唐子おどり (牛窓) 2008年10月28日 | Weblog 牛窓神社の秋の祭礼では、色鮮やかな異国の衣装に身を包んだ稚児が 境内では小太鼓、横笛、歌に合わせて不思議な踊りの舞いを披露してくれた 潮待ちの天然の良港として栄え、江戸時代に朝鮮通信史が寄港し善隣友好の 使節を迎え豊かな文化交流の一つとして現代に伝わっています 当時、通信史と一般人との交流は禁じられていたそうですが、 けれども、それでも交流はあったのでしょう。人間同士だもの・・・ « 焼き物のふるさと | トップ | 水の中の案山子 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 同じ人間です。 (夢写観) 2008-10-28 19:32:45 すぎさん 今晩は。朝鮮通信史は当時徳川幕府が各寄港地に、最高の持て成しをするように訓令していたから、各寄港地の藩主達は本当に苦労が有ったらしいですね・・。豊臣秀吉の朝鮮征伐が無ければ、韓日の関係はもっと友好的になっていたと思います。それにしても、子供は可愛い・・・。 返信する こんばんは! (みっちゃん) 2008-10-28 19:33:00 私は、初めて拝見させて頂いていますが珍しい、行事ですね(^^)一枚目のお子様、真剣その者ですね。今日までには、一生懸命に練習を重ねて、見事に責任を果たした事でしょうね(^^)三枚目は、踊りも終わり、ほっとしてジュースを飲んでいる所が可愛いですね。どれも、シャッーターチャンスが良いですね今日は、どうも有り難うございました 返信する 過去も現代も (すぎ) 2008-10-28 20:16:11 夢写観さん こんばんわ人種の争いや、宗教争いは今も昔も変わらない様です何故、人は戦争をするのでしょうかこのような祭りを見ていると考えさせられます撮影中は被写体に夢中です (笑) 返信する 各地のイベント (すぎ) 2008-10-28 20:26:27 こんばんわ みっちゃんこの祭りは初めて見ますか全国各地で催されるイベントがありますね特にその土地のお祭りは長い伝統を持ち、それぞれに意味があるようですこの朝鮮通信史も歴史が物語る県指定無形民族文化財です当時の幕府は12回の使節を迎えて、医者・画家サーカス技術団員・楽隊も来ていたと記載されてます 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
朝鮮通信史は当時徳川幕府が各寄港地に、
最高の持て成しをするように訓令していたから、
各寄港地の藩主達は本当に苦労が有ったらしいですね・・。
豊臣秀吉の朝鮮征伐が無ければ、
韓日の関係はもっと友好的になっていたと思います。
それにしても、子供は可愛い・・・。
一枚目のお子様、真剣その者ですね。今日までには、一生懸命に練習を重ねて、見事に責任を果たした事でしょうね(^^)
三枚目は、踊りも終わり、ほっとしてジュースを飲んでいる所が可愛いですね。
どれも、シャッーターチャンスが良いですね
今日は、どうも有り難うございました
人種の争いや、宗教争いは今も昔も変わらない様です
何故、人は戦争をするのでしょうか
このような祭りを見ていると考えさせられます
撮影中は被写体に夢中です (笑)
この祭りは初めて見ますか
全国各地で催されるイベントがありますね
特にその土地のお祭りは長い伝統を持ち、それぞれに
意味があるようです
この朝鮮通信史も歴史が物語る県指定無形民族文化財です
当時の幕府は12回の使節を迎えて、医者・画家
サーカス技術団員・楽隊も来ていたと記載されてます