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隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1941.神のダイスを見上げて

2020年03月03日 | サスペンス

 

 

神のダイスを見上げて
読了日 2020/02/27
著 者 知念実希人
出版社 光文社
形 態 単行本
ページ数 340
発行日 2018/12/20
ISBN 978-4-334-91254-3

 

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役の医師が傑作と言える作品を、怒涛の如く生み出すさまは、かつて僕が夢中で読み継いだ海堂尊氏を彷彿させる。作品の傾向は全く異なるものの、僕を夢中にさせる多彩な内容は、多くの読者から好評を得ているようだ。
それは、新刊の出る都度図書館の予約数を見ても分かることだ。以前のように僕は早い時期から予約を入れることがなくなっているから、ある程度月日の経過を経て、予約数の少なくなるのを待っている。
こと読書に関して僕の欲望は鎮まることを知らないから、たくさんの蔵書を持ちながらも、次々と発刊される新刊ミステリーに、目を奪われ心も奪われて、図書館に足を運ぶことになる。
特に好きな作家の新作には読まなくてはという、義務感のようなものが持ち上がって大変。落ち着いてよく考えれば、いやいやよく考えるほどのことはなく、まずは積ン読となっている蔵書を消化するのが先決だが、新刊の魅力には勝てない。

 

 

そんなこんなで、著者の作品にしては2018年の作品だから新刊ではないが、比較的最近にファンとなった著者の作品には未読のものがまだいくらかあるから、何しろ全作品を読みたい作家の一人だから・・・。

巨大小惑星が地球に向かって接近中、人類滅亡の日まであと5日。そんな中でただ一人の家族である姉を殺された漆原亮は、その犯人を捜して殺すという目的のため、クラスメートの四元美咲に紹介された人物から拳銃を手に入れる。
だが、第一に疑った人物が何者かに殺害されて、警察から容疑者とみられて尋問を受ける。
四元の偽アリバイによって、釈放された漆原だったが・・・・。
SF的なタイムリミットの中で、唯々復讐だけのために命を懸けて動き回る遼に寄り添う四元。だが終盤に判明した思いもかけない真相に遼は・・・・。

 

 

にも書いたかどうか忘れたが、体の仕組みというかある時突然僕はアルコールが飲めなくなった。毎晩ささやかな晩酌―500mlのビール一缶―を楽しんでいたのに、高々コップ1杯のビールで、胸が苦しくなってしまったのだ。
会社勤めの頃浴びるように飲んで、アルコールで酔う気分を思い切り味わっていたことがたたったのか?それが嘘のように消え去った。
大酒のみではなかったが、酒に酔う時の気分は、ストレスも消し去って、何物にも代えがたいものだった。
ところがここ1週間ほど寝つきがあまりよくないので、就寝前に少しアルコールでもと思い、ワインを少しずつ飲んだら、なんとコップ1杯ほど飲んでも、苦しくなるどころかほろ酔い気分になるではないか!
なんだか体質の変化というのだろうか?そこでウィスキーを飲んでみたが、こちらも同じように気持ちのよいほろ酔い気分になった。もうこんなアルコールで酔う気分になることはあきらめていたから、びっくりすると同時に嬉しくなって、毎晩ワインやウィスキーを飲んでほろ酔い気分を楽しんでいる。

 

 

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1936.笑え、シャイロック

2020年02月10日 | サスペンス

  

笑え、シャイロック
読了日 2019/07/06
著 者 中山七里
出版社 KADOKAWA
形 態 単行本
ページ数 322
発行日 2019/05/31
ISBN 978-4-04-105404-8

 

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イロックとは、大方の人がご存じだと思うが、ウィリアム・シェークスピアの名作、戯曲『ヴェニスの商人』でお馴染みの、冷酷無比の金貸しの事だ。
裁判で裁判長の判決は、日本で言えば大岡裁きのごとき条件を付けて、シャイロックを「ギャフン」と言わせることになるシーンが有名だが、僕ははるか以前にテレビで、鹿賀丈史氏の主演によるドラマ(もしかしたら、演劇だったかもしれない、記憶はあいまいだ)を見たことがあり、初めての鹿賀氏の演技に感心してみていた記憶だけがある。
それはさておき、いろいろと多種多彩な作品を次々と発表する、中山氏については何度もここに書いてきたが、先日我が家でとっている東京新聞の文化欄に、著者の記事が写真入りで大きく取り上げられていた。
「量産支える想像力」という見出しのついた記事は、今年で10年を迎える作家生活は、春に50作目が刊行されるとのことだ。
僕は1昨年から昨年にかけて、アメリカのこれも多作家と言われた、E・S・ガードナー氏のペリイ・メイスンシリーズの82作を読んで、もうこれ以上の多作家の作品はないだろうと思っていた。しかし、そう遠くない将来、中山氏の作品もそれを超えて読むことになるだろうと、期待に胸が膨らむ。
因みに僕が詠んだ中山氏の作品は、本書で42冊を数える。

 

 

この記事を読むまでもなく、中山氏がデビュー以来出版編集部の意向に沿って、この記事のタイトルのように、想像力を膨らませて、ストーリーを構築するという展開は、かつて氏がテレビ出演の際に見聞きしたとおりだ。
しかし、その時点で「原稿用紙500枚が出来ている、後は書くだけ」と言い切れるのは、1日1冊という半端でない読書量や、果てしない想像力と創造力だろう。
さらには、そうして生まれた作品のどれをとっても、面白く読ませるものに仕上がっていることが、脅威なのだ。数多くの作品を生み出しながら、その合間に『中山七転八倒』などというエッセイ集まで出すのだから、驚きものの記、山椒の木である。

月に8~10本もの連載を抱えての執筆も、前述の如くの展開であればこその、成し遂げられるのだろうと、こちらも想像する。

 

 

の始まりはぐずついた天候が多かったが、このところ太平洋側の気象は、晴れの日が続いて、寒さに弱い(暑さにも弱いのだが)僕にとってはとても助かっている。
このところ長いこと(1年くらいか?)悩みの種だった、便秘が一つの薬であっという間もなく解消、尾籠な話で申し訳ないが、かつては薬で治るわけはないと、思い込んでいたから全く薬に頼ることはなかったのだ。
だが、ドラッグストアの店員の勧めで買った、“ナチュラル便秘薬”(佐藤製薬)は、一回飲んだだけで治ってしまった。
これならもっと早く薬局に行って相談するのだった、と思ったが、何より悩みが解消したのだから、良しとしよう。
話があっちこっち飛ぶが、7日にマイカーの車検が終わった。軽自動車とは言え7万何某の費用が掛かり、車を維持するにはいろいろと、費用がかさむものだ。僕が仕事を始めなければ、免許も返納し車も手放すのだが、仕事だけでなくカミさんのスーパー通いもあり、もう数年は車が必要だ。高齢者の事故などと言われないよう、安全運転に気を付けよう。

 


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1935.蟻の棲み家

2020年02月06日 | サスペンス

 

蟻の棲み家
読了日 2019/09/30
著 者 望月諒子
出版社 新潮社
形 態 単行本
ページ数 319
発行日 2018/12/30
ISBN 978-4-10-352191-4

 

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からの雨で始まった今日は、合間の休業日だ。少し多めの仕事を昨日の内に終わらせたから、心おきなく休めるのだが、日の当たらない僕の部屋は寒くて、ストーブが欠かせなく灯油の消費量が気になる。
なんともみみっちい話だが、貧乏暮らしの僕はそんなことも大きな心配事の一つなのだ。低気圧の影響で関東甲信地方に大雪の情報が飛び交っているが、幸いにして当地方は雨で助かっている。年々歳を経るにしたがって、体力も気力も衰えているから、雪にはご遠慮願いたいものだ。
ついこの前開けたと思っていた令和2年の正月も、残すところ京を含めて3日となった。「門松は冥土の旅の一里塚 目出たくもありめでたくもなし」一休さんが詠んだ狂歌を引き合いに出すまでもなく、80歳を過ぎた僕も、そんな心境を理解できるようになった。
昔と違い人の寿命が大幅に伸びたとはいっても、高々80年や90年は長い地球の歴史から見れば、ほんの一瞬の事でしかないだろう。だからこそその一瞬を大事に過ごさなければと、思うばかりでなかなかその通りにはいかない、というよりできないのが僕の弱いところだ。
(以上は1月29日に投稿する予定で書いたものだから、現実とは異なる気象状況なのだ。なかなか文章が書けなくて、投稿が遅れに遅れる。)

 

 

Amazonで著者・望月諒子氏の作品を検索したら、新作が見つかった。と言っても2018年の観光だから、新作とも言えないか?それでも著者の作品では一番新しい作品だ。
どこかで紹介されていたのを僕は見逃していたようだ。始めて著者の作品(大絵画展)を読んだのは、2013年だからもう7年にもなるのか、こうして過去を振り返るたびに、月日の過ぎゆく速さに改めて驚きを感じる。
その頃僕は折に触れてアートに関する著作に目が行って、その魅力に嵌っていた。いや、今でもそうした作品を読みたいと思っている。
読みたい本ばかり読んでいると偏った読書になると、もっともらしいことを考えていたが、今は何のためにそんな規制を自分に課しているのかと、なんだか馬鹿らしくなって、読みたい本を探して思い切り読もうという気になった。
今に始まったことではないが、こうしたことを書くことによって、自分に対して余計な縛りを科すことを、予防するというわけだ。単純な馬鹿だと思っていたが、僕もだんだん面倒な人間になってきたようだ。

 

 

うとっくに内容も登場人物についても忘れたが、売春行為をしている女性をターゲットとした、連続殺人事件の謎と、社会の底辺から抜け出すためにあがく男。そうした状況の中、地味な事件を追うフリー記者の木部美智子が、行きつくところに・・・・。
売春をして幼い息子を育てていた母親、男はそうした過去を持つことが、底辺の生活から抜け出せないことに関わっていると、思い込んでいる。
この物語は、よく見られるような、こうした過去の出来事が、犯罪に奔ることにつながるという、単純な物語ではない。重い状況が続くがなんとはなく、考えさせられるストーリーだった。
極たまにだが、本の内容について評論家さながらの、評などを書くこともあるが、僕のこの読書日記はまるで読書とは関係のない、駄文の羅列に終わることが多くなってきた。
今回ようやくブログを書くことになって、1昨年のペリイ・メイスンシリーズを夢中で読んでいたころのデータを読んでいたら、まあまあまともな文章を書いていたことに気付き、少しまじめに取り組もうと、反省しきり。

 

 

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1932.女王はかえらない

2019年12月05日 | サスペンス
女王はかえらない
読了日 2019/08/28
著 者 降田天
出版社 宝島社
形 態 単行本
ページ数 317
発行日 2015/01/23
ISBN 978-4-8002-3547-3

 

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分旧聞になってしまったが、8月27日はカミさんの誕生日で、目出度く84歳を迎えた。彼女は勘違いをしていたらしく、「85歳になった。」というのを娘が「違うよ、84歳だよ。」と言って訂正する。1935年生まれだから、確かに84歳なのだが、それでもカミさんは納得がいかないようで、首をひねっている。
決して呆けたわけではないのだが、どこかで思い違いをしたようだ。娘は1965年(昭和40年)の生まれだから、今年54歳で丁度母親とは30歳の違いだから、すぐに84歳だとわかるのだ。
カミさんは、もう10年以上前からリウマチの発症とともに、肥満が始まって軽い糖尿病まで罹病、いろいろと厄介を抱えてはいるが、日常生活に大した支障はなく、90歳くらいまでは生きるんだと張り切っている。
日本人の寿命は男女ともにここ十数年、大幅に伸びて企業の定年も65歳や70歳といったところまで伸びている。しかし、我々の暮らしがそれに比例して、良くはなってないことがなんとも悩ましいところなのだ。

 

 

ブログへの投稿とノートのメモが、時間のずれで前後するが仕方がない。前述の記録は8月末に書いてあったノートのメモで、そのとき読んだ本書が12月のブログへの投稿などと思ってもいなかったから、こういうことになった次第だ。
その内容などとっくに忘れており、本については何も書くことを思いつかない。 ノートに記されているのは、もう一つ、読書とはかかわりのないゴルフについてだった。ところがそれは11月17日のことで、読んでいると時間があっちこっち飛んで、感覚がおかしくなる。この記事を11月17日にアップロードするつもりで書き始めたのだが、どうやら途中で投げ出してしまったようだ。
近ごろそうしたことが少しずつ増えているようで、なんとも心もとない。集中力が続かなくなっている。集中力だけでなく、スタミナが持続しないことは大いに問題で、昨年3月から始めた、メール便配達の仕事については、ますます張り切って継続しているから、それらの現象が少しばかり気がかりだ。もう2-3年は仕事も続けたいと思い、多分、大丈夫だろうという気構えでいるのだが、それ以外について面倒だという気が先に立ち、スタミナ切れの状態は如何ともしがたい。

 

 

こ2-3日晴れの日が続いているから、部屋に差し込む日差しのおかげで、暖房費の節約に役立っている。
毎日の、のんびりとした暮らしに、これでいいのか?といった思いも、時として頭をよぎるが、少し経てば忘れてしまい、怠惰の日々が過ぎていく。
福祉施設に入所している息子にも、このところ会っていないから、顔を見に行こうかと思いながらも、体の方が言うことを利かない。決して動かないというわけではないのだが、思いと動きがなかなか一致しないのだ。
これが年を取るということなのか?
こんなマイナス面ばかり書いていると、気が滅入るから、素敵な女性に恋することなどに、思いを馳せたい。
少し前まで僕は、行く先々に恋人を作っていて、恋人に会うことを楽しみにしていた。いや、頭の中だけで思うことで、相手の方は一向にあずかり知らぬことだ。それでも、そうした思いを持つことが、ちょっとしたワクワク感を持たせて、若返るような気になるから、僕の健康法でもあったのだが、近ごろはそうした思いもなかなか沸かずにいる。何とかもう一度奮起して・・・・。

 

 

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1927.胡蝶殺し

2019年10月02日 | サスペンス
胡蝶殺し
読了日 2019/07/31
著 者 近藤史恵
出版社 小学館
形 態 単行本
ページ数 270
発行日 2014/06/25
ISBN 978-4-09-386380-3

 

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年の付けが一度に回ってきたような、千葉県の台風被害は想定外の停電や、それに伴う断水というインフラ被害が続いており、熱中症が原因と思われる死者も出ている。後になっていろいろと事前の備えについて、反省が成されるのだが、自然災害は我々の想定をはるかに上回る勢いで、襲い掛かる。
ずっと前にテレビでアメリカを襲ったハリケーンの、進路を変えられるか、あるいは勢いを軽減させることが出来るかという趣旨の試みを放送していた。かなり前のことなので、詳しいことは忘れたが、遠い将来には、そうした台風をコントロールできるようなことになるのか、ならないのか、僕にはわからない。
主旨は違うが、近ごろスウェーデンの少女、グレタ・トゥンベリさんの訴えが契機となって、世界中の若者によって、世界の首脳あるいは政治家たちへの温暖化対策の急遽実施が訴えられている。
そんな、言ってみれば当たり前のような意見が、一人の高校生女子の行動によって、世界に広まること自体が、今の世の中の状態を示しているような気がする、のは僕の偏見か?

 

 

思い込みという僕の悪い癖がまた出て、図書館で見かけて本書を借りてきた。近藤史恵氏の梨園ミステリーシリーズが好きで、本書もそのシリーズだとばかり思っていたら、違っていた。
若い頃からの歌舞伎フリークだったという、近藤史恵氏の梨園ミステリーをこよなく愛する僕は、もっとたくさんのシリーズを読みたいと思っているのだが、なかなか思い通りにはゆかないのが世の常で、作家としての活動はいろいろな形の作品を生み出すことに、情熱を傾けているようだ。
まあ、それでも期待したものとは異なっていても、もちろん近藤作品のファンである僕は、面白くこの作品を楽しんだ。歌舞伎には全く疎い棒ではあるが、人間の多様な生き方や、人生の不思議さというようなものが、その生涯をどのように変えていくのか、といった興味を持たせて読み終えた。

 

 

ログへの投稿が大分間が開いて、日が経つにつれどんどん億劫さが増して、このまま終わってしまうかもしれないという、気もして今日とりあえず何か書いて、投稿しなければという気になった。
従来僕の日常でテレビを見るということは、順位としてはかなり下の方なのだが、ここ1か月余は何となくテレビを見るという、好ましくない状態が続いて、夕食後の時間は読書という決めが崩れて、テレビに時間をとられて、読書はそっちのけ状態と本を読むことそのものが、面倒とまで思うようになったのは何だろう??
僕から本を取ったら何も残らないではないか、と、気を改めこれを書いている。何もかも歳のせいにはしたくはないが、これも加齢による一つの障害か?僕が一番嫌いだった何となくテレビを見て過ごす、という日常からの脱出をしよう。

 

 

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1915.平凡な革命家の食卓

2019年08月03日 | サスペンス
平凡な革命家の食卓
読了日 2019/06/20
著 者 樋口有介
出版社 祥伝社
形 態 単行本
ページ数 309
発行日 2018/04/20
ISBN 978-4-396-63543-5

 

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きな作家の作品は一つ読むと、次々と読みたくなるのだが、そうはいっても作品は無限にあるわけではないから、すぐに読み切ってしまわぬよう、少しずつ読む。
しかし、そんなことをしなくても、僕の読む能力を考えれば、そうそう全部の作品を読み切れるわけはないので、心配は無用だ。分かってはいるが持ち前の貧乏性は、そんなおかしな注意を払うのだ。

ところで、2年前に社会福祉法人薄光会の、運営協議員を仰せつかっていたのだが、2年の任期を終えて今年で退任することになった。法人の事務局長からメールでその旨の通知があった。
少し前に保護者・家族の会天羽支部の役員も辞任したので、薄光会関連の仕事は全くなくなった。11月で80歳を迎えるということで、そうした役職は辞めたいと、日ごろから考えていたので、僕としてはまことにありがたいことなのだが、正直、少し寂しい気もするのはどうしたことか。

 

 

最近は何事においても、面倒だという気持ちが働いて、歳を取るということの心身共に、衰えを感じているから、このブログへの書き込みも不定期となって、気の向くままとなっている。 いや、気の向くままというのは正確ではない。気の向くままに書けなくなっているのだから。ここに書くのはだいぶ先の話だが、現在僕が呼んでいる本は、原田マハ氏の『暗幕のゲルニカ』だ。段組みは1段ながら、357ページという長編で、印象としては大作だ。 樋口有介氏の作品とは一味も二味も異なる内容だが、僕はどちらも甲乙つけがたいと感じながら読んでいる。 何のかんの言いながらも、この『平凡な革命家の食卓』以降、10数冊を読み終わっているのに、なかなかここに書くこともままならない現実を、どうしたらいいのだろう?

 

 

年2月の車検まで何とか持たそうと思っていた前輪のタイヤが、ワイヤーがはみ出すまでに至って、いよいよ交換を迫られたので、近くのオートバックスに行って交換を依頼した。昔の知り合いが一人いるので、車に関してはこのオートバックスを依頼している。 取付料込みで2万数千円を払って、交換作業が始まったら前輪のブレーキシューが、擦り減って無くなっているということだ。そこでまた1万何某かが必要になる。今、車はなにかと必要だから、相応の出費は仕方がないが、貧乏暮らしの中、誠に痛いことだ。 何年か先、免許証返納に至るまで大事に乗らなければ・・・・。

 

 

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1911.ふたたび嗤う淑女

2019年07月06日 | サスペンス

  

ふたたび嗤う淑女
読了日 2019/07/06
著 者 中山七里
出版社 実業之日本社
形 態 単行本
ページ数 323
発行日 2019/01/25
ISBN 978-4-408-53736-8

 

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きな著者の作品にもかかわらず、前に読んだシリーズの最初の巻の内容は、きれいさっぱり記憶から消えている。だから読み始めてからしばらく進まないと、このストーリーの主人公はもとより、どんな筋運びだったか内容も思い出せない。
5月21日に君津市立図書館で借りてきた3冊も、最後の1冊になった。この読書記録を始めた当時の読書に対する意欲とか、ミステリーに対する貪欲な知識欲などが、次第に消え去りつつあることが少し寂しい。いや、途中から僕の読書は、純粋にエンタテインメントを文字通り楽しむことになって、余分なことは考えないようにしている。(何も思いつかない言い訳だ)

 

 

それにしてもシリーズ作品が次々と多くなってゆく著者の作品群だから、少しは読む方としても忘れない努力をしなければならない。 読者の反響などにより、各出版社の編集者が続編を望んだ結果なのだろうが、それに応えるように著者が作品を生み出してゆくことは驚異的ですらある。僕の忘れないようにする努力など、たかが知れたものだともいえるが、なんたって年寄りの努力は知れたものだ。
出来れば読む本は全部自分で買って、手許においておけばそれだけで、半分は済むのだがそれが出来ないのが悩みの種だ。

中学生から高校生にかけての頃、僕の望みは壁一面に広がる書棚と、そこに入るミステリーだった。今考えれば大それた望み、あるいはささやかな望み?どちらとも言えるようなものだった。
間もなく2000冊にも及ぼうとする読書量をこなしながら、なお当時思っていた古今の名作ミステリーの、ほんの一部分しか読めていないことが、残念な気もしたり、一方ではその読書量に満足していたりする。

 

 

のささやかな読書記録をブログで残そう、そう思って始めたころのいろいろと理想像などが、頭にあったのだが、月日の経過とともにそうしたことも、消え去りつつある。
歳をとるということはそういうことのなのか?そんな思いもあり仕方がないとあきらめるのはまだ早い。余分なものは処理して、すっきりとしたミニマリストになりたいとか、たまにはそんなことも考えるが、どうも僕にはそうしたことが出来ない性格のようなのだ。結構凝り性な気質も持ち合わせているから、何かきっかけがあれば、一直線に進む可能性も無きにしも非ず、なのだがそうしたきっかけは待っていてもやってこないようだ。

こんな調子で純粋に本を楽しむということからも、離れていくようで、どこかで生活そのものをリセットしたいものだ。

大分間が開いてしまって、ずいぶん暫くぶりのブログへの投稿だが、この項は6月中旬に投稿しようと思っていたものだ。読書の方は少しずつだが進んでおり、この他にもすでに数冊は読み終わっている。少しずつ書いて行きたい。

 


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1909.静おばあちゃんと要介護探偵

2019年05月28日 | サスペンス

  

静おばあちゃんと要介護探偵
読了日 2019/05/23
著 者 中山七里
出版社 文藝春秋
形 態 単行本
ページ数 302
発行日 2018/11/30
ISBN 978-4-16-390931-8

 

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々の書類の日付欄に印刷された令和元年の文字を見て、時代が改まった感じが強くなる。
昭和から平成に変わった時には、いささか戸惑いのようなものを感じたが、今回の天皇陛下の生前退位のもとに行われた新元号の制定ということで、左程違和感がなく新元号を受け入れることが出来たのか?
僕のような昭和生まれの単細胞の人間には、死ぬまで元号は変わらぬものと思っていた。だが、昭和、平成、令和と変わってくると、もしかしたら、令和の時代もそれほど長くないのでは?などという思いもわいてくる。少し不謹慎だったかな?
と言うような事はさておき、5月としては過去に例のないほどの厚さの毎日が続く中、僕は日に日にすべてにやる気をなくしているのだ。
歳をとるごとに体力も気力も減退して、とにかく何をするにしてもスタミナ不足で、一つ事を長く時間を掛けるということが、出来なくなっている。

 

 

僕の気まぐれな読書は万事こうした具合で、気の向くままにだ。借りてきた3冊は一気に読んでしまおうと、勇んで読み始めたのだが、なかなか思いと現実は一致せず、少し読んでは一休みということが続き、結局1冊読み終わるに2日以上掛かってしまった。
歳は取りたくないと思うが、いや80歳まではまだもう少しあるぞ!と思いながらページをめくり、物語を楽しむ。中山氏は自分で言うほどではなく、作品を愛しているのではないかと思わせるほど、シリーズ作品を多く書き続けており、本書もその一つだ。

 

 

が最初に読んだ中山氏の作品が『要介護探偵の事件簿』で、その主人公香月玄太郎と言って、下半身不随で車椅子生活を送る身だが、大きな声と人を人とも思わない話し方は、相手を圧倒してやまない。
そしてもう一人の主人公である高遠寺静は退官した元判事で、こちらも『静おばあちゃんにおまかせ』で、死後の活躍を見せているのだ。 そんな前の作品でおなじみだから、本書も面白くないはずがない。

読むことは読んでもブログへの投稿は、また別物で何を書けばいいのかと、そうした点が定まらず日一日と延びてゆく始末で、僕のスタミナ不足はあらゆる所で綻びを見せている。

 


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1905.そしてあなたも死ぬ....

2019年04月21日 | サスペンス
そしてあなたも死ぬ
AND THEN YOU DIE....
読了日 2019/04/20
著 者 アイリス・ジョハンセン
Iris Johansen
訳 者 池田真紀子
出版社 二見書房
形 態 文庫
ページ数 470
発行日 1998/11/25
ISBN 4-576-98147-1

 

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訳小説の場合、同じ作者の作品はその翻訳者も同じであることが望ましい、と僕は思っている。アイリス・ジョハンセン女史の作品は数作に亘って、池田真紀子氏が担当しているが、その後については数人の翻訳者に委ねられている。
僕は本書の役者である池田真紀子氏が訳した作品を多数読んでおり、いずれも僕の好みの作品であったことも、大いに影響があるのかもしれないが、例えば相原真理子氏の死去により、その跡を継いだパトリシア・コーンウェル女史の検屍官シリーズが、何の違和感もなく読み続けられることが、訳者の腕前だと感じている。
そんなことは翻訳者として当たり前だ、と言ってしまえばそれまでの事だが、この読書記録を始めたばかりの頃、ある海外作品を翻訳者の名前で選んだこともあって、役者の名前も一つの目安としている。
そんなことを言いながら、本書は読み終えるまでに僕の身体の都合もあって、かなり長い時間がかかった。昼間は何かと気が散ることが多いから、読書の時間は夕食後にしているのだが、前回書いたように腰痛で整形外科の診断を受けて間もなく、腰痛は収まったのだが、左の腰から足先にかけての痛みが発するようになった。

 

 

4月15日に整形外科のリハビリに行った際、ドクターにその旨を言ったら、即座に「それは神経痛だ」ということで、「当院では機械がないから、紹介状を書くのでH病院でMRIの検査を受けてください。」とのことだ。僕はその紹介状を持ってすぐにH病院でMRI検査を受ける。
そして、検査結果の入ったDV]Dを持ってとんぼ返りで整形外科へ。ドクターは僕に画像を操作しながら、椎間板ヘルニアであることを説明する。
テレビや新聞でよく目や耳にしていた椎間板ヘルニアについては、よく知ってはいたが、まさか自分がなるとは思ってもいなかった。「痛み止めを出しますから、しばらく様子を見ましょう。」ということで、その日から腰痛の薬と神経痛の薬を飲むことになったが、神経痛は姿勢によっては痛みが増したり、歩行に困難をきたしたりと、誠に厄介なものだ。

そんなことで、夜の読書も思うに任せず、の状態が続いているのだ。

 

 

日は木更津市議会議員選挙の投票日で、カミさんと娘と3人で近くの投票所に行って投票を済ませてから、昼食は幸楽苑に行った。我が家の近辺では君津市の国道127号沿いの店が、ホームセンター、ジョイフル本田の前に早くにオープンしたが、僕は入ったことがなかった。
その後、木更津市請西店が数年前にオープンして、カミさんの誘いから3人で行ったことがあるので、今回もそこで昼食ということになったのだ。近ごろ僕は全く外食をする気になれなかったのだが、反対にカミさんの方はたまの外食を楽しみにしているようで、割と近くの蕎麦屋に行ったりしている。
幸楽苑は前に入った時にも、チェーン店のラーメンにあまり期待はしてなかったのだが、まあそこそこ旨かった。何よりメニューの少なさやシンプルさが、客に受けているのか、賑わっており特に今日は日曜ということもあって、子供連れも多く混んでいた。
夏の参院選の前哨戦だといわれている統一地方選挙が、どういう影響を夏の決戦に与えるのか、明日の朝刊が楽しみだ。それにしても足が痛い。

 

 

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1903.最後の架け橋

2019年04月02日 | サスペンス
最後の架け橋
LAST BRIDGE HOME
読了日 2019/04/01
著 者 アイリス・ジョハンセン
Iris Johansen
訳 者 青山陽子
出版社 二見書房
形 態 文庫
ページ数 245
発行日 1998/02/25
ISBN 4-576-98003-3

 

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く最近になって少し読み続けてみようと思ったアメリカの人気女流作家の作品だ。
僕の偏見かもしれないが、西欧ではこうした女性の作家が描く、サスペンス―ロマンティック・サスペンスと呼ばれているが―の世界が人気を呼んでいるようだ。もちろん国内でもそうした作家の作品が、たくさん翻訳され出版されている。僕はそうした作品にあまり興味がなかったものだから、読んでこなかったのだが、それでもNHKテレビで放送された、そうした作品を原作としたドラマを見て、メアリ・H・クラーク女史を知り、いくつか読んだ。
アメリカという国柄かその広い土地を舞台としたストーリー、多民族国家の不気味な組織など、そうした小道具というか、ストーリーに欠かせない多様なオブジェクトにより、スケールの大きな物語が生まれる(のだろうと推測する)。
それだけでなく、ロマンティックと謳われているように、中にはラブストーリーと言ってもおかしくないような、内容も盛り込まれているなど、多彩なストーリーで読者を虜にしている。

 

 

どちらかと言えば、まあそんな断りを入れなくとも、ミーハーな僕もそうしたストーリーに、胸をときめかせて次々に読んでみたくなる。そんな僕のような読者を八方美人と言うのは、ちょっと意味合いが違うか。その時々でそちこち好みが変わって、読み散らかすことは、この読書記録を始めたころの目的とは離れる。
とは言うものの、僕の読書は半分以上が楽しみのためでもあるから、どう読もうと、どんな書物を読もうと、一向にかまわない。
そんな弁解をする必要もないが、それでもどこか僕の頭の中に、節操もない自分に恥ずかしい、という気持ちがあるのだろう。3冊目となる著者の作品は、先に読んだものとは少し異なる内容で、ちょっと短めだ。
にもかかわらず、読み終わるのに時間がかかったのは、ある意味かたくなな主人公に感情移入できない部分があったせいかもしれない。

 

 

日は5月から始まる新しい年号の発表があり、テレビではどこもその年号の決定に関するニュースで、賑わいを見せていた。今朝の新聞の第一面にも『令和』という年号が大きなスペースを占めている。
平成の時には、最初にわずかな違和感を覚えたが、今回はそのような感じはなく、素直に受け入れることが出来た。まあ、僕が受け入れようと受け入れまいと、そんなことがどうこうすることはないのだが、今回の年号改正は従来とは異なる雰囲気があり、天皇陛下の生前退位という事柄が、大きく国民の感情に占めているからなのだろう。
今はもう昭和の世代は、二つ前の年号の時代となって、特に僕のような年寄りには、その生前退位という天皇の気持ちに寄り添いたいという、寂しいが「お疲れさまでした」という、気持ちが強くわく。
激動の時代などというが平成の時代が、特にそうした印象を持つのは自然災害の大きさや、バブル崩壊などという、経済事情の激変ともいえる時代だったことが、強く心に残っているからだろう。新しい令和の時代が、平和で穏やかな時代となることを願おう。

 

 

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1900.昨日がなければ明日もない

2019年03月26日 | サスペンス
昨日がなければ明日もない
読了日 2019/03/11
著 者 宮部みゆき
出版社 文藝春秋
形 態 単行本
ページ数 396
発行日 2018/11/30
ISBN 978-4-16-390930-1

 

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今3月26日午後4時を回ったところで、ようやく陽の光が差してきた。いやもう少し前だったか?他の事に夢中になっていたので、部屋に日が差してきたのも気づかなかったのか?
気候の変動は春特有のものらしく、少し春めいた日があると、冬の気配が漂ったりして、体調の管理も難しい。特に僕のような暑がり、寒がりとなった身には、応えるのだ。その日差しを待っていたかのように、カミさんがスーパーに行きたいという。
若い頃には家事は120%彼女に任せておいて、障碍者の息子の世話も手を出さなかった僕は、今や、カミさんの買い物や、病院への送り迎えに努めることが、当時の少しばかりの罪滅ぼしのつもりでいる。今日は火曜日で、近くのスーパーが売り出しの日で、駐車場は満杯の状態だった。
その昔、僕はこのスーパーの子会社が経営する、コンビニのオーナーになる研修を受けたことがあったが、今考えると若さゆえの無謀な考えだったと思うが、もしそのまま続けていたらどうなっただろうか?フランチャイズのオーナーの、365日24時間勤務が問題になる中、7イレブンの本部も話し合いに応じる姿勢を示したようだ。何とか丸く収まることを、他人事ながら願っている。

 

 

堪え性のない僕は、ヨドバシカメラのゴールドポイントが少し残っていることが、気になってしょうがないから、本書と交換することにした。子供のころから、持ったお金はすべて使い切ってしまわないと、落ち着かなかった性格は、80歳になろうと変わることはない。
そうした点は、いい歳をして小さな子供より始末が悪い。分かっているつもりが、実は何にも分かっていないのだ。読みたい本も、読むべき本も、たくさん手許にあるにもかかわらず、新しい本を欲しがるのは、生来の貧乏性の表れか。
「貧乏は恥にあらず」とはいうものの、「貧すれば鈍す」とも言い、ともすると貧乏は人の心まで貧しくすることがある。誰しもがそうなるとは限らないが、せいぜいそうならないよう気を付けないと、僕にはそんな危険性も持ち合わせているような気がするのだ。

さて、このシリーズは、サラリーマンの杉村三郎が、巨大コンツェルン会長の娘と結婚するところからスタートする。ただこの会長の娘と言っても、愛人の子なのだ。杉村氏は結婚の条件として、会長から会社の役員にはならない等、もう一つ彼の会社に転職すること、の条件を言い渡され、社内報の編集をするよう言い使ったのだ。そして、いろいろあったのち杉村氏は離婚することになるのだが、そうした経緯は、1巻目の「誰か」から「名もなき毒」、「ペテロの葬列」、「希望荘」へと続いてに詳しい。

 

 

にとって特別な存在ともいえる、宮部みゆき氏とその作品は国内の作品の中では、一番の数となっている。数が多ければいいというものでもないが、時としてその数が不思議な現象を現すこともある。このシリーズの出発点である、『誰か』が当初の目標であった500冊目であったことや、奇しくも同じシリーズの本書が1900冊目と、節目の数になることなど、もちろん単なる偶然と言ってしまえば、身もふたもないが、そんなところも僕は勝手に納得しているのだ。
この読書記録はWordのファイルとして、100冊を1ファイルとして保存してあり、今回の1900冊目は19番目のファイルの最後となる。B5サイズの大学ノートのメモから、Wordのファイルで表紙の画像の添付、清書をして、さらにはそれをメモ帳のテンプレートにペーストして、ブログに投稿している。
だから、少し手間はかかるが、データが消失するということの心配はない。
こう書いていくと、何やら良いことずくめだが、一方ではかなり手間がかかり、面倒なこともあるから、もう少し手間のかからないスマートな方法があるのではないかと、考えてはいるがそう簡単ではない。

 

 

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1899.薔薇を拒む

2019年03月24日 | サスペンス
薔薇を拒む
読了日 2019/03/06
著 者 近藤史恵
出版社 講談社
形 態 文庫
ページ数 285
発行日 2014/05/15
ISBN 978-4-06-277834-3

 

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後に著者の本を読んだのは2017年1月だから、もう2年も前の事になる。大好きな作家のひとりなのに、そんなに間が開いたのは、特別な理由があるわけではなく、単に新しい作品に目が向いていただけだ。(同じことを何度書いたか!)
タイトルから内容を想像することはできないが、表紙のイラストから青春ミステリーを想像した。だが、無理にそう当てはめることはできるが、読み進めるとそうではないことも分かる。東京から遠く離れた和歌山県の山奥の山荘が物語の舞台だ。いや立派なお屋敷で山荘ではない。
会社を経営する富豪の光林氏の屋敷で、そこには妻の琴子、娘の小夜のほか使用人たちが住んでいる。
屋敷は体の弱い妻のためのもので、光林氏は仕事に専念するために、一人東京に残っていた。

 

 

施設で暮らし高校に通う鈴原博人は、ある日施設の所長から意外な話を持ち掛けられる。東京で会社を経営する事業家の光林康雅の家族が、和歌山の山奥で病弱のため静養しており、そこに住み込みで働く若者を募集しているというのだ。
そこで3年間働けば、大学の学費とその間の生活費の面倒も見るということだった。金の心配のないいい条件に僕・鈴原はそこで働くことにした。雇われたのはもう一人、僕と同い年の樋野薫だ。
だが、二人にとってわからないのは、なぜ僕らがそんないい条件で雇われたのか?ということだった。

鈴原の目線で語られていくストーリーは、真相の令嬢たる小夜をめぐって、若い二人の思いが交錯する。先行きが懸念される3人の動向とは別に、思いがけない事件が勃発して、洋館は警察の捜査を受ける状況に陥る。

 

 

波の襲来で、突然冬に逆戻りと思われるような、昨日の陽気が嘘ではなかったのか、そんな思いさえ浮かぶような暖かな今日、僕は保護者・家族の会の役員会で、富津市の太陽のしずくに行ってきた。
社会福祉法人薄光会が運営する、豊岡光生園を始めとする5か所の事業所の利用者の、保護者・家族の会が存在する。そしてそれらの役員・支部長、副支部長で構成されるのが、役員会だ。
今年は3月で役員たちの2年の任期が終わるので、同じメンバーによる最後の会合となる。もちろん留任もあり、すべてのメンバーが変わるわけではないが、僕は3月いっぱいで退任するから、この役員会に出席するのは最後となる。

年度末の会は恒例により、終了後市内の食堂で、昼食会が開催された。所用で出席できないものもいたから、出席者は9人と少なかった。それぞれの事業所の保護者・家族の会は、支部長あるいは副支部長、または両方が女性というところもあり、女性の活躍が目立つ進歩的な組織だと、僕は考えている。
僕が所属している天羽支部会も、会計や会計監査はともに女性で、しかも活発な意見を発する人たちで、5月からは支部長も女性になって、役員4人の内3人が女性となる。そうした点からも、わが天羽支部の発展的な活動が、大いに期待できるというものだ。

 

 

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1896.ワルツを踊ろう

2019年03月17日 | サスペンス

  

ワルツを踊ろう
読了日 2019/01/29
著 者 中山七里
出版社 幻冬舎
形 態 単行本
ページ数 334
発行日 2017/09/05
ISBN 978-4-344-03169-2

 

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来、僕は中山氏の作品で、ストーリーに夢中になるあまり、作者がその中である種の主張をしているなどと考えたことはなかったが、この作品で初めてそうしたものがあることを感じた。
そこで過去に読んだ作品を振り返ってみようとしたが、何しろ2-3冊前の内容を忘れるくらいだから、とても思い出せるものではない。これからはそうした意識、無意識は別として、いや作者が意識的にか無意識のうちにか、などということは分からないが、主張であるとか考え方であるとか、そうしたものが込められているかどうかも、読み取ってみようと思ったのだ。
しかし、反面それは純粋に物語を楽しむ上では、邪魔になるのではないかという思いもあり、まあ成り行き任せだ。鈍感な僕の事だから、編集者の提案で物語を紡ぐにしても、どこかに作者の考え方や、世の中の仕組みに反発を、巧みに組み入れているのかもしれない。

 

 

そんなところにも、職人作家としての矜持があるのか? 何やら、優雅な印象を与えるタイトルだが、内容は全くの逆で、世の不景気に伴う会社の業績ダウンで、リストラクチャ―の煽りを受けて、故郷にUターンした男の物語なのだ。
ところが帰った田舎の村は、なんと限界集落を絵にかいたようなところで、ただ一人の肉親である父親の葬式を終えた直後から、ストーリーは始まる。
葬儀参列の礼に地区長宅を訪れた溝端了衛は、地区長夫妻から村のしきたりについて、諭されて自分の考えの甘さに気付くのだが・・・・。地区長から頼まれた回覧板をもって、地区7軒を回り溝端は増々田舎暮らしが、思っていたのとは異なる厳しさを感じるが、今更戻るところはなく、なんとか地区に溶け込む算段を考えるのだが、彼の講じる算段もまた見当違いばかりだった。

読んでいる内に僕は次第に主人公に対し「もう少しうまくやれよ!」言いたくなるが、昔僕も何度か転職をした際の事を思い起こして、このストーリーの主人公とは少し事情が異なるが、自分の思っていたこととは違う方向に歩んでいることに、苛立ちを感じた古いことに重ね合わせて、袋小路に追い詰められたようなストレスを・・・・。

まあ、そうした内容から、また、恐ろしい結末からも、僕は作者の世の風潮に対する風刺や、皮肉といったものを感じたのだ。

 

 

日で中日を迎えた大相撲は、大関取りを目指して頑張っている貴景勝を始め、初優勝に向かって進む高安など、各力士が活躍する姿を見るが、LPGA開幕第2戦も最終日だ。
昨日の段階では、7アンダーの大城さつき選手と韓国のペソンユ選手が並んでの首位に続き、5アンダーの鈴木愛選手とイミニョン選手が3位タイの成績だった。最終日の今日は何とか、鈴木愛選手のバーディーラッシュで、今季初優勝を望むが、テレビ東京の実況中継は午後4時からだ。
大相撲放送と重なるが、僕にとっては鈴木愛選手の活躍を見逃せないから、見るのはゴルフの方だ。まばゆい日差しが差し込んで、朝から僕の部屋は暖かく、春本番の陽気だ。どうもあちこち気が散って、ブログの更新がままならない状態だ。
読書の方も二進一退といったところで、どこに集中すべきかもわからない状態だ。昨年しばらくの間、パソコンの故障で、ブログも休んでいたのだが、パソコンが修理から帰ってきたら、ブログに設定していたアクセスカウンターが壊れていた。
設定し直そうと思って、テンプレート編集のHTML並びにCSSデータをいじっていたら、僕のやり方がどこか間違っていたようで、現在のようになってしまった。改めてやり直す元気もなく、そのままアクセスカウンターもなしで、推移しているが、毎日のアクセス数を見ていると、100人前後という数値が続いているから、以前よりは読者が増えているのか?少し頑張ってみよう。

 


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1895.シャッター・アイランド

2019年03月14日 | サスペンス
シャッター・アイランド
SHUTTER ISLAND
読了日 2019/02/21
著 者 デニス・ルヘイン
Dennis Lehane
訳 者 加賀山卓朗
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 460
発行日 2006/09/15
ISBN 978-4-15-174402-0

 

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前テレビで予告編だか広告を見たかで、レオナルド・ディカプリオ氏主演の映画が、確かこんなタイトルだったことを覚えていたので、どんな内容かと気になっていた。たまたまBOOKOFFの108円文庫棚で見かけて、買ってきた。
一時期BOOKOFFにも通わなくなっていたのだが、息子がお世話になっている富津市の福祉施設へ出かけた帰り道際の、君津市の店に立ち寄った時の事だった。タイトルのシャッター・アイランドから、孤島で起きる事件の話かと、想像していた通り、半分は当たっていたが、ネタバレになるから説明不能な結末部分があって、そこの部分のどんでん返し、いや正確にはどんでん返しではないのだが、それに似た感覚を味わえる仕掛けに驚ろかされた。
映画ではどんな映像になっているのか、後でレンタルビデオ店の、DVDを借りるか、あるいはAmazonのプライムビデオを見ようか・・・・。

 

 

現在でも週に何度かしか連絡船が来ない、というと、都はるみさんの歌を思い浮かべそうだが、文字通りの孤島があるのだろうが、そんな島全体が密室のようなところに、建てられた精神病院と言っただけで、不穏な思いも浮かんでくる。
その病院から一人の患者が行方不明となって、その捜査に呼ばれたのが、連邦保安官のテディだった。相棒のチャック・オールとフェリーに乗った。島の桟橋では、副院長が二人を出迎えた。

読み終わってから、僕はその最初のフェリーが島に到着した当たりを読み返してみて、巧みに伏線を張り巡らしていることに気付く。そして、ますます映像としての作品も、見たいという欲求が深まったのだ。

 

 

近集中力が維持できなくなっている。会社勤めの頃、チェーンストアづくりという仕事柄、たくさんの関連書物を読んだりセミナーに参加したり、それに伴ってレポートを書くということが多く、集中力は欠かせない技能の一つだった。
僕はそれとは別にパソコンの活用に力を注いでいた。今考えれば誠に幼稚なものではあったが、業務の一部をプログラム化することに、夢中になっており、ビジネスコンピュータを扱う専門部署があったにもかかわらず、独自に考えていた。
ビジコンもパソコンもまだ発展途上にあったから、素人も口をはさむ余地が十分に残っていた時代で、僕は生意気にも、独学のか細い知識で、専門家をけむに巻いていたのだから、赤面の至りだ。
しかし、だからその頃の集中力と言ったら、半端でなかった。木更津市から千葉市中央までの車中においても、そうした業務以外のパソコンに関しての、思いが頭を占めており、時折はひらめきのごとく、ヒントが浮かぶこともあった。30年も前の話だ。

 

 

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1880.護られなかった者たちへ

2019年02月04日 | サスペンス
護られなかった者たちへ
読了日 2019/01/06
著 者 中山七里
出版社 NHK出版
形 態 単行本
ページ数 381
発行日 2018/01/25
ISBN 978-4-14-005694-3

 

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ソコンが故障した後は(昨年6月以降の事である)、読書にも身が入らず、中山七里氏の新刊が出る都度、目を光らせていたことも忘れて、著者の作品からも遠去かっていた。そんなことから、本書も刊行後1年もたっていたのかと、今更驚いているところだ。
中山氏の作品は、その道の専門家が書いたのか?と思わせるような専門的な知識が横溢する作品も多い。デビ ュー作に関して、ピアニストの音楽家、仲道郁代氏をして、著名な音楽家と思わせたことを、『おやすみラフマニノフ』の解説で吐露しているほどだ。
『中山七転八倒』の中で、著者は何度も“承認欲求”について言及しているが、著者自身は全くそれに関して持ち合わせていないという。つまり簡単に言えば、「我ここにあり」と認めてもらいたいということだが、それは誰しもが大なり小なり持ちあわせている心境ではないかと思う。
だが、中山氏は、数多くの文学賞に応募する、作家志望の者たちが、単に承認欲求を満足させるだけの目的で、作品を応募することに、否定的な意見を何度も繰り返す。だが、僕は反面、誰しもに中山氏のように、次々傑作、いや駄作でも、生み出す能力があるとは限らない。それどころか、受賞後の2作目を発表することすら簡単なことではないだろう。 話がずれた。

 

 

中山七里氏が、まるでその道の専門家のような、多岐にわたる作品を書いていることに、驚きを感じていることから、どんどんと話がずれていってしまった。僕のお粗末な脳の迷走だった。 仙台市の保健福祉事務所課長・三雲忠勝が、手足や口の自由を奪われた状態の餓死死体で発見された。三雲は公私ともに人格者として知られ怨恨が理由とは考えにくい。刑事たちの各方面への聞き込みから得られた情報は、唯々、三雲の“良い人”と成りを確認させるものだった。
また、物盗りによる犯行の可能性は全く考えられず、捜査は暗礁に乗り上げる。そして、三雲の死体発見の数日前に、刑務所から出所した一人の男。彼は過去に起きたある出来事の関係者を追っていた。彼の目的は何か? 
連続して起こる殺人の残酷さは、屍体を見慣れた刑事さえも、嘔吐を催すほどのひどさで、犯人の怨恨の異常な深さを物語っていた。
この作品を読みながら、僕は従来とは異なる著者の作品という感じがして、中山七里氏の新境地!?などと思ったが、いやいや、中山氏は新作を発表するたびに新境地なのだと、思いを新たにしたのだ。

 

 

曜日の今日も、朝から晴れ上がって、4月上旬の陽気となるらしい。 春を待ち焦がれる僕にとっては、うれしい一日となりそうだ。だが、昨日、市原市立図書館と木更津図書館で、予約した本を受け取ってきて、その数5冊。やたらに予約を入れておくとそんなことになる。2月16日の返却日までに、すべてを読み切れるか?ちょっと心配になる。 2日から3日で1冊だから、それほどの量ではないのだが、期限を気にしながらでは、内容も身に入らないのではないかと、言うことなのだ。まあ、なるようにしかならない。
のんびり、且つ、じっくり構えよう。

今日本を読みながら、僕はこの読書の時間ずいぶんと読書ための儀式を作っていることに気付いた。 一つ、数ページごとに一休み、数十ページに珈琲、ある時は珈琲プラス菓子類、3時のおやつは珈琲または紅茶に菓子パンの類、等々これでは読書が進むわけはない。僕の読書スピードが弱まったのは、いつの間にか増えたこうした儀式のためだった。 しかし、これらをやめることは難しい。どうすればいい?

 

 

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