「国境」に響いた「沖縄を返せ」 平和を願い海上集会再現
(琉球新報の記事)
忘れない、分断の歴史と「心の絆」…屈辱の日70年、沖縄と与論 27度線で海上集会【動画あり】
沖縄や奄美群島が日本から切り離された、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効から28日で70年となった。72年の復帰まで米統治下に置かれた沖縄と本土側の隔絶を象徴する北緯27度線付近で、国頭村と鹿児島県与論町は28日、沖縄の復帰を求めた海上集会を再現した。
今年は復帰50年の節目。記念行進や式典なども行い、分断の歴史を後世に語り継ぐことを確認した。海上集会には約140人が参加し、計21隻出港した。参加者は「両町村の『心の絆』を継承し、交流を深める」と宣言文を読み上げた。海上集会は1963年~69年に沖縄側と先に復帰を果たした与論町側の関係者が開催した。2012年に一度再現して今回10年ぶりに開催した。
(毎日新聞の記事)
<かたき土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ>。沖縄の反基地運動の現場で歌われる「沖縄を返せ」。米国統治下にあった沖縄での本土復帰を求める集会などで歌われたが、今は歌詞の一部を「沖縄へ返せ」と替えて歌い継がれている。「沖縄を」から「沖縄へ」。日本への復帰から15日で49年となったが、今も続く不条理への憤りが一文字に込められている。
(朝日新聞デジタルの記事)
「沖縄を返せ」。沖縄が日本に復帰してから15日で45年になったが、この歌は復帰運動の頃から口ずさまれてきた。ただ、歌詞の一部は、時代によって少しずつ置き換えられており、沖縄と本土との移ろう関係がにじむ。
作られたのは半世紀以上前の1956年9月。労働組合の全司法福岡高裁支部が作詞作曲し、大分市で開かれた合唱祭「九州のうたごえ」で創作部門1位になった。労働歌の作曲で知られる荒木栄氏が行進曲風に作曲し直したものが、全国に広まったという。
この年の6月、沖縄では、軍用地の借地料を一括払いすることで事実上の土地の買い上げを狙う「プライス勧告」が出され、島ぐるみ闘争が盛り上がった。前年には、6歳の女児が米兵に暴行され殺害される事件も起きた。当時、全司法福岡高裁支部書記長だった後藤幸雄さん(85)=福岡市=は、歌ができた経緯を「同じ日本民族として、土地を奪われて苦しむ沖縄の人たちを助けたいという思いだった」と振り返る。
米軍の圧政への反発と、本土復帰運動の高まり。それらとともに沖縄でも広く歌われるようになった。
その歌詞が今、米軍普天間飛行場の移設先として、政府が工事を進める沖縄県名護市辺野古では換えられている。
♪民族の怒りに燃ゆる島
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♪県民の怒りに燃ゆる島
換えたのは、山城博治・沖縄平和運動センター議長(64)=傷害罪などに問われ公判中。「私たちは日本本土から切り捨てられ、犠牲を強いられた。それなのに日本民族の怒りなのか」。そんな思いを抱き、数年前の抗議集会で「県民」に言い換えて歌った。
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