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隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1869.二度殺せるなら

2019年01月15日 | サスペンス
二度殺せるなら
Kill and Tell
読了日 2018/09/20
著 者 リンダ・ハワード
Linda Howard
訳 者 加藤洋子
出版社 二見書房
形 態 文庫
ページ数 356
発行日 1999/02/25
ISBN 4-576-99004-7

 

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の物事に対するスランプ状態から抜け出すためには、どうも読書しかないようだ。パソコンの故障を直すためには、しばらくメールの配達の仕事を頑張るのだが、パソコンとインターネットで、その仕事の効率化を図ろうとしていた矢先の故障だったから、当分パソコンなしの落ち着いた生活もいいかな、そんな気分でいたのに、読書に対する意欲が少しずつ高まりつつある今、大分サボってしまったブログの隙間を埋めようとしても、肝心のインターネット環境が整わないから、困ったものだ。
今年の11月2日、79歳の誕生日までに1900冊には程遠くなってしまって、いまさら急いでも到底無理なことはわかっているが、それでも何とか目標の数値に近づけようとしている。

というのは、本書を読んだ昨年9月の事だ。いまさらという感じだが、80歳2000冊という目標から、遠く離れてしまった遅れを、いくらかでも取り戻そうと、毎日読書に励んでいるが、僕の読書は励むものではなく、純粋に楽しむものだから、そうはいってもそれほどスピードが増すわけではない。
今のところはわずかに昨年読み終わっている本について、記録をブログにアップロードしているだけで、早くそれを済ませて、今進行中の本の記録に移りたい。

 

 

図書館を利用することで、古書を買うことからは半年ばかりの間、遠ざかっていたが、何もいろいろ自分を窮屈な状態に落とし込まなくてもいいじゃないかと、都合のいい、言い訳を心の中でしている。
まあ、とにかく読書だけでも細々と続ける意欲がよみがえったことだけでも、いいんじゃないの?僕の中ではいろいろと思いが交錯している。 息子がお世話になっている福祉施設の、保護者・家族の会のために会報作りをしていたのが、パソコンの故障のために、何回か休まなくてはならなくなったことも、僕のスランプ状態を引き起こした要因の一つで、それでも何も考えずにその日その日を漫然と過ごすのもいいか、などという気もあったりして・・・・。
唯一の慰めは、3月半ばから始めたメール便配達という仕事が、思いのほか面白くて、月水金に配達物が届けられることだけを、楽しみにしている状態が続いている。

今読み返すと、この時期は本人は意識してないのかもしれないが、かなり落ち込んでいたことがわかる。何にしても今、読書への意欲も普段の生活も以前の姿に帰りつつあることに満足している。

 

 

およそ東西3㎞、南北2㎞の広さの団地内とはいえ、全域の地理や住宅配置図を記憶することは難しいから、配達時にはその都度作る配達先名簿と、動態地図をもって仕事にあたる。
だがそれでも時には迷うこともあって、だからこそその奥深さにも面白さを感じるのかもしれない。

僕はだらだらと無意味な生活に陥ることを防ぐため、起床や食事の時刻などを、できるだけ規則正しくしている。朝は6時から6時30分の間に起きて、洗顔歯磨きから朝食までを7時30分までに済ます。
12時から13時の間に昼食、夕食は6時から軽くとって7時までに歯磨きをする。とまあ、以上が僕の一日の日程だ。なぜそのようなことを心掛けているかといえば、やはり健康面への気遣いだ。歳を取るにしたがって、若いころのように無理がきかなくなっているから、無理をせずにできることといえば、時間を決めてできるのがそのくらいのものだろう。
長生きをしようとは思わないが、健康を維持することには少しの気遣いを心掛けようと、思っている。
今日は雲が多く、日差しが少し少ない分、ストーブの出番が多くなるのが、ちょっと気がかりだ。

 

 

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1867.真夜中のあとで

2019年01月13日 | サスペンス
真夜中のあとで
LONG AFTER MIDNIGHT
読了日 2018/09/13
著 者 アイリス・ジョハンセン
Iris Johansen
訳 者 池田真紀子
出版社 二見書房
形 態 文庫
ページ数 559
発行日 1997/11/25
ISBN 4-576-97142-5

 

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年10月から、ガードナー氏のぺりイ・メイスン・シリーズの長編全作を読み切ったほどの情熱はないものの、またぞろ、この作者の著作を読み続けてみようか?などとも思えるようになった。
こういうスリルとサスペンスに満ちた物語を読んでいるとき、登場人物たちの洒落た会話に、読書の醍醐味を感じると言ったら大げさになるか?いやそんなことはないだろう。
そうした洗練された会話が、時に緊張感を和らげて、小休止の役目を果たすこともあるのだ。

今日は朝から心地よい日差しが部屋に注ぎ込んで、たった今ストーブを消したところだ。外が寒くても日差しがあれば、部屋の中は春の温かさになって、怠惰な僕に体を動かすよう促す。コーヒーなど淹れに行こうか。

 

 

近ごろは国内作品でも時には、日本人らしくないと思われるような、しゃれた会話も登場するようになって、ストーリーによっては、そうしたアメリカナイズ?された登場人物の会話に、面白さを感じる作品も多くなった。
読書の楽しみ方は人それぞれで、しかも好みも多様でそうした現象を嫌う人もいるだろう。だから、僕とて国内作品のすべてのしゃれた会話を期待しているわけではない。
やはり欧米の作品にこそ、持って生まれた国民性から醸し出される、しゃれた雰囲気を感じさせる会話といったものに、期待を寄せるのだ。しかし、以前にも同様の事を感じてここに書いたが、アメリカでもイギリスでも女性の作家が手に汗握らせるような、スケールの大きなサスペンス・ストーリーを生み出して、しかも多くのファンを獲得するのは、それも国民性の違いからだろうか?

 

 

が国でも多くの女性作家が活躍しており、特に新人作家の登竜門ともいうべき、ミステリー賞の受賞者を受賞して、活躍する女性作家の多いことが、僕にはミステリーやサスペンス小説が、女性作家の専門になりつつあるような気さえしている。
読書を趣味とする僕とすれば、女性でも男性でも面白いストーリー-を生み出してくれさえすれば、どちらでも構わないのだが…。60歳の還暦時に目標とした500冊のミステリーが、スムーズに僕の手に入るだろうか?などと感じた不安のようなものは、今考えると嘘のような気もするほど、多種多様なミステリーが次々と刊行される現在の状態は、その中でおぼれているような錯覚さえ覚えるのだ。

 

 

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スワンの怒り

2017年10月12日 | サスペンス
スワンの怒り
The Ugly Duckling
読了日 2017/10/12
著 者 アイリス・ジョハンセン
Iris Johansen
訳 者 池田真紀子
出版社 二見書房
形 態 文庫
ページ数 558
発行日 1997/04/25
ISBN 4-576-97049-6

 

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却期限の10月4日、「櫻子さんの足下には死体が埋まっている ジュリエットの告白」を返しに、木更津市立図書館に行って、本書を借りてきた。「櫻子さん・・・」はもっと前に読み終わっていたので、早く返しに行こうと思いながら、ズルズルと期限いっぱいまで手元に置いてしまった。
いつもなら次に読む人が待っているから、と思って読み終わったらすぐに返しに行くのだが、今回は大した理由もないのに、遅れてしまった。

以前BOOKOFFなどに盛んに通っていたころ、よく目につくアイリス・ジョハンセンという名前が、ちょっと気になっていたことが有って、図書館の海外文庫の棚を見ていたら、そこにも10数冊があって著者の紹介文には、どれも最初に本書のタイトルが記されていた。
ところが棚には見当たらなかったので、備え付けのパソコンで検索すると、カウンターで尋ねるようにとのメッセージが。どうやら書庫に入っているようだ。図書館員に申し出て、ようやく借り出すことが出来た。

 

 

いろいろと調べてみると、本書は著者のハードカバーデビュー作だという。それも51冊目だというではないか。この前にロマンス小説を50冊も出しているということに驚いた。
アメリカ本国では、1880年代前半にロマンス小説で、デビュー以来成功を収めており、その後1996年からロマンティック・サスペンスや歴史ロマンスを書き始めて、2006年11月時点でニューヨークタイムズのベストセラー・リストで、17週連続ランクインしたという。

それほどの作家を知らずにいたというのは、読書人としていささか恥ずかしい思いもあるが、これを機会に少し読み続けてみようかという気もある。しかしながら、そうした作家が次々と僕の目の前に現れるのは、歓迎すべきことなのかどうか、僕が読める限度は限られているから、まことにもって悩ましく、嬉しさと困惑とが入り混じる心境だ。

まあ、そんなことは今更どうこう言うべき問題ではないのかもしれない。書店の棚を見れば知らない作家の方が多いことは、一目瞭然だ。その中に僕の好みに合う作家も、多分数知れないのだろう。 せいぜい今楽しんでできる読書を続けることだけだ。

 

 

生は儚く短い。この世を去るときは、多分あれもこれも読みたかったと、思うに違いないが、できる限りそうした思いを少なくしておきたいと思う。
しかし僕は、本を読むのが遅くなったとつくづく感じる。この本を読み終わるのに、3日も掛かった。いや、3日が5日であろうと、あるいは1週間であろうと、意識してゆっくり読んでいる場合は、遅くなっているわけではないから、気にもしないが本書のようにスリリングで、たっぷりとサスペンスを孕んだストーリーを、ページを繰るのももどかしく読んでいるのに、時間がかかるというのはそれだけ歳をとって、理解が追い付かなくなっている証拠だから、残念な気もひとしおなのだ。

それでも海外の女性作家はなぜ、こんなスケールの大きなサスペンス小説を、立て続けに書けるのだろうか?
アメリカにはメアリ・ヒギンズ・クラークという、同じくサスペンスを量産するベストセラー作家がいる。彼女たちはいずれも主婦業や子育ての傍ら、ベストセラーを生み出すという、いわば離れ業を繰り出しているのだ。
いつも思うのだが、世の中は不公平にできていて、二物も三物ももつ才能がそこここに居る割に、己のふがいなさに、どうしようもないいらだたしさを感じてしまうのは・・・、いや辞めておこう。
僕はただ、そういう面白い物語を楽しんで読むだけでいいのだろう。

 

 

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1783.函館・立待岬の女

2017年10月06日 | サスペンス
函館・立待岬の女
読了日 2017/10/06
著 者 斎藤澪
出版社 祥伝社
形 態 文庫
ページ数 296
発行日 1989/10/20
ISBN 4-396-32154-6

 

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日から過去の記事を少しずつ修正している。と言っても記事の内容ではなく、記事の頭に設定してあるドロップキャップや、記事と記事の間にある飾り罫が、表示不可となっているのを表示するための修正だ。
僕のブログの記事は、一定の形式を保つために基本的には自作のテンプレートに、記事を流し込むというやり方をしている。普通は記事を三つに分けるから、間に二つの罫線代わりの飾り罫を配し、最初と終わりの記事の頭にドロップキャップを飾り付けている。

多くの記事を以前の“ぷらら”からこのgooブログに移したのだが、記事が多すぎたため移行のための、アプリが使えなかったのが悲劇だった。
慎重に手作業で移行をしたのだが、記事の多さと僕の不手際が、膨大な手間と時間を要したことは言うまでもない。にもかかわらず、画像の指定が既に使用不可となっている、“ぷらら”のアドレスになっていたりして、そうしたミスの手直しにもさらに時間と手間がかかった。

 

 

昨日何気なしに、過去の記事のインデックス(年月)を最初からたどってたら、かなりの数でドロップキャップや飾り罫の部分が表示不可になっていることに気付いたのだ。
毎回記事をアップする際には、細心の注意を払っているにもかかわらず、なぜそうしたことが起こるのだろうと、不審には感じたが自分の不注意のせいに他ならない。
HTMLを見てみると、画像のアドレスが古い“ぷらら”のものになっていた。多分まだ修正前の古い記事の部分を、コピペしたとか、あるいは“ぷらら”時代にExcelで作った、アドレス表(ブログにアップしたタイトルや画像、著者などのアドレスを記録してある)を使ってしまったとか、そういったことなのだろう。

手直しの作業というのは、なかなか手間のかかることで、一つには面倒だという思いも重なって、多くの時間がかかるだけでなく、手間もかかった。それでもまだ完全に直ったとは言い難く、もう少し時間がかかりそうなのだ。

そんなことをしている間に、せっかく積ン読本の消化の1冊で、楽しんで読んだ斎藤澪氏の本書も、どんな内容だったか、危うく忘れるところだった。
先日、BSフジで放送されたドラマ「海に消えた女」が、斎藤澪氏の原作だったので、蔵書の中から本書を選んで読んだというわけだ。その原作だという「待っていた女」を、ネットで調べてみたが見当たらない。若しかしたら短編なのか・・・。

 

 

隆三氏と中原理恵氏の主演によるドラマは、いかにも斎藤澪氏の作品だと思わせる、田舎の港町で起きた船員の殺害事件を追う話で、静かなそして少し暗い雰囲気で進む展開が、1989年制作の古さもあってか、観ていて物憂い感じを抱かせたものの、まあまあみられる出来だった。
中原理恵氏の謎めいた女が魅力的に描かれていたな。
そんなこんなで、その原作も読もうと思ったら、前述の通りだ。
それほど著作は多いとは言えないので、近いうちに著者の作品をまたぞろ、読んでみようと思うほど、何とはなしに僕は著者の作品が気になるのだ。

本書は女シリーズなどと、カバー後ろの解説にはあるが、同じ祥伝社から「ノサップ岬の女」というのが出ており、僕はそれも持っているからまずはその辺も読んでおこうと思っている。
柴木俊子という26歳の、売れない女優がテレビドラマのチョイ役が、映画監督の目に留まり、映画出演の幸運に巡り会えたと思ったら、何やら事件に巻き込まれるというストーリーで、関係者の過去の事件までもが彼女に関わってくるのだ。
タイトルの函館、立待岬などは旅情を誘うが、本編の内容は旅情を誘うというより、かつて名を売った女優のなれの果てを、観るようで侘しさが漂う。

しかし、こういう話を読んでいると、若かりし頃今よりもずっと映画や、人気俳優に憧れたりしていたことを、思い出して僕にも苦労知らずの頃があったのだと、なんだか懐かしく可笑しい。

 

 

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1779.盤上の向日葵

2017年09月23日 | サスペンス
盤上の向日葵
読了日 2017/09/23
著 者 柚月裕子
出版社 中央公論新社
形 態 単行本
ページ数 563
発行日 2017/08/25
ISBN 978-4-12-004999-6

 

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月10日に行われた薄光会の保護者・家族の会、役員会で、使ったパワーポイントによるプレゼンテーションに、音声による説明を加えるため、ここ一日二日パワーポイントをいじくりまわした。 前にも書いたが、以前薄光会法人の監事を務めていたころは、プレゼンの作成も毎年行っていたから、割合慣れていたはずなのだが、しばらく離れていたことや加齢による物忘れも重なって、簡単なプレゼンにも結構手間がかかる。
そのプレゼンを来月(10月)1日に開催される天羽支部会で使おうということでの手直しなのだ。 音声による説明は、AIトークというアプリを使えば、男性の声も女性の声でも入力したテキストの通り、人が話すような自然なしゃべり方で、アウトプットができる。もうかなり前に購入しておいたものだが、今回初めて活用する。良く聞く電話の自動応答のような不自然なしゃべりでないから、大したものだと感心する。
それでも、中には平坦なイントネーションが、不自然に聞こえることもあるから、手直しを必要とすることもある。単語登録に付随するアクセント調整を使い直すのだが、なかなかこれが難しい。

 

 

2日がかりで何とか37個もの音声ファイルを作成。その一つ一つをプレゼンのアニメーションに合わせて、挿入する。作業はそれほど難しくはないのだが、話の強弱や速度などを治すたびに、挿入をし直さなければならず、そうした個々の作業が多少面倒だ。
しかしパソコンのアプリもいろいろと工夫が凝らされて、こうしたいという消費者の願望は、ほとんど満たされるのではないか、但しそれなりの費用は掛かるが。科学の進歩は便利さをもたらすと同時に、だんだん人を横着にもさせていくようだ。
会議での発表や報告には、単なる口頭の話より画像や映像が、何倍も目を引き気を引くから、こうしたプレゼンの形はますます増えていくのだろう。ほんの少し触っただけで、僕ももう少し勉強してみようか、と、そんな気にもさせる。

 

 

者・柚月裕子氏の最新刊を木更津市立図書館で借りてきた。いつもは早く予約したつもりでも二番手か三番手だが、今回は本の状態から僕が一番手だったことがわかる。新しい本は比較的きれいな状態で読めるのだが、たまに煙草の灰が挟まっていたり、コーヒーのようなシミが有ったりと、本を大事に扱わない輩もいて、不愉快な思いをさせられることもあるから、できるだけ早く読みたいというのは、時間的なことばかりでなく、きれいな本を読みたいという気持ちがあるからだ。
僕は逆に自分の本はそれなりに大事に読むが、特に図書館で借りた本に関しては、慎重に取り扱うことを心がけている。まあ、当たり前と言えばそうなのだが、時に汚された本を見ると、そうしたことに神経を使わない人間性を疑いたくなるのだ。
きれいな本を読み始める前に、いろいろと思いが頭を駆け巡る。

 

 

タイトルから、囲碁、あるいは将棋といったゲームをテーマとしたストーリーだということは想像したが、最近世間の話題をさらった、藤井壮太四段のこともあって、何かグッドタイミングという気もするが、このストーリーは「読売プレミアム」というウェブ新聞に連載されたものだそうだから、実際の話題を先取りしたことになるのか。
僕も将棋そのもののやり方や、ルールなど最低限のことは知っているが、実力と言えば小学生並みで、などというと小学生だって、有段クラスは沢山いるだろうから失礼になるか。
駒の動かし方を知っているといった程度だということだ。
しかし、読み始めてところどころに表れる、棋譜によって勝敗の微妙な動きが描かれることに驚いた。 将棋の勉強をしたのか? あるいはもともと著者は将棋を指すことが出来たのか? 本文の棋譜を見ながらそんなことを考えさせる。

 

 

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1778.アイリッシュ短編集4 青髭の七人目の妻

2017年09月20日 | サスペンス
アイリッシュ短編集 青髭の七人目の妻・他
Bluebeard’s Seventh Wife & Other Stories
読了日 2017/09/20
著 者 ウィリアム・アイリッシュ
William Irish
訳 者 村上博基
出版社 東京創元社
形 態 文庫
ページ数 385
発行日 1974/03/01
ISBN 4-488-12006-7

 

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書店で安く買い求めたものでISBNの表記がなく、Amazonで新装版の番号を調べて書いた。
表紙には原題として上記のようにBluebeard’s Seventh Wife & Other Storiesとなっているが、新装版ではSilhoette & Other Storiesとなっている。もちろん表紙のカバーも変わっており、黒を主体としたしゃれたカバーになっているが、僕はこの古い版もなかなか味があって良いのではないかと思っている。
因みに当時の価格は後ろに320円と印刷してあり、時代の流れを感じる。若い頃の一時期、僕はこのウィリアム・アイリッシュという作家の作品にほれ込んで、ずいぶん読んだものだがその大半は忘れており、当時の記録もどこかに散逸してしまい、残っていないのが残念だ。
今回のようにふと思い出しては、読むようにしているのだが、若い頃のような驚きや感動は望むべくもなく、ただ懐かしさだけが蘇る。いや、そうでもないか、やはり傑作ぞろいの著者の作品は、いつになっても読むたびに新鮮な驚きと感動が胸をとどろかす。

 

もちろん作品にもよるのだが、この作者の別名、コーネル・ウールリッチ名義の作品も同様に、僕は好きでこちらもだいぶ読んだ記憶があるのだが、同じくその大半を忘れた。
アイリッシュ名義の方は、本書もそうだが東京創元社から短編集が6冊刊行されており、このブログではこれが4冊目となる。すべて読んでいるはずなのだが、本書の内容もところどころで思い出すこともあるが、初めて読むような気もして、僕の記憶のあやふやなところに何となくもどかしさを感じることも。
下の表で分かるように、本書には9編の短編が収められている。サスペンスの詩人と言われるだけあって、いずれの作品も胸が痛くなるような緊迫した状況の中から、抜け出そうとする人物の恐怖と不安が、読む者の胸にも押し寄せる。
松本清張氏の作品では、ごく普通の市民が思わぬことから事故や事件に、巻き込まれて人生を一変させるといったストーリーが、リアルさを表して従来の探偵小説とは異なる世界を次々と生み出した。
僕は、このウィリアム・アイリッシュ氏の作品にも、同様のどうということの無い一般市民が、一つの過ちからどんどん自分を窮地に追い込むような、行動をとってしまう危うさが、サスペンス・ストーリーの神髄を表しているような気がする。

 

者の代表作としては「幻の女」があげられるが、僕は本書に収められているような短編にも、後の作家に大きな影響を与えている作品が多くあるような気がする。
例えば本書ではサブタイトルにもなっている3番目の「青髭の七人目の妻」などは、一つのパターンがいろいろと形を変えて、応用されている。その一つがアガサ・クリスティ女史の「カリブ海の秘密」がそうだ。 1964年に刊行された同作がアイリッシュ氏の作品を意識したかどうかは分からないが、テーマとしては全く同様であることが面白い。
アイリッシュ氏の作品は、短編の中にも多くの要素を含ませており、単にサスペンスを感じさせるだけでなく、若しかしたら自分にもこうした事態が訪れるかもしれない、そんな恐怖をも感じさせたり、人を思いやる心を人間ドラマとして描くなど、短い作品から考えさせる要素も盛り込んで、秀逸。

 

収録作と原題
# タイトル 原題 発表年
1 毒食わば皿 Murder Always Momentum 1940
2 窓の明り The Light in the Window 1949
3 青髭の七人目の妻 Bluebeard’s Seventh Wife 1936
4 死の治療椅子 Death Sits in the Dentist’s Chair 1934
5 殺しのにおいがする He Looked Like Murder 1941
6 秘密 Silent as the Grave 1945
7 パリの一夜 Underworld Trail 1936
8 シルエット Silhoette 1939
9 生ける者の墓 Graves for the Living 1937

 

 

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1777.宿敵

2017年09月17日 | サスペンス
宿敵
読了日 2017/09/17
著 者 小杉健治
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 571
発行日 1998/12/20
ISBN 4-08-748887-X

 

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杉健司氏の著作で未読の旧作は、まだ結構数多くあるから、新作にはまったく目を向けていなかった。それというのも、まだ古書店で本を購っていた頃に、古書店の棚を見ると時代小説が多くて、近頃は時代小説に転向したのか、とも思っていたからだ。
だが、最近になって書店を訪れた際に、単行本の棚には著者の新作が並んでいるのを見て、初めてまだ現代小説の新作を書いていることを知って、まあ、そういうことばかりではないが、また小杉氏の著作を読んでみようと思った次第。
だが、それにはまず手元にある旧作の文庫本数冊を消化してからだと、本書を手に取ったのだ。
この頃はもっぱら図書館を利用することが多くて、積ン読本の消化がままならない状態で、いつも心に引っかかっていたから、この際せいぜい手元の本を読むことに専念しようと、思い立ったがそれもいつまで続くかは全く分からない。僕の気まぐれは長年にわたって出来た悪習?だから、ちょっとやそっとで治ることもないだろうが、一応心がけておけば何とか・・・・ならないか。

 

 

小杉氏の裁判小説は、僕はよくガードナー氏のぺリイ・メイスンシリーズに例えたり、比較したりしているが、面白さや身近に感じることから、全く引けを取らないと思っている。
ガードナー氏は弁護士であり、法廷での検察側との駆け引きや戦術の出し方など、知り尽くしてのストーリーの組み立てだから、面白くないはずはないのだが、片や小杉健治氏に至っては法曹界とは無縁の人だ。 だが、その無縁の人が描く法曹界の内幕などは、手に汗握るほどの迫力に満ちている。まあ、それ相応の勉強をしたり資料を調べたりしているのだろうが、僕は作品を読む都度、作家とはすごいものだと感心するばかりだ。
今回のストーリーは、全日本弁護士連合会(全弁連)の会長選を巡って、有力候補・河合伍助の選挙対策委員長を務める、北見史郎の波乱ともいえる人生を描いている。
“いずこも同じ秋の夕暮れ・・・”といったようなことを思わせる選挙だが、古くは山崎豊子氏の「白い巨塔」で、大学病院の熾烈なる教授選が、ドラマや映画となって一世を風靡するような状況を作った。

 

 

書のストーリーは、選挙そのものを描いたものではないが、タイトルに表れているように、主人公北見史郎にとって、生涯の宿敵と言える検事・若宮祐二との関わり合いが、結局のところ大きなテーマとなっている。
「一人の人生には一つの小説になるくらいのドラマが隠されている」というようなことを言った人もいる。 ここでは、会長選挙の虚々実々の駆け引きや、情実に絡んだエピソードなど、様々な要素が盛り込まれるが、それぞれの過去のうかがい知れない事情が、現在にまで影を引きずっていて、悲しいまでの破局に向かって突き進む主人公に、僕は思わず涙を誘われたりして・・・・。
僕の人生は人の語れるほどのものではないが、それでも振り返ってみれば、80年近い年月だからいろいろなことが有り、後悔することが多いがそれでも数えるほどだが、良いこともあったと自分を慰めてみたり。

台風の思いがけない進路がまた九州地方や、各地に甚大な被害をもたらさなければいいと、願っているが自然災害はなかなか防ぎようがなく、大変だ。

 

 

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1776.東京ダンジョン

2017年09月14日 | サスペンス
東京ダンジョン
読了日 2017/09/14
著 者 福田和代
出版社 PHP研究所
形 態 単行本
ページ数 349
発行日 2013/05/21
ISBN 978-4-569-81208-3

 

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月10日に社会福祉法人薄光会の保護者・家族の会役員会が富津市の、太陽のしずくで行われた。
僕の息子はこの薄光会が運営する、ケアホームあけぼの荘に入所しており、すでに32年という月日が過ぎている。障害者を子に持つ親たちが立ち上げた法人が、最初の入所施設・豊岡光生園を建設したのち、南房総市の三芳光陽園、鴨川の鴨川ひかり学園、富津市の湊ひかり学園を建設して、ケアホーム6棟を有するケアホームCOCOを立ち上げて、ほぼ順調な歩みを見せながら、現在に至っている。
平成15年には、薄光会の運営に一身を投げ打ってきた、理事長・鈴木氏を失うという不幸に見舞われたが、それでも社会福祉法人としての歩みを止めることなく、障害者支援に努力を重ねてきた。
保護者・家族の会とは、各施設を利用する障害者の親・兄弟姉妹たちの組織で、施設ごとの支部長、副支部長の集まりが役員会だ。
今回の議題の一つに8月に行われた、他施設の視察についての意見交換があり、役員会担当の豊岡光生園の施設長から、僕は視察のまとめを依頼されて、パワーポイントによるプレゼンテーションの形でスライドを作成した。

 

 

法人の監事を務めていたころは、毎年5月の理事会において監査報告をプレゼンの形で行っていたから、スライドを作成することもあまり苦にはならなかったのだが、しばらくぶりで手掛けるプレゼンの作成は、ごく簡単なものにもかかわらず、結構手間がかかり苦労した。
なんといっても覚えていたことが少しずつ頭から漏れ始めているのだ。が、たまにはこうした仕事は、脳へと刺激を与えて、弛緩したような日常が新たに甦るような気がする。会議の中でプロジェクターの映像を見ながらの説明は何とか無事終わって、その後の意見交換も活発とは言えないまでも、委員たちにも多少の刺激となったようだ。
僕が用意していたグリーンレーザーを備えたプレゼンターは、なぜか機能せず本部職員の簡単なプレゼンターを借りての、プレゼンだったがスライドに施したアニメーションも、スムーズに動いてそれなりの効果を表して、10分ほどの時間は「アッ!」という間に過ぎ去った。
このプレゼンは、10月1日に行われる天羽支部会にも行う予定で、次は自分のプレゼンターの不都合を直して臨むつもりだ。

 

 

なんとなくテレビドラマの「怪物」(2013年読売テレビ制作)を見て、原作者の福田和代氏に興味を持った。残念ながら原作はまだ読んでないのだが、その年僕は「TOKYO BLACKOUT」という著者の作品を読んで、さらに著者に対して深い関心を抱くようになった。
が、その割には生憎というか、なかなか著作に手が届かず、その後昨年3月に「迎撃せよ」1冊を読むだけに終わっていた。著者の作品は図書館の棚を見ると、結構多様と思われるジャンルに及んでおり、本当はもっとたくさん読んでいてもおかしくない作家だと思うのに、それほど手が出なかったのはなぜだろう?

 

書は前回の「過ぎ去りし王国の城」と一緒に借りてきたもので、パニック映画を思わせるようなシーンも続く、サスペンスストーリーだ。
表紙の写真は思わず誘い込まれるような、地下鉄の軌道が奥の方で微妙に湾曲しているところが、何か危うさを感じさせて、読む前から物語の展開に不安をもたらす。

我々ごく普通の一般市民にはあまりかかわりのない、地下鉄の保線作業に打ち込む的場哲也だが、その最中に不審な人影を見たような気がする。それが後に重大な事件の発端になるとは、その時点で誰も気づいていなかった。
僕がこのタイトルが気になったのは、本書が発行された2013年のいつかだったと思う。ダンジョン(Dungeon)とは何だろうと、辞書を引いたら地下牢とある。著者の物語は前述の通り、まだ2冊しか読んでないのだが、図書館で見る著者の棚には、いろいろと異なるジャンル、と思われる本が並んでおり、そのバラエティ豊かと言えそうな本を、次々と読みたくなるような気にさせる。

 

 

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1774.時限病棟

2017年09月08日 | サスペンス
時限病棟
読了日 2017/09/08
著 者 知念実希人
出版社 実業之日本社
形 態 文庫
ページ数 364
発行日 2016/10/15
ISBN 978-4-408-55316-0

 

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の数学2を読み終わるのに少し時間がかかって、8月23日の返却期限を一日過ぎてしまって、24日に返しに行ったとき、本書があったので借りてきた。知念実希人氏の著作は、どこでも人気があって、比較的新しいものは貸し出し中が多い。
本書もだいぶ長い期間貸し出し中だったから、棚にあったので迷わず借り出したというわけだ。前に読んだ「仮面病棟」という作品とシリーズともいえる作品のようで、それにしては大分間が空いたから、もちろん僕はその前作の内容はきれいさっぱり忘れており、全く白紙の状態で読めるのが良いことやらそうでないやら。
知念実希人氏の頭には物語のエッセンスがあふれるほどに詰まっているのだろう。そんなことを思わせるほどに、次々と作品を生み出す。それでいて、現役の医師だというのだから、世の中は不公平にできている。 「天は二物を与えず」などと誰が言ったか知らないが、そんなことはない。二物も三物も持った人はそこここにいるではないか。などと僕が言ったところで、僻みでしかない。
そうした人たちのお陰で、僕は面白い物語を読めるのだから。二物も三物も持った作家諸氏に、大いに頑張ってもらって、面白い作品をもっともっと生み出してもらおう。

 

 

一つも役に立つものを持たない僕は、こうやって面白い本を探しては読むという、楽しみを持っているから何にも持たないとはいえ、毎日を楽しく過ごす術の一つや二つは持っていることになり、それで辻褄はあっているのか!?
大型台風の通過によってなんだか早めの秋が来たようだ。いや、これを書いているのが今9月3日だから、この記事をブログに出すころにはまた暑さがぶり返しているかもしれない。
11月2日の誕生日までに何とか、1800冊を読み終わりたいとせっせと読んではいるが、別に誰に期限を決められているわけでもないし、自分で納得すればそれでいいのだが、なかなかそれが出来ないから自分を納得させるのも楽ではない。
僕はかつて「刑事コロンボ」を何度も見て、リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンクのコンビの、ミステリードラマ作りの妙にただただ驚くやら関心するやらで、ドラマの中のセリフがいろんなところで、頭に浮かんではなるほどと思ったり、自分にあてはめたりしたものだった。

 

 

がアッチコッチ飛んでいくな。サラリーマン現役の頃は「君はいろんなことをやるが、一つことに集中したまえ」などと、よく会社のトップから言われたものだが、それはいまだに治ってなくて、集中してやらなけれなならない時に限って、まったく関わりのない下らない用事を自分で作っては、肝心の用事をほったらかしにする癖が抜けないのだ。
その「刑事コロンボ」のエピソードの一つ「闘牛士の栄光」で、カミさんと一緒にメキシコ旅行の最中に、「休暇中にも仕事を背負ってっちゃう」というと、相手のメキシコ人に「こちらではそういうのを間抜けと言います」と言われてしまう場面があるのだ。
僕は時々このシーンを思い浮かべて、僕も同様の間抜けなところがあるな、と思わされるのだ。少し前にもこんな事をここに書いたが、歳とともにコンセントレーションが衰えて、物事に飽きっぽくなって、といろいろ日常に小さな不都合を重ねていく毎日だ。

5人の男女が出口をふさがれた、元は病院だった廃屋に閉じ込められて、時間内に何とか脱出できないと、廃屋は爆発炎上してしまう状況に陥る。5人がこの廃屋に拉致されたのは、どんな共通点があるのか、次第にその要因がわかるにつれて、過去に起こった事件の真相が明らかになって、5人の意外な関係性と過去のつながりが・・・・。
手に汗握る、といったストーリー展開に夜の更けるのも忘れさせるばかりでなく、いろいろと面倒なことまで頭から抜けるのだ。

 

 

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1768.ネメシスの使者

2017年08月25日 | サスペンス
ネメシスの使者
読了日 2017/08/25
著 者 中山七里
出版社 文藝春秋
形 態 単行本
ページ数 338
発行日 2017/07/20
ISBN 978-4-16-390685-0

 

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変わらずの健筆ぶりを示す著者の最新刊だ。本書の予約は僕が一番乗りだったらしい。思ったより早く読めることになってうれしい。こうした売れっ子作家は、数多くの雑誌・新聞等に連載を抱えているから、思わぬ時期にまとめて単行本が刊行されることが有る。近頃は連載も雑誌・新聞に限らず、各出版社が刊行する文庫版大の冊子にも、作品が載っていることが有り、長編・短編・エッセイ等ジャンルを超えて掲載されている。
また、ネット上に公開される宣伝誌などというのもあり、作家の活躍の場は広がっていると思われるが、出版不況はそれとは関わりなく続いているらしく、各出版社は工夫を凝らして、そうした活字離れを防ぐ努力をしているようだ。
僕はなぜか電子出版にはまだ手を出してないが、Amazonなどからは絶えず勧誘があって、いずれはと思うが、僕は早くから(昭和50年代初め)パソコンに関わっているのに、子供のころからの紙の媒体から電子の媒体に移ることに抵抗があるのだ。
もっぱら図書館の本を利用するようになってから、いやその前に古書ばかりを手にするようになった時からでさえ、新しい本のページを開くときのなんとも言えない、匂いや感触が忘れられなく本から離れられないのかもしれない。

 

 

中山七里氏の作品には、登場人物の中に多岐にわたって、活躍の場を広げている者もいて、そうした人物に出合えるというのも、楽しみの一つだ。せっかく作りだしたキャラクターだから、1作だけで引っ込ませるのはもったいない、と読者である僕だって考えるのだから、作者に取ればそうした思いを抱くのは当然だろう。
そういえば、僕が最初に中山氏の作品と出会ったのは、このミス大賞受賞作に出てきて、あっという間に火事で命を落としてしまい、物語から姿を消す老人・香月玄太郎を主人公とした連作短編集だった。本編「さよならドビュッシー」のスピンオフともいえる作品で、その面白さにほれ込んだ僕は、次々と著者の作品を読み続けることになるのだが、その本編たる受賞作の主人公は、岬洋介と言って司法試験に合格しながら、音楽の道に進んだという変り者で、ピアニストでありながらその鋭い洞察力は数々の事件を解決する。
そうしたストーリーが後に続く「おやすみラフマニノフ」、「いつまでもショパン」、そして最近の「どこかでベートーベン」なのだ。
そうした岬洋介の進んだ道に、父親の怒りはまだ収まっていないようだ。本書に登場する岬検事がその父親だ。
父親が検事だから息子も同じ道に進ませようと思っていたのだが、こうした優秀な家庭でもままならぬことはあるのだ。

 

 

イトルにあるネメシスはミステリーの題材によく使われており、復讐の女神と解釈していたら、似たようなものだが義憤の女神らしい。服役中の重大事件の容疑者の家族が殺されるという、事件の現場に残された血文字「ネメシス」。そして、再び同様の事件が発生して、現場にはまたしてもネメシスの血文字が残された。
犯人の狙いは義憤なのか? 渡瀬警部は冷静な判断と行動力で犯人を追うが・・・・。
この検挙率No.1を誇る渡瀬警部は、「テミスの剣」や「贖罪の奏鳴曲(ソナタ)」で活躍する名探偵だ。 若い頃の探偵小説では、僕の望んだ名探偵は金田一耕助や、神津恭介、明智小五郎などといった、やはり私立探偵がカッコよく、どちらかと言えば警察官は敵役の感が強かった。
だが、探偵小説から推理小説へと呼名が変わり、優秀な警察官が次々と登場して、今やミステリーもリアルさを追求するようになって、私立探偵は影が薄くなった。しかし、読者の中には古き良き時代の私立探偵を求める人も、まだ数多くいるのではないか?
私立探偵という言い方は語弊があるが、生活の手段としての職業を持ちながらも、持ち前の観察力や鋭い推理力を発揮して、事件の真相を解き明かすという探偵は多く誕生した。もう探偵役の職業は出尽くした、という人もいるくらいだ。

そこで益々足で稼ぐたたき上げの刑事や、キャリアにもかかわらず、現場で鋭い洞察力を発揮する警部や、警視なども活躍の場を広げる。話がどんどんわき道にそれていくが、そういえば昔も警察官の名探偵がいなかったわけではないことを、今思い出した。
時代小説の方が有名となっている角田喜久雄氏が生み出した、警視庁捜査一課長の加賀美敬介だ。
横溝正史氏の金田一耕助、高木彬光氏の神津恭介と並んで、3KKと呼ばれたこともあった?苗字と名前のイニシャルがKだということだ。ミステリーファンはいろいろと、ストーリー以外からも楽しみ方を見つけるものだ。僕は生憎そうしたセンスはないから、もっぱら人の考えたことを見たり読んだりが専門だ。
どんでん返しの帝王と言われる中山氏だから、本書の結末もそうした工夫はあるものの、人生の不思議さと言おうか、一人の人生には外からは思いもつかないものが、隠されていることもあるのだ。

 

 

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1764.分離の時間

2017年08月17日 | サスペンス
分離の時間
読了日 2017/08/17
著 者 松本清張
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 286
発行日 1974/06/25
ISBN 4-10-110931-1

 

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日か前にブログのテンプレートを変更して、トップページのタイトル部分のバックグラウンドカラーを変えた。たったこれだけのことをするのに、gooブログのスタッフに質問するため、チャットで交信したりと余分な手間をかけた。さらに、昔ぷららのぶろぐで採用していたスタイル―と言ってもどうということの無いもので、右端に自作のシャーロック・ホームズのイラストを配しただけだ―に戻そうと思い、近頃とんとご無沙汰している、HTMLやCSSによるサイトの加工を試みようと、以前の資料を見た。
僕の息子が入所している福祉施設の一つに、湊ひかり学園という通所施設があって、前に僕はそこのサイトの改変を行ったことが有るから、その時の資料を参考にしようと思ったのだ。

 

 

資料を棚から引っ張り出してみると、2009年11月とある。なんと、もう8年も前のことになることに驚く。僕も歳をとるはずだと、今更ながら時の流れを痛感する。いまでは頭の中の知識も薄れがちだが、その当時はHTMLもCSSも一から独習をしながら、サイトを作ったことを考えると、たった8年前の若さの情熱が信じられないほどだ。
今よりずっと旺盛だった知識欲や、行動力を補う術は分からないが、なんとか頑張ってみようと、自身を鼓舞しているところだ。

 

 

松本清張氏の作品の面白さはもちろんだが、僕は作品の映像化の多さという点で、他の追随を許さないその魅力が、読者・視聴者に迫るのではないかと思っている。そんなことは今更僕がどうこう云々するまでもないことだが、僕の狭い部屋の棚に100枚以上に上るDVDやBDがひしめき合っているのを見ると、氏が昭和の巨 人と言われる所以を見せつけられているような気がするのだ。
ミステリーの世界(そんなものがあるとすればの話だ)では、ジャンルの一つとして、「日常の謎派」と呼ばれるものがある。僕の好きなジャンルの一つで、その創始者ともいわれる北村薫氏や、その後継者ともいうべき女性作家・加納朋子氏などの作品がその代表とされる。
だが、近頃松本清張氏の作品を再読していると、氏の作品こそ「日常の謎派」の始祖だったのでは、と思うようになった。何の変哲もない市井の一私人が思わぬ事件に巻き込まれていく、そんなストーリーが数多くあるからだ。

 

 

うした作品が読者に親近感を与えると同時に怖さを感じさせて、物語に引き込むのだろう。
加えて、そのバラエティというか、カテゴリーの豊富さだ。ノンフィクションから歴史研究、ミステリーの幅も広く、その多くの作品は後の作家たちにも大きな影響を与えている。
亡くなってからすでに四半世紀が過ぎてなお、いまだにテレビで古い作品はおろか、新作ドラマが製作される現実に、その偉大さを多くのファンに見せつける。僕は清張氏を知ったのが高校3年生の頃だったから、青春の多感な時期でとにかくその衝撃は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。
ここにも何度か書いたが、僕は松竹が野村芳太郎監督で映画化した、「ゼロの焦点」の禎子が上野から汽車で北陸へ向かう列車に乗り込んで、出発するまでのシーンに小説のイメージが重なって、映画が現実の世界を映しているような錯覚に陥った。
そのため映画がテレビで放映される都度、観たのはもちろんDVD化されてからは、数えきれないほどこの映画を繰り返し見た。ミステリーは小説に限らず、何度も繰り返し読んだり、見たりすることは少ないのだが、この作品をはじめ、僕にはそうした繰り返し見る作品がいくつかある。
まあ、それはともかくとして、「ゼロの焦点」はその出会いの衝撃のせいか、今も時々見たくなることが有るのだ。もっとも映像に限らず小説作も、今ブログに書いているのはほとんど再読、再々読が多いのだが。

 

 

本書は下表のごとく中編ともいうべき作品が2編収録されたもので、どちらもクライムストーリーともいう作品だが、ちょっとしたどんでん返しというか、思わぬ終末を迎える作品だ。
両方ともに1969年、黒の図説というタイトルで週刊朝日に連載されていた中の2編で、速力の告発の方が先の3月から5月、分離の時間はその5月から9月にかけて掲載された。この企画では、他にも「鴎外の婢」から「高台の家」にかけて10篇、全部で12編が1972年までの3年間にわたって掲載された。
この時期は清張氏のもっとも脂ののった時代ではないが、他にも多くの名作が残されている。
Wikpediaなどの解説によれば、松本清張氏は元々作家志望ではなかったというが、生活費を稼ぐために書いた処女作「西郷札」が、週刊朝日の懸賞に入選してなおかつ直木賞をとるなど、当初からその才能はいかんなく発揮されていた。
この2作はテレビドラマデータベースを検索しても見当たらないところを見ると、残念ながら映像化はされてないようだ。これからも折に触れて、清張作品を再読していくつもりで、Excel で年譜を作っているが、改めてその作品のバラエティ豊かなことに驚いている始末だ。

併載 速力の告発

 

 

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1734.天の方舟

2017年04月27日 | サスペンス
天の方舟
読了日 2017/04/27
著 者 服部真澄
出版社 講談社
形 態 単行本
ページ数 523
発行日 2011/07/07
ISBN 978-4-06-217058-1

 

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民健康保険の赤字という実情を考えれば、出来るだけ病院に通うことは避けなければ、とは思うがいろいろとそちこちに不都合な現象が起こって、歳は取りたくないものだ。と言ったところで、ここ1週間以上になるが、右目がかゆくて少し粘り気のある涙が出て鬱陶しいから、眼科に行ってきた。
かかりつけのドクターは花粉症だというが、僕の場合は家の中にいても症状が出るから、まあ花粉症というのは何らかのアレルギーだということで受け取った。診察後、点眼薬と内服薬を処方されて、帰宅後早速点眼薬を点したら、少し良くなったような気がして―僕はなんというか順応性が高いというか、半分はメンタル面でのことから、病院に行ったということや、あるいは薬を点したというだけで、もう治っていしまったという感じになるのが不思議だ。
病は気から、というのは僕のためにあるのか、そんな気にもさせるが、まさか1回の薬で治るはずもなく、しばらくは1日4回ほどの点眼薬と、就寝前1回の内服薬を続けて様子をみよう。

 

 

このところ春らしく暖かな日が続いたと思ったら、今朝は冷たい雨で少し寒さが戻った感じだった。
気象情報によれば、日中は温度が上がるようなことを言っていたが、5月が目の前になっても寒さを感じるのは、それほど珍しいことではないのか?もっとも梅雨寒という言葉があるくらいだから、だんだん寒さから遠ざかっている時のちょっとした寒さは身体にこたえる。

図書館に「白銀の逃亡者」と「ビブリア古書堂の事件手帖7」を返しに行ったついでに本書を借りてきた。
しばらくぶりの服部真澄氏の作品だ。この著者の作品にも「龍の契り」を読んで惚れ込み、一時期夢中で読んだことを思い出して、何冊か並んだ著者の棚から、本書を選んだ。
これといった理由はないが、最初読んだ「龍の契り」などと同様に、分厚い単行本が読んでみようという気を起こさせた。こうした分厚い単行本には、時として読むのを躊躇することもあるが、僕の脳なんて気ままで行き当たりばったりだから、同じことでも時と場合で変わる。
今回は前述のように、グローバルな内容の作品が服部氏の特徴なので、同様の内容の濃さを予感させて、読みたいという気になったのだ。

 

 

いプロローグで、このストーリーの主人公・黒谷七波が逮捕されるというショッキングなシーンが描かれて、驚かされる。「エッ!どうなってるんだ。」という思いは、第1章から始まるのが、そのプロローグに至る黒谷七波の回想というか告白ということで、納得するのだが・・・・。

1988年、黒谷七波が日本五本木コンサルタンツという会社の面接を受ける場面から、スタートする。
僕などは、コンサルタンツという言葉から、現役だったころになじんだ経営コンサルタントを思い浮かべるが、ここでのコンサルタンツは、それとは異なり―いや共通する部分も多少あるが、ODA(政府開発援助)がらみの、開発途上国からの要請により、インフラ整備などに大手建設会社などと開発調査などを行う、いわばソフト部分を仕事とする会社のことなのだ。
黒谷は女性としては珍しい気質の持ち主で、そうしたグローバルな仕事に興味を持って、日本五本木コンサルタンツの面接を受けたのだが、見事に内定をもらったのだ。

興味のあることだから、彼女は仕事を覚えるのが早いばかりでなく、もっと海外への進出を願っていた。それというのも、彼女には大きな金を必要とする事情があったのだ。
性別を超えた彼女の思惑は、仕事上のタッグを組むゼネコンの担当者に取り入って、彼とコンビを組むことにより、会社の信頼を得て海外の営業所所長となる。
そうした進展がリズムよく運ぶ中、反面大丈夫なのかと言った不安を抱かせることにも繋がって、クライマックスへと突入する。

 

 

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1724.合理的にあり得ない 上水流涼子の解明

2017年03月22日 | サスペンス
合理的にあり得ない
上水流涼子の解明
読 了 日 2017/03/22
著  者 柚月裕子
出 版 社 講談社
形  態 単行本
ページ数 355
発 行 日 2017/02/14
ISBN 978-4-06-220445-3

 

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地で桜の開花がちらほらと聞かれるようになったが、関東地方は東京が一番乗りだとは驚きだ。暑さ寒さも彼岸までというように、ようやく春の兆しが見えてきた。そんな中、大相撲は新横綱の稀勢の里が、順調に白星を重ねて10連勝と、ファンの熱狂的な声援を集めている。それこそ日本中の相撲ファンが待ち望んでいた日本人力士の横綱だから、ファンの声援は半端ではない。
先週行われたTポイントレディース2017では、こちらも菊池絵理香選手が初日からのTOPを維持して、通算14アンダーの好成績で優勝した。女子ゴルフツアーは、2017年の幕開けダイキン・オーキッド・レディスゴルフでは、韓国のアン・ソンジュ選手、2戦目のヨコハマタイヤPRGRレディスゴルフでは、プレイオフの末、藤崎莉歩選手を振り切って、同じく韓国の全美貞(ジョン・ミジョン)選手が優勝を手にした。
昨年、1昨年と2年連続の賞金女王も天才的な強さを見せた韓国のイ・ボミ選手が手中にして、女子プロゴルフは韓国選手の独壇場かとも見えたが、開幕3戦目にして日本選手が優勝したことに、今後の試合の日本選手の活躍を予感させるものとなった。

 

 

柚月裕子氏の新作・本書のタイトルを見て、以前読んだアダム・ファウアー氏の「数学的にありえない」を思い出した。と言っても僕のことだから、その内容はどんなものだったかさっぱりなのだが、それがもう10年も前のことだと記録を見て驚いた。
  今は亡き俳優で読書人としても著名だった、児玉清氏がNHKのラジオ番組で紹介していたのを聞いて、その魅力的なタイトルにひかれて、読みたいという欲求が高まった。だが単行本上下巻は僕の手を出せる価格ではなく、そのうちにと思っていたら、Amazonで割と安価で―と言っても定価に比較してで、安いということではなかったが、思い切って買った苦い思い出も甦る。そんなことをしているから、いつも僕は貧乏暮らしを抜けられないのだ。
そういえば、今ではあまりラジオを聴く機会も亡くなったが、あの番組は続いているのだろうか? 児玉氏の話を参考にして、他にも読んだ本があったが、彼はテレビでも週刊ブックレビュー(NHKのBSの番組だったが、今はなくなっている)の司会を務めていたことがあり、そちらも毎週見て本選びの参考にしていた。
ほんの少し前だと思っていたが、もう一昔前のこととなってしまった。

 

 

玉氏のような昭和の著名人が次々と世を去り、だんだん昭和の時代も遠ざかり、寂しい思いを抱くのは僕だけではないだろう。しかし、そうしたことは自然の摂理であり、いずれは僕もその仲間入りをするのだ。
生あるうちにせっせと読書に励まなくては。

木更津市立図書館から「予約資料がご用意できました。」とのメールが入ったのは、3月2日のことだった。僕は早速、翌3日に行って借りてきた。予約カードを出したのは2月初めの頃だったから、割合早く読むことが出来た。アダム・ファウアー氏の作品と似たようなタイトルだが、こちらはサブタイトルにあるように、上水流諒子(かみずるりょうこ)という女性を主人公とした連作短編集だ。さらには、下表に記したように、表題と似たようなタイトルがずらりと並ぶ。
このところ1週間ほどになるか、昼間は全く気にならなかった耳鳴りが、ふとした拍子にジンジンと響くようになった。いろいろな意味で鈍感な僕は、耳鳴りについてもそれが多分夏の頃から始まったせいで、蝉の声かと思っていたくらいなのだ。
だから「そんな馬鹿な!」と思われるかもしれないが、実際の話耳鳴りだとは気づかなかった。耳鳴りは医学的にも確たる原因はつかめていないらしい。だから、治療法についても様々なことが言われているようだ。
そんなことから僕も、医師に相談したことはなくこれと言った治療もしていない。鳴るがままに任せているが、日常生活に不便をきたすことはなかった。それがあるとき気づくと鳴っていない時がある。普通耳鳴りが止むことはないと聞いていたから、不思議な気もしたがそんなことも気にせずにいたのだ。
これを書いている今も左耳の奥では静かになり続いている。気にしなければ邪魔になるほどの音量ではないが、何かに夢中になっているときは全く気にならないものだ。こうした好きな作家の面白いストーリーも、耳鳴りなど忘れさせる効果をもたらす。

 

初出(メフィスト)
# タイトル 発行月・号
1 確率的にあり得ない 2012年Vol.3
2 合理的にあり得ない 2014年Vol.2
3 戦術的にあり得ない 2015年Vol.3
4 心情的にあり得ない 2015年Vol.1
5 心理的にあり得ない 2016年Vol.1

 

 

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1717.翼がなくても

2017年03月02日 | サスペンス
翼がなくても
読了日 2017/03/02
著 者 中山七里
出版社 小学館
形 態 単行本
ページ数 317
発行日 2017/01/18
ISBN 978-4-09-386452-7

 

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が小雨を伴って戻ってきた、そんな感じの寒い一日だった。とても「春雨じゃ、濡れて行こう」などと言えるものではない。花粉症の人にはありがたい雨かも知れないが、こんな日は炬燵に入って、と昔は言ったが我が家には炬燵がない。
今はエアコンやストーブと言った暖房器具があるから、昔とは比べ物にならない便利さがあるが、一方情緒がなくなったと思うのは、僕も昔の人になったか。昭和の貧しい戦後の時代を生きた者がだんだん少なくなって、寂しいばかりだが、物のあふれる豊かな時代になっても、僕の貧乏生活はなんら変わることなく過ぎていく。
3月に入って、僕の仕事である保護者・家族の会の会報作りの、締め切りが刻一刻と迫ってきて、心穏やかではない。明日3日に社会福祉法人薄光会の事業所の一つである、生活介護事業所「太陽のしずく」に取材のために行く予定だ。
6か所のケアホーム探訪が前回で終わったから、今回はその太陽のしずくの模様を描こうと思っている。
全くの素人の冊子づくりがまもなく2年を迎えようとしているのは、大したものだ。と、自分で言ってりゃ世話はない。何とか期日に間に合わせるため少し頑張ろう。

 

 

冒頭から迫力のあるシーンが描写されて、僕はこの作者は社会の出来事すべての面に興味を持ち、あるいは好奇心いっぱいなのだろう、というような気がしている。デビューして間もなくの頃、テレビに出演した際インタビューに応えて、「出版各社の編集者の要求に沿って作品を書く」と言っていた。
かなり前のことなので、言葉遣いは正確ではないがニュアンスはあっていると思う。それ以来僕は著者をいい意味で、職人作家だという認識をしている。それにしても、次々と発表する作品のバラエティに富んだ内容は、素晴らしいではないか。
だから、新刊が出たらすぐにも読みたいというのは、僕だけでなく多くの読者がそう思っている証拠に、図書館の予約件数は半端ではない。著者はいつそんなに読むひまがあるのだろうと思うが、読書家でもあるようだ。
以前BSイレブンでやっていた「宮崎美子のすずらん本屋堂」という番組に、何度か出演して楽しい話を披露したり、博識の片鱗を見せたりしていたのを思い起こす。

 

 

月17日に木更津市立図書館からのメールで、「予約資料の用意が出来ました」ということで、翌18日に借り出してきた。この本の予約は1月中旬だと記憶していたから、割と早かったなという気がしている。
こういう風にいつもスムーズに早く借りることが出来れば、言うことはないのだが、昨年11月初めに予約した「セイレーンの懺悔」はいまだに連絡がないところを見ると、何らかの事故でもあったのかと思ってしまう。しかし、僕はもう市原市立図書館で借りて読んでしまったから、いいのだがちょっと気になっている。
本書は、若き女性アスリートの成功ストーリー、かと思っていたら始まって間もなく彼女は事故により片足切断という、過酷な運命に翻弄されるのだ。
だが、本格的な物語はそこから始まるのだった。
夢も希望も失っていた彼女がテレビを見ているとき、目にしたのが競技用の義足だったのだ。障害者の競技とはいえ再び彼女に希望を持たせて、200m走に全身全霊を掛ける展開が胸を打つ。

 

 

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1712.セイレーンの懺悔

2017年02月20日 | サスペンス
セイレーンの懺悔
読了日 2017/02/20
著 者 中山七里
出版社 小学館
形 態 単行本
ページ数 317
発行日 2016/11/20
ISBN 978-4-09-386452-7

 

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風が吹き荒れている。テレビでは朝の気象情報で、春2番などと言っていたが、先達て春一番が吹いていよいよ春本番だと思っていたら、また寒さが戻ったりとあわただしい気象が巡る。
洗濯物があおられて、物干し台が倒れた。この風でいろいろとまた被害が出るところもあるのだろう。風の谷なら城オジがナウシカに向かって「いい嵐だ」と言いそうな強い風だ。余分な話だが、僕はあのナウシカの冒頭から中盤に差し掛かるあの場面が好きだ。これから何かが起こりそうなことを感じさせる夜のシーンだ。
ミステリー小説で幸せを感じさせるシーンから、突如不幸な事件に見舞われるといったところを思わせる。
ということはさておき、強い風に押し流される大きな雲で、晴れ間を見せたり曇ったりと、落ち着かない空模様だ。そんな風の割には温度は高いので室内は割と過ごしやすく、風の音を聞きながらこれを書いている。

 

 

本書の発売予告をAmazonのサイトで見たのは昨年11月の初めだった。そこで僕は先駆けて予約カードを、木更津市立図書館に出したのが昨年(2016年)11月6日だった。早く読みたいと思う本をあらかじめ発売前に予約することは初めてではなく、今までに何度か試みて、割と早く読めることが出来たから、Amazonの発売予告を便利に使っていた。
ところがいつまでたっても木更津市立図書館からの連絡はない。他の図書館を検索すると、12月初めには貸出中の記載があるから、発売されて各図書館には入荷していることがわかる。
明けて1月に入ってから、仕方なく市原市立図書館の予約数が少なくなったところで、予約を入れてみた。すると、1月25日(水曜日)に予約確保というメールが入ったので、夕刻帰宅ラッシュで込み合う道路を、市原に向かった。
読みたいという欲求は僕の場合、何にも勝ることのようで、涙ぐましい努力?(ラッシュ時にも関わらず市原市立図書館まで、普通遅くも40分で行けるところ、1時間以上もかけて駆けつけるのは、努力と言わずに何と言おうか!)をするのだ。他の人からすれば、なんと馬鹿馬鹿しいことを、と思うだろう。

 

 

のミステリーがすごい!大賞という宝島社が主宰する、大賞を「さよならドビュッシー」で受賞した中山七里氏の作品にほれ込み、最初に読んだのはその受賞作でなく、スピンオフともいえる「要介護探偵の事件簿」だったが、そのあとすぐに受賞作も読んで、見事に著者の罠にはまってしまったのだ。
とにかくあとからあとからスト-リー・メイキング・マシン―そんなものがあったら凄いが、そう思わせるような執筆の速さで、次々と傑作を生み出した。そんな物語製造機械のような著者に寝る間もあるのだろうかと思うが、それがなんとたまにはテレビにも出演するなどの、余裕さえ見せるのだから驚くのだ。
僕がリアルタイムでこうした作家と出会えたという幸せを感じながら、これから出る作品を一つ残らず読んでやろう!そんな思いを起こさせるのだ。だが不幸なことに今の僕は(いや今に限ったことではないか…)とても貧乏だから、たとえ古本といえどもそれほど買うことは出来ないから、どうしても図書館のお世話にならざるを得ない。
コロンボ警部補を笑えない。(これについては、刑事コロンボの41番目のエピソードを見られたし)

 

 

さて、本書は若い女性ジャーナリストを主人公としたサスペンス巨編だ。民放テレビ今日の社会部に所属する朝倉多香美というのが彼女だ。ベテランの先輩記者である里谷太一と組んで事件の取材をする中、願ってもない特ダネをつかむことが出来て、有頂天になる多香美だったが、思わぬ落とし穴に陥る。
そうしたストーリーが進むうちに、次第にジャーナリストの本分とは?という疑問を持ったり、捜査刑事と渡り合ったりする中で、何をすべきかを掴む。
女性記者のサクセスストーリーかと思えば、もちろんそれもあるのだが、やはりどんでん返しの帝王の名に恥じぬ結末が待っていた。

 

 

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