黒猫と歩む白日のラビリンス | ||
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読了日 | 2021/08/20 |
著 者 | 森晶麿 | |
出版社 | 早川書房 | |
形 態 | 文庫 | |
ページ数 | 314 | |
発行日 | 2018/12/15 | |
ISBN | 978-4-15-031449-1 |
前同じことを書いた覚えがあるが、歳を取ってから僕は本を休み休み読むようになった。
数ページ読んでは仰向けに寝転ぶ、読むのが遅いのはそのためだ。だが、そうすることにより「幸せだな」と言う思いを抱くのだ。近頃僕は一日三杯のコーヒーが二杯になった。夕食後のコーヒーが眠気を妨げるような気がしての事だ。
ここ何か月か、寝つきが悪くなって、一旦布団にもぐりこんだ後、眠れずにまた眼鏡をかけ直し、文庫本を枕元において、読み始めるということを度々行うようになった。ひどい時にはそれが午前2時過ぎまで続く。
若い頃は何倍コーヒーを飲もうと、布団に入ればあっという間に夢枕だったのに、これも歳をとったせいか?寝つきが悪くなっている。運動不足のせいもあるか?
若い頃は何と言っても身体を動かすことが多かったから、草臥れているせいもあってか、布団に入れば即眠くなったのに、この頃は珈琲を飲まなくてもなかなか寝られないこともあるようになった。多少は珈琲のカフェインが眠気を邪魔しているかもしれないが、コーヒーに含まれるカフェインが午前2時や3時までの睡眠を奪っているとはとても思えない。
簡単に眠れる方法はないものか、そんなものがあれば誰も苦労はしないか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b8/b4ec98792d6e79306238ce5aa9fb40bc.jpg)
寒い日が続いている。上空に寒気が居座っているようだ。冬型の気圧配置で日本海側では近年にない大雪が続いて大変だ。寒いとは言えど僕の住む千葉県は恵まれていると言えるだろう。僕の部屋は晴れていれば暖かい陽が差して、暖房要らずの状態になる。
今日(2022年2月5日)も少し暑いくらいの日差しが、正にさんさんと降り注ぎストーブを消したところだ。
過去に読んだこのシリーズのデータをひっくり返して、確認した所アガサ・クリスティ賞を受賞した第1作『黒猫の遊歩あるいは美学講義』を始めとして、7作を読んでおり、本作は8作目となることに、ちょっと驚いた。
前にも書いたと思うが、僕はこのシリーズが好きで若くして教授となった黒猫もだが、その黒猫に付き人のごとく寄り添う女性(わたし)も、さらには表紙を描く丹地陽子氏のイラストもだ。
“わたし”のポーの黒猫研究がテーマとなって、毎回のストーリーが構成されるのだが、僕がこのストーリーを好むのは、安楽椅子探偵を思わせる(いや、思わせるのではなくそのものだ)からだ。僕は探偵の究極の姿を安楽椅子探偵だと思っているから、ポーの「マリー・ロジェの謎」から始まる安楽椅子探偵譚が、多分このシリーズを続けている源流だという気がしているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b8/b4ec98792d6e79306238ce5aa9fb40bc.jpg)
る意味哲学的だとも思える(と言うのは僕に勝手な妄想ともいえるが)ストーリーに、僕が嵌っているのはそうした内容や、憧れの大学キャンパス風景にもある。今年83歳を迎えるのにまだ出来ることなら、大学生活を送ってみたいなどと言う、夢物語を頭に描いている僕は、普通ではない。
人生120年時代がすぐそこまで来ているのだから、そんな夢を持っても許されるだろう。
だがこの頃は興味を持っても学習する意欲が衰えており、大学のおキャンパスに憧れていても、学習に向かう意欲がなければたとえ夢がかなっても、すぐに飽きてしまうのではないかと、なかなか思うに任せない。
あまり意味のない駄文ばかりを書いていると、それでなくとも少ない読者にそっぽを向かれてしまいそうだ。 いろんなことに意欲をなくして、唯一のブログにまで飽きられてしまったら、そんなことを考えることがそもそも続けている意味を失いかねないから・・・・何を言ってるのか訳が分からなくなってきた。
暖かく降り注いでいる日差しの心地よさに、ちょっと夢見心地になっているのか?
若しかしたら、僕の妄想が現実のものになるかもしれないなどと、それこそ妄想が頭を占めて・・・何を書いているのかも分からなくなっているのだ。
# | タイトル |
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1 | 本が降る |
2 | 鋏と皮膚 |
3 | 群衆と猥談 |
4 | スラカを探せ |
5 | 鷹と偽 |
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