弱くなっているのか「民主主義」
戦争、暴動、クーデタで揺れる世界
米国の下院議長が15回の投票によってようやく決まりました。中国の習近平体制も揺らいでいます。ブラジルでは前大統領の支持者が暴徒化して大統領府を占拠しました。
ロシアのプーチンの評判は最悪です。ミャンマーではクーデターで軍事政権が復活しました。
いまや権威主義国家が世界の70%以上
世界を見ると民主主義国家より権威主義国家の数が上回ってしまいました。
20世紀末世界では東西冷戦の終了、北アフリカの民主化など民主主義の拡大が見られました。その後、政権運営がうまくいかず、国民の不満が大きくなって民主化の動きは止まり、揺り戻しが起こっています。香港やミャンマーでは民主化を求める人々の弾圧・虐待が続いています。
民主的国家の体裁をとっているが、内実は「権威主義国家」に変わりつつある日本。国際的評価は下がりっぱなし
民主主義国家は自由で公正な選挙による政治システムにあると言えます。この政治システムを支えているのは、言論、出版、集会、結社という市民的、政治的自由という価値です。
日本は民主主義国家のように見えますが、市民的自由の国際的評価がこの10年ほどの間に大きく下がり続け、国連や国際機関から勧告を受けたり、ランキングで大きく後退しています。
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「集団的自衛権行使」「反撃能力」「核兵器共有」、安倍氏以来、一国の首相が平気で憲法を無視するようになった日本
ボクは日本の民主主義は大きく変質していると感じています。かつての首相なら言わなかった「集団的自衛権行使」や「反撃能力」「核兵器共有」など安倍晋三氏が首相になってから憲法を平気で無視する発言が増えています。
権力を制限するのが憲法で、国家が国民を制限する規範が法律です。
憲法に基づく政治を「立憲主義」と言います。基本的人権の尊重、三権分立、国民主権が基本となる政治体制です。
しかし、日本は平和主義を掲げる民主的憲法を持っていますが、安倍晋三政権で憲法尊重の政治は大きく揺らぎました。10年近い安倍政権は、集団的自衛権行使容認など、歴代の自民党政権が違憲としてきた集団的自衛権行使を容認して、安保法制を強行しました。さらに安部政治を受け継ぐという岸田文雄首相も「反撃能力保持」という敗戦後長く基調としてきた「専守防衛」を逸脱する政策を進めようとしています。
日本は民主的国家の体裁は保っていますが、その内情は大きく変容していると言えます。(近)
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民主国家は世界の3割とするスウェーデンの研究所の2022年の民主政治ランキングでは、日本は、民主国家30か国中28位。
そうだよね。安倍だ、菅だ、岸だという独裁者みたいなのが支配していて、官僚とかメディアなんかが追従して、司法も機能不全で、本質は一党支配なのに、民主国家なんてちゃんちゃらおかしいよ。名前まで、自由民主党だ。デタラメにもほどがある。アハハ(笑)
「新自由主義」とか「新しい資本主義」とか、なんか自由と希望があると自家中毒しているのか、実質は外国のカルトに支配されていて、夫婦別姓すら決めることができない。
私たちはどんな時代を生きているのか?
民主政治は、論理的にはもっとも最善だが、チャーチルに言わせると、「他の政治形態よりまし」というだけだそうだ。日本では、当事者を含めたみんなで決めようとするのではなく、独裁者や少数のエリート(世襲政治家)が国民のために統治してくれることを望む。これは最低だ。資本主義や共産主義とは関係ない。ヒットラーやスターリンを想定してみるといい。
日本人の思考は、まわりと摩擦がなく、生きていければ、なんでもありなのだ。若い人も思うように生きられなくても「親ガチャ」だから、あきらめる。その結果、圧政がはびこり、隷従に甘んじた人々がおこぼれにあずかるために、差別に手を出す。
権威社会はそうやって完成する。
戦争は独裁に対し、命まで投げ出す人々が多数派にならなければ成立しない。
権威社会で服従させられている者が自分には価値があると思うことが戦争を止める。それには今の体制の秩序を破壊することが求められる。
そんな怖いことできないと逡巡している人が多い。
私はフランスのボエシという人文学者が16歳の時に書いた「自発的隷従論」を読んで考えたのだが、
権威主義社会の秩序の破壊の一歩は、思考すること。歴史を学ぶこと。それに憎しみではなく愛をもつことが有効だ。
それくらいなら、まわりと摩擦を起こさなくてもできる。
問題の正解が何か、ではなく、道行く人100人はどう答える人が多いか、を当てろというもの。
「邪馬台国は九州である」といった正解がないような問題ならともかく、「発足ははっそくと読む」と正否がはっきりしている問題で、大多数にそうだと言うことがある。実は多数決の危うさを教えてくれる番組だった。