暑い日が続く。
気分だけでも涼しくなろうと、一昨年12月に撮った画像を貼っておく。
今回は画像にある「鉄道碑」をまとめた一冊を取り上げてみたい。
一言で「鉄道碑」と言っても様々な理由で作られている。
路線の開通等を記念した「記念碑」だけが「鉄道碑」ではない。
中には事故や災害の記憶を忘れないために作られた「事故碑」や「災害碑」、そして事故や災害で命を落とした人々を供養する「慰霊碑」等多様である。
「事故の鉄道史」、「続・事故の鉄道史」、そして「信楽高原鐵道事故」といった鉄道事故関係の本を書いている著者だけあって、取り上げている鉄道碑は「事故碑」、「災害碑」や「慰霊碑」の割合が高い。
しかし、何かと光が当てられやすい「記念碑」とは違い、先述した碑は、地元の人々にすれば苦い記憶を伴いがちだろうと思う。
そうした鉄道史の「陰」の記録にこうした形で光が当てられるという点だけでも本書の意義はある。
そして、そうした記憶を忘れてしまいがちな我々にとっても。
さて、本書を読み進めていくと自分が実際に見た「鉄道碑」に結構行き当たる事に気づく。
例えば、日豊本線竜ヶ水駅の「竜ヶ水災害復旧記念碑」や指宿枕崎線山川駅と西大山駅の「日本最南端の駅」。山川駅は「日本最南端の『有人駅』」、西大山駅は「日本最南端の駅」というからもう何が何やらと思ったことを思いだした。
そして、地元の東海地区だとこの碑を忘れてはならない。
武豊線武豊駅にある「高橋駅手顕彰碑」。
詳しくは本書なり現地で確認するのが一番いいと思うが、この碑に刻まれた碑文を読んで感動した事を覚えている。
碑文に刻まれた行動は先日のJR尼崎脱線事故で福知山線の電車に乗り合わせていながら乗客の救援に向かおうともしなかった乗務員の行為と全く正反対であったとだけ言っておこう。
この他に武豊線は現役最古と言われる亀崎駅の駅舎等、鉄道史上の見所は多い。
日中はキハ75のワンマン列車が行き交う地味な路線ではあるけれど。
話が横に反れた。
本書で紹介されている「鉄道碑」のうち、自分が実際に見聞したものは西日本、それも九州にあるものが多い。
対して東日本、北海道と北上していくにつれて、見聞した碑が少なくなる事に気が付いた。
これはどうしたことかと思って考えてみる。
自分がこれらの鉄道碑を見る機会が比較的多かったのは、JR全線走破に時間を費やしていた10年前。
JR西日本、九州、四国については「青春18きっぷ」を結構多く使って乗り潰しに励んでいた。
当然、普通列車と快速列車しか使えない訳だから待ち時間ができる。
その待ち時間を潰そうとして、これらの「鉄道碑」を見ていたという事になる。
対してJR東日本と北海道については新幹線や特急が自由に乗車できるフリーきっぷが充実していた事もあって、待ち時間を目一杯削って全てを乗り潰しに費やすという、今ではとても出来ない行動に出ていた事を思いだした。
これでは「鉄道碑」はおろか、鉄道以外の記憶は残っていない訳である。
最後に本書では「青春18きっぷ」の利用者などに対して「鉄道碑を訪ねる旅」を提案している。
確かに「鉄道碑」の多くは地味だし、華はないかもしれない。
しかし、その「碑」に込められた意味を考えるのは、意義のある行為ではないだろうか。
「鉄道碑」に限らず、決して無意味に「碑」は建てられているのではないのだから。
<データ>
「日本の鉄道碑」網谷りょういち著 日本経済評論社
価格2800円(本体)
CGI
気分だけでも涼しくなろうと、一昨年12月に撮った画像を貼っておく。
今回は画像にある「鉄道碑」をまとめた一冊を取り上げてみたい。
一言で「鉄道碑」と言っても様々な理由で作られている。
路線の開通等を記念した「記念碑」だけが「鉄道碑」ではない。
中には事故や災害の記憶を忘れないために作られた「事故碑」や「災害碑」、そして事故や災害で命を落とした人々を供養する「慰霊碑」等多様である。
「事故の鉄道史」、「続・事故の鉄道史」、そして「信楽高原鐵道事故」といった鉄道事故関係の本を書いている著者だけあって、取り上げている鉄道碑は「事故碑」、「災害碑」や「慰霊碑」の割合が高い。
しかし、何かと光が当てられやすい「記念碑」とは違い、先述した碑は、地元の人々にすれば苦い記憶を伴いがちだろうと思う。
そうした鉄道史の「陰」の記録にこうした形で光が当てられるという点だけでも本書の意義はある。
そして、そうした記憶を忘れてしまいがちな我々にとっても。
さて、本書を読み進めていくと自分が実際に見た「鉄道碑」に結構行き当たる事に気づく。
例えば、日豊本線竜ヶ水駅の「竜ヶ水災害復旧記念碑」や指宿枕崎線山川駅と西大山駅の「日本最南端の駅」。山川駅は「日本最南端の『有人駅』」、西大山駅は「日本最南端の駅」というからもう何が何やらと思ったことを思いだした。
そして、地元の東海地区だとこの碑を忘れてはならない。
武豊線武豊駅にある「高橋駅手顕彰碑」。
詳しくは本書なり現地で確認するのが一番いいと思うが、この碑に刻まれた碑文を読んで感動した事を覚えている。
碑文に刻まれた行動は先日のJR尼崎脱線事故で福知山線の電車に乗り合わせていながら乗客の救援に向かおうともしなかった乗務員の行為と全く正反対であったとだけ言っておこう。
この他に武豊線は現役最古と言われる亀崎駅の駅舎等、鉄道史上の見所は多い。
日中はキハ75のワンマン列車が行き交う地味な路線ではあるけれど。
話が横に反れた。
本書で紹介されている「鉄道碑」のうち、自分が実際に見聞したものは西日本、それも九州にあるものが多い。
対して東日本、北海道と北上していくにつれて、見聞した碑が少なくなる事に気が付いた。
これはどうしたことかと思って考えてみる。
自分がこれらの鉄道碑を見る機会が比較的多かったのは、JR全線走破に時間を費やしていた10年前。
JR西日本、九州、四国については「青春18きっぷ」を結構多く使って乗り潰しに励んでいた。
当然、普通列車と快速列車しか使えない訳だから待ち時間ができる。
その待ち時間を潰そうとして、これらの「鉄道碑」を見ていたという事になる。
対してJR東日本と北海道については新幹線や特急が自由に乗車できるフリーきっぷが充実していた事もあって、待ち時間を目一杯削って全てを乗り潰しに費やすという、今ではとても出来ない行動に出ていた事を思いだした。
これでは「鉄道碑」はおろか、鉄道以外の記憶は残っていない訳である。
最後に本書では「青春18きっぷ」の利用者などに対して「鉄道碑を訪ねる旅」を提案している。
確かに「鉄道碑」の多くは地味だし、華はないかもしれない。
しかし、その「碑」に込められた意味を考えるのは、意義のある行為ではないだろうか。
「鉄道碑」に限らず、決して無意味に「碑」は建てられているのではないのだから。
<データ>
「日本の鉄道碑」網谷りょういち著 日本経済評論社
価格2800円(本体)
CGI