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Narashino Geography 25 文化地理学

2021-04-12 01:57:36 | 地理学

文化地理学

文化地理学は文化人類学の近縁で、フィールドを共有する場合もありますが、フィールド(注1)へのかかわりは文化人類学の「参与観察」(注2)という手法と比べると、一般的に浅くなります。文化人類学の研究者の多くは、自分の人生をフィールドにかけているからです。

(注1)フィールド
研究テーマになる「場所」を実際に訪れ、対象を直接観察し、聞き取り調査やアンケートを行い、史料・資料を集める調査方法を「フィールドワーク」と言いますが、その「場所」のことを「フィールド」と言います。

(注2)参与観察 
研究対象となる社会に、しばしば数か月から数年に渡って滞在し、その社会のメンバーの一員(=仲間)として生活しながら、対象社会を直接観察し、その社会生活についての聞き取りなどを行うやり方のこと。

人類学者ブロニスワフ・マリノフスキが長期にわたってニューギニアのトロブリアンド諸島の人々と行動を共にしてその生活の詳細な観察を行い、人類学研究においてはじめて科学的な意味での参与観察の研究手法を確立したことが有名。著書に「未開人の性生活」などがあります。
(マリノフスキについて、彼のひ孫が作ったドキュメンタリー:英語で字幕なしですが...)


文化地理学の今のトレンドは「場所論」

しかし、文化地理学で扱うテーマは幅が広く、フィールドについても世界全体の中で比較しながら研究する傾向が強いようです。

最近の文化地理学のトレンドは「場所論」(データを数量的に分析するだけでなく、その「場所」に住む人々の「主観」を重視する見方)です。若い研究者はどのようなテーマを研究するにしても場所論を避けることはできません。

「信仰を持たない」日本人は「まともではない」?
そもそも「文化」という概念は幅広く人類の活動のほとんどが含まれていると言ってもよいでしょう。その文化の中でも人類にとって大きな意味を持つのは宗教や芸術です。日本人は「信仰を持たない」と言っても驚かないと思いますが、信仰を持つ人たちからみると、「信仰がない」というと「まともではない」と思うようです。(海外に行って、「宗教は?」と聞かれ、「無宗教です」と答えると、「まるで倫理観や道徳心のない、危い人物」と思われてしまうようです)

世界宗教と民族宗教

世界には、国境や民族を越えて信仰が広がる「世界宗教」と、特定の民族が信仰する「民族宗教」とがあります。世界宗教はキリスト教、イスラム教、仏教があり、民族宗教にはヒンズー教やユダヤ教、日本の神道などがあります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は唯一絶対の「GOD(ゴッド)」を信仰する兄弟宗教です。(この唯一神のことをユダヤ教では「ヤハウェ(エホバ)יהוה」キリスト教では「ゴッドGod」イスラム教では‎「アッラーالله」と呼びます。今は何かと争いが絶えませんが、イスラム教では、この3つの宗教の信者は、同じ神を信じている兄弟=「啓典の民:けいてんのたみ أهل الكتاب, アフル・アル・キターブ」とされています

インドで生まれた仏教、インドでは衰退

仏教はゴータマ・シッダールタ(仏陀、釈尊)が紀元前5世紀ごろ、古代バラモン教を批判的に改革して仏教を開きました。仏教の根本原理は欲を捨て、悟りを開いて仏陀となることにあります。

悟りを開いた境地が涅槃(ねはん:欲望を消し去った境地)と呼ばれ、ゴータマは全ての人は修行によって悟りを開くことができるとしました。誰にでも仏性(ぶっしょう)があるとしたのです。
(仏教はなぜインドで衰退したのか?)

中国、朝鮮、日本へと伝来する過程で大きく変化した仏教

インドで誕生した仏教は、シルクロードを伝い中国から、朝鮮半島、日本へと伝来し、その過程で大きく変容しました。特に日本では鎌倉時代に日本独自の仏教が成立し、さらに江戸時代には現在の仏教の基になるビジネスモデルができあがりました。今の日本の仏教は、ゴータマの仏教とは大きく違うものになっています。

日本人の宗教観は「ご利益信仰」
日本の神道は、原始的な多神教のような自然崇拝の信仰で、教義も不明確です。一口で言うと日本人の宗教観は「ご利益(ごりやく)信仰」として捉えられるでしょう。神社でご利益を願ったり、ご利益がある「パワー・スポット」をありがたがる心情です。

日本の宗教は、もともと神仏混交で寺にも神社があり、神社にも仏様が祀られていたりしました。ヒンズー教に似ています。


神仏習合 - Wikipedia

仏教はヒンズー教の一種?

以前「イスラム教徒から見ると仏教はヒンズー教の一種のようだ」とムスリム(イスラム教徒)の知人に言われたことがあります。
(仏教はインドから世界に広がり、独自の発展をとげた宗教ですが、ヒンズー教では、ブッダは、インドの神様ヴィシュヌの9番目の化身(アバター)とされています。10の化身の最後から2番目がブッダです)



宗教色のうすい「クリスマス」「バレンタイン」「ハロウィン」

今でも宗教に関わりなく「クリスマス」「バレンタイン」(チョコレート会社が始めたもの)を行事として取り入れたり、新しいトレンドとして「恵方(えほう)巻き」(関西の一部の習俗をコンビニが広めました)や「ハロウィン」(起源はキリスト教以前の北欧神話)など本来は宗教的意味がある行事も宗教色を薄めてイベントとして楽しんでいます。

知ってた? クリスマスと冬至の意外な関係 | 調整さん
(もともとあった冬至のお祭りの日を「キリストが生まれた日」にして、キリスト教を広めやすくしたんですね。聖書の天地創造神話では「日没から日没まで」を一日と考えます。日本人は「クリスマスイブ」を「クリスマスの前夜」だと思っていますが、本当は「クリスマスの日の始まり」が「クリスマスイブ」なんです。
キリスト教国エチオピアやエジプトのコプト教、ロシア正教のクリスマスは1月7日、世界最古のキリスト教国アルメニアでは1月6日です)

バレンタインの意味と由来って?チョコレートは日本だけの習慣だった « クックビズ総研

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仏教の葬祭儀礼の多くは儒教の葬礼

これも、何でもご利益はありがたいという文化に支えられているものでしょう。こういうミックスは仏教と儒教の間でも起こっていて、現在の仏教の葬祭儀礼の多くは儒教の葬礼(元は「周礼:しゅらい」という、古代中国「周」の時代に書かれた、儀礼に関する本)を江戸時代に取り入れたものです。
孔子時代の葬儀エチケット (sanin.jp)
加地信行氏の『儒教とは何か』(中公新書)によれば「仏式葬儀参列者のほとんどの人は、故人の写真を仰ぎ柩(ひつぎ)に向かって礼拝し、故人を想い、泣き、何回も香をつまんでは焼香し、重々しく遺族に挨拶しているだけであって、本尊に対してはまったく知らぬ顔で退場する。」つまり作者は仏式葬儀では本尊に礼拝すべきで、人々が柩を拝むのは「儒教」のマナーであると言っている。そして「儒教こそ葬儀を重視し、見事に体系化しているのである。葬送儀礼をぬきにして、儒教は存在しえない」(同書)とまで言っている。儒教は日本では徳川時代に朱子学として官学の位置を占めたものの、一般庶民には影響を与えたとはいえない。しかし日本人の仏教の普及にしても江戸時代の壇家制度によって寺院と結びついたもので、その内実は仏教というよりも祖先崇拝が基本となっていた。この祖先崇拝を出発点から重視し、儀礼的に体系づけていたのが儒教なのである。

朝鮮半島では、仏教が排斥された

朝鮮半島では高麗(こりょ:「コリア」はこの国名から来ている)時代には仏教が国教でしたが、李氏朝鮮の時代には儒教(性理学)が国の基本とされ仏教は排斥されました。

どんな宗教も受け入れる、不思議な日本人

日本人は宗教に寛容ですが、宗教への理解は深いと言えないようです。言葉を代えれば、どんな宗教にも受容的ということです。これも世界の多くの人たちからは不思議にみえるようです。現在のような価値観やアイデンティティが揺らぐ時代には、何かにすがって生きたいと思う心情も理解できます。自分の心の一部を外部化すると気持ちが楽になるからです。新宗教や宗教改革が世界を変えるかもしれません。あるいは、信者を増やしているイスラム教が世界標準となるのかもしれません。いずれにしろ、コビッド19に揺さぶられている現在は、さまざまなことが模索中ということになるでしょう。(近)

 

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