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住みたい習志野

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「よく当選しましたね?」大竹も驚き!杉並区初の女性区長・岸本聡子さん

2022-10-31 22:43:17 | 市長選・市議選

習志野市も来年市長選がありますが、今年6月、杉並区初の女性区長になった岸本さんがラジオに登場しました。

(文化放送ホームページの記事より)

「よく当選しましたね?」大竹も驚き!杉並区初の女性区長・岸本聡子さん

「よく当選しましたね?」大竹も驚き!杉並区初の女性区長・岸本聡子さんが一番キツかった選挙活動とは? | 文化放送

「よく当選しましたね?」大竹も驚き!杉並区初の女性区長・岸本聡子さんが一番キツかった選挙活動とは? | 文化放送

2022年6月に東京都杉並区長選で初当選した岸本聡子さんが10月31日の大竹まことゴールデンラジオに登場。意外な経歴や出馬のウラ側を伺った。

文化放送

 

2022年6月に東京都杉並区長選で初当選した岸本聡子さんが10月31日の大竹まことゴールデンラジオに登場。意外な経歴や出馬のウラ側を伺った。

大竹まこと「岸本さんはもともと長いあいだ海外にいらしたそうですが、それはなぜですか?」

岸本聡子「私の当時のパートナーがオランダ人で、日本語ができない人と一緒に日本で暮らしていくのが、仕事面や社会保障とかの問題もあって、ちょっと難しかったんですね。それでやむなくといいますか、オランダに移住することになりました。小さなアパートで生活して子供ができて、家族や友達はいなくって、そして仕事もないという感じの厳しいスタートだったんですけれども、それでもやっぱりアムステルダムの町の楽しさなどに救われました。その後、トランスナショナル研究所というところで仕事が見つかって、自分の力がもうちょっと発揮できるようになったと思います。」

大竹「そういう経歴をお持ちの方が、なぜ杉並区の区長に立候補なさったんですか?」

岸本「ヨーロッパで仕事していたときも、地方自治から民主主義を、生活者の視点から政治を変えたいという気持ちがずっとあって、そういった研究や運動をやっていました。やっぱり日本人として、日本の民主主義のために戦いたい、働きたいと思い続けて、いずれは日本に帰りたいと考えていたので、それがたまたまと言いますが、宿命的に杉並区だったという感じでしょうかね。」

大竹「日本に帰ってきてから選挙に出るまでの期間はどのぐらいだったんですか?」

岸本実は、選挙に出ようと決めた時はまだ日本に移住してなかったんです。

大竹「ええっ?」

岸本休みで日本に帰ってきて3週間ぐらいいるつもりでいたら、そういうお話になったんです。選挙はいつまでにポスターを刷らなきゃいけないとかスケジュールが決まっているので、まだ引っ越しもしてない状態で選挙に出ると決めて、とりあえず住民票を移さなきゃいけないので、もう大慌てで1回帰って必要なものだけ持ってきました。」

大竹そんなんで受かる?よく当選しましたね。」(笑)

岸本「私の力だけではなく、何年もかけて杉並の区長を変えようとしていた市民グループの土台があって、そこでいろんな政策などを話し合ったうえで、候補者を探していたんです。その土台がなかったら到底選挙はできなかったと思います。

大竹「岸本さんも勇気あるけど、杉並区の市民グループの方たちはもっと勇気がありますね。どうして日本に住んでいなかった岸本さんを選んだんでしょう。」

岸本「私はヨーロッパにいながら日本の社会で何ができるかを模索して、2018年ぐらいからウェブ媒体で連載したり本を書かせてもらったりということを3年ぐらいやってたんですね。ヨーロッパの事例を中心に、草の根の民主主義や熟議を通した対話が、地方から力を発揮できるんじゃないかということを書いていたので、まったくランダムに頼まれたということではないんです。」

 

 

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来年習志野市は市長・市議の選挙がある。ところで大阪府は議員を「先生」と呼ぶのをやめた

2022-10-02 22:12:28 | 市長選・市議選

(ブログ読者の投稿です)

来年、習志野市は選挙の年

 10月を迎え、来年の県議会議員選挙、市長選挙・市議会議員選挙まで半年となってきました。皆さんは9月市議会の結末をどうご覧になったでしょうか。

9月市議会終わる。議員定数削減は否決。「dポイントキャンペーン1億超えムダ使いを説明して」の陳情も不採択。 - 住みたい習志野

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9月28日に閉会した市議会第3回定例会。請願・陳情・議員発議の結果について、いくつかご紹介します。市議会議員定数削減問題①「議員定数を5名削減することを求める請願...

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大阪府では府の職員が府議会議員を「先生」と呼ぶことをやめた

 ところで大阪から、面白いニュースが聞こえてきました。大阪府では府の職員が府議会議員を「先生」と呼ぶことをやめる決定をしたそうです。

議員を「先生」と呼ばないで 大阪府議会で異例の合意

 大阪府議会では、議員同士が呼び合う際などに「先生」という呼び方をやめることを決めました。大阪維新所属の府議会議長らが提案していました。

 大阪府議会では、長年の慣例で議員を「先生」と呼ぶことに対して、“特別だという勘違いの助長につながりかねない”といった指摘もあることなどから、庁舎内で「先生」という呼称を使用しないよう議長らが求めていました。

 これについて9月28日の議会運営委員会で、委員会に所属する3会派全てが賛成し、「先生」ではなく「議員」などと呼ぶことで合意しました。

 (大阪府議会 森和臣議長)
 「あくまでも府庁内の先生同士というか議員同士、先生と呼び合うのではなくて議員とかさん付けで呼びあう」
 また大阪府の職員に対しても「先生」と呼ばないよう求めていくということです。

なぜ、政治家のことを「先生」と呼ぶようになったのか

 そもそもなぜ、政治家のことを「先生」と呼ぶようになったのか。諸説あるようですが、よく言われるのは、書生が自分の雇い主を「先生」と呼んだから、というもの。昔、女性は「行儀見習い」、男は「書生」という名目で、名士の家に住み込んで家内労働に使われていました。そして書生は、給金で夜学に通って勉強した。彼らが主人を「先生」と呼んだわけです。落語家の内弟子が「師匠」というような話ですね。

 そうだとすると、現代でも秘書とか支持者が「先生」と呼ぶのはともかくとして、取材するマスコミとか、質問に答弁する役所の職員が「先生」というのはおかしな話です。「〇〇先生ご質問の〇〇の件につきましては…」などと、変にご機嫌を取っているように聞こえます。言われた議員も「天は人の上に人を作らず。だけど俺は、他人よりも偉いんだ」と変な気になってしまうのではないでしょうか。普通に「〇〇議員」と言えば、それで充分敬語になっているはずです。

「先生」「代議士」「総選挙」…みんな明治の遺物

 衆議院議員のことを「代議士」、衆議院議員選挙のことを「総選挙」というのも、民選議院が衆議院しかなかった時代の言葉ですね。

 なぜ衆院議員だけ「代議士」と呼ぶのか
参議院は戦前、貴族院でした。華族や元官僚、学識経験者、高額納税者などから選出された非民選議員の院であり、一般国民の代表は衆議院が担いました。衆院議員が「国民に代わって議事に携わる」ことから、敬意と親しみを込めて「代議士」と呼ばれ、その名残が現在でも続いています。

貴族院が廃止され民選の参議院が出来た時点で、改められるべき言葉でした。このように、古い時代の言葉が意外にいつまでも残ってしまう。「先生」もその一つなのではないでしょうか。

 先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし(古川柳)

 28名の「先生」を擁していながら、何もしないでいいということしか決められなかった9月市議会。それに対する主権者の答えを、半年後には示さなければなりません。

 

 

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習志野市長選・垣内つね子候補が大健闘

2019-04-22 12:44:49 | 市長選・市議選

習志野市長選挙において新人女性候補の垣内つね子氏が大健闘をしました。

習志野市民フォーラムブログより転記します。

21日に投開票があった習志野長選挙において宮本氏の対抗で 出馬した垣内つね子氏

が18,925票と大健闘しました。 垣内氏は誰の支援も受けずに一人でポスター貼り、自転車での

遊説と独自の選挙活動を行いました。 垣内氏は公共施設の統廃合計画廃止、市長給与の50%

カットなどを 訴え現宮本市政に切り込みました。

宮本氏には遥か及ばないものの現市政に対する一定程度の批判票を 獲得したと言えるのでは

ないでしょうか。
また市議選においても市長野党の3人が大幅に票を増やし上位3人を 占めたことも市政に対する

批判票と捉えるべきではないでしょうか。 市長は幅広く市民の意見に耳を傾けるべきではないでしょうか。