです。「ネイティブ・アメリカン」と言わないとコンプリアンス違反になるようです。
時代によって変化する「常識」で、落語とか映画の過去の作品に今から遡って手を入れることへの違和感
もちろん「常識」は、時代によって変化するものです。例えば明治の初め、写真を撮るのに奇数人では、真ん中の人の寿命が縮むなどと、本気で信じられていたといいます。現代に我々がやっていることだって、100年後には「令和の頃って、こんなことやっていたんだ」と笑われる日が来るかも知れません。しかしそのことと、落語とか映画など、既に出来上がっている作品に今から遡(さかのぼ)って手を入れようとするのは、どこか違うのではないかと思うのは私だけなのでしょうか。(了)
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落語家がマクラで、不適切な言葉があるけど、ご勘弁をと笑いをとってたりする。
職業や身体障害など差別に関わる言葉は、時代とともに他の言葉に置き代わっているから、今の言葉のほうが伝わりやすい。 でも、〇〇従業者とか、〇〇障害者という置き換えは古典芸能には向かないね。
放送禁止用語のなかにも、板前、親方、芸人、ぎっちょ、片足、尻拭い、魚屋、移民、首切り、インチキなどは、禁止にしなくてもというものも多い。
与太郎は人並みの仕事はできないが、親孝行で奉行所から報奨金をもらう。そのお金で長屋のみんながアイデアを出して、「孝行糖」という飴の行商人になる。 障がい者を排除しないインクルーシブな社会。
現在は、ちょっとの違いも認めず、障がい者に仕立て上げ、排除する。 同質で同調圧力が強い生きにくい社会。
禁止用語、不適切発言、あんまり気にしないでいいし、言葉は上から押し付けられるものではない。
ただ、政治家とか、企業の経営者とかのあんまりの差別用語、不適切発言が多いんだよね、
しかも不適切とも思っていない。 これは徹底的に追求すべき。