住みたい習志野

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津田沼駅と幕張駅の間に習志野駅が建設されていたかもしれない話

2023-09-10 00:31:46 | 歴史

昔、今の習志野市の5倍以上の面積の「大習志野市」にする構想があった。津田沼駅と幕張駅の間に「幕張本郷駅」ではなく「習志野駅」をつくる、という計画もあった

「津田沼駅と幕張駅の間に習志野駅が建設されていたかもしれない話」という動画、習志野市の知られざる物語です。

幕張本郷駅が建設される前、津田沼駅と幕張駅の間に習志野駅を建設するという計画があった

今はもうありませんが、幕張町、犢橋(こてはし)村、津田沼町、二宮町などの市町村が昔は存在していた

昭和の大合併が始まったころ、津田沼町は二宮町と合併し、市制を敷くことを決めた

津田沼町と二宮町が合併した後は、幕張町や犢橋村、幕張町の北にある大和田町などの町村とも合併して、

習志野市を成立させようとしたこれが大習志野市構想。しかしこれはうまくいかなかった

「大習志野市」構想

 

二宮町は津田沼町ではなく、船橋市と合併してしまった(1953年8月)

当時の船橋市は、津田沼町にも合併の申入れをした

しかし当時の津田沼町長は、船橋市の財政が人件費などに多く使われていることを批判し、合併を拒否した

二宮町を取られた津田沼町は次に、幕張町と犢橋村を選んだ

そして津田沼町、幕張町、犢橋村は合併協議会を開き

次の3項目を決定

なので津田沼駅と幕張駅の間、合併後の習志野市のちょうど中央に、習志野市の中心駅となる習志野駅をつくり、そこを市の中心街にしようとした

しかしその後は結局幕張町の大部分と犢橋村は千葉市と合併、大和田町は八千代市となってしまったので、津田沼町と幕張町の一部が市政を敷き、現在のような習志野市の形になった

習志野駅の建設は3町村の合併協議会で決めたことなので、合併協議会の解散とともに計画が消滅した

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2023-09-13 13:04:34
新設の千葉14区は旧二宮町と津田沼町の因縁の対決。薬園台の野田元首相が津田沼町に攻めこむ形だ、
返信する

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