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Narashino Geography 22 産業革命と工業

2021-03-15 08:21:04 | 地理学

産業革命と工業

英国で始まった産業革命


産業革命は18世紀半ばの英国で始まりました。

その背景になったのは、市民革命や、16世紀の宗教改革で、教会の権威が絶対のものではなくなり、世俗的な活動、自由な経済活動を認めることになります。今では「利益追求」は当然のこととされますが、ヨーロッパの中世では禁欲が是とされて、利潤を追い求める経済活動は教会の権威によって抑制されていました。

1848年の「諸国民の春」。変革の主体はブルジョアジーから労働者に移る
また、1848年の「諸国民の春」はヨーロッパ諸国でほぼ同時に起こった労働者を主体とした革命でした。(マルクスの著作「共産党宣言」が書かれたのもこの年)


この動きの背景には、モールス信号の発明による情報の共有がありました。


フランス革命(1789)は都市商工業者(ブルジョアジー)による革命でしたが、1848年に労働者主体の新しい革命がヨーロッパ各地で起こったのでした。その結果、市民社会への変革が進みました。産業革命が進展した英国では労働者は過酷な労働を強いられていました。19世紀後半の英国ビクトリア朝は英国の最盛期でしたが、ロンドンには、失業した労働者が家を失い、道端には多くの遺体が放置されるような状況も見られました。社会の格差が拡大し、経済、社会も停滞することにつながりました。

(労働者の窮乏生活)


(過酷な「児童労働」で、成人前に亡くなる子供が多く、平均年齢が15〜19歳だとも言われた)

(「機械のおかげで仕事を失う」として機械を破壊した「ラッダイト運動」。リーダーたちは重罪、処刑されたりしました)


福祉向上運動で「ゆりかごから墓場まで」と言われるようになった

労働者の普通選挙権獲得運動「チャーチスト運動」などとともに、資本家の中からも労働者福祉を考える動きが出てきました。労働者を人間として扱い、労働力として再生産することが社会のためにも、資本のためにも有効、と考えたからです。


(チャップリンの「モダンタイムス」。人間が機械の歯車にされています)


労働者は生産の「道具」ではなく、新たな「消費者」という存在(階級)になりました。労働者のための住宅や社会保障制度なども徐々に整備されて、その後の「ゆりかごから墓場まで from the cradle to the grave」と呼ばれた、高福祉国家イギリスの基礎となりました。

ゆりかごから墓場まで - Wikipedia

「新自由主義」政策への転換と福祉の後退

しかし、こうした流れを元に戻し、「小さな政府」をスローガンに、規制緩和、労働組合への攻撃などで「資本の自由」を確保しようとする流れが起きてきました。資本主義初期の「古典的自由主義」に対し、「新自由主義」と呼ばれます。

1980年代のサッチャー政権で進められたサッチャリズム(新自由主義的な改革)によって、石炭産業などの多くの国営企業が民営化されると、結果として福祉・社会保障制度は後退しました。
(映画「パレードへようこそ」、サッチャーの炭鉱労働組合つぶしとの闘いをゲイの人たちが支える、というコメディー)


同じ頃米国では、レーガン大統領の下で「レーガノミクス」と呼ばれる企業中心、軍事優遇の経済政策が進められました。
日本では「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根首相のもとで、国鉄(現JR)分割・民営化が行われ、「電電公社」も日本電信電話株式会社 (現・NTT)にされ、その後の民営化、労働者非正規化、新自由主義政策につながっています。半官半民だった日本航空の完全民営化も進めました。

小泉純一郎首相の「聖域なき構造改革」

2001年から2006年まで在任した小泉純一郎首相もまた、新自由主義の色濃い政策を行いました。「聖域なき構造改革」をスローガンに、郵政事業と道路四公団を民営化し、小さな政府の実現を目指すことになったのです。また、労働者派遣法の規制緩和により、派遣社員として働く人の数が増加することとなりました。

これが安倍首相の「アベノミクス」へとつながりました。菅義偉(すがよしひで)首相が「自助・共助・公助」と言って、自助を優先するのも同じ路線です。

経済政策は成功せず、「弱いものに厳しい」政治へ
「アベノミクス」は金融緩和と財政政策でデフレ(経済停滞)から脱却しようとする政策でしたが、成功せず、「弱いものに厳しく、強いものに優しい」政治が進められています。

コビッド19が社会変革を強制する?

新自由主義が生み出し、加速させた「医療崩壊」「環境破壊」「格差」「人種差別」などの問題について改めて考え直す時代になりました。「地球環境を守れ」というグレタ・トゥンベリさんたちの運動やSDGs(エスディージーズ)、BLM(ブラック・ライブズ・マター)の運動などが世界に広がっています。
そういう状況での「コビッド19パンデミック」は否応なしに社会変革を強制する触媒の役割を果たしています。
現在は、その過渡期で、いろいろなアイデアが出されて、模索中というところです。

工業立地の主流も大量生産からサービス業などポスト・モダンな産業へシフト

さて、地理で工業を扱うときには、このような産業化の流れと、実際の工業立地とを組み合わせて考えていきます。どこにどのような工業が発達するかは、原料、資本と労働者、消費地との関係などで考えることができます。さらに現在では、環境への負荷や消費者の倫理という経済とは違う要素も組み込まれています。産業革命が始まった頃の工業と現在の情報化社会における工業では大きく違ってきています。工業生産は市場との関係が重要となり、生産だけでなく、流通や市場の存在が生産を規定する時代になっています。かつての売り手中心の経済から、買い手中心の経済へと転換していると考えるべきでしょう。

工業立地は、経済地理学の大きな分野でしたが、最近では研究者も減ってきています。多品種少量生産のポストモダン型の工業が増えてきて、産業革命期のモダンな大量生産型工業が転換されてきているからです。かつて工業生産の主流であった分野も大きく変わってきています。

千葉県の東京湾岸には石油コンビナートや製鉄工場などが立地していますが、昔の繁栄は見ることができません。衰退の原因は公害と資材供給型工業の利益減少です。東京湾岸でも東京に近い地域(千葉・習志野・船橋など)の食品工業や流通基地の役割は増大しています。かつての工業地帯は世界各地で衰退しています。

これからの経済の中心は工業生産からサービス業などのポストモダンな産業へとシフトしていく見通しです。米国などが「知的財産権」を重要視しているのは、このような時代の変化を見通しているからです。(近)


 

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