Simplex's Memo

鉄道と本の話題を中心に、気の向くまま綴ります。

岐阜の路面電車最終日。

2005-03-31 22:58:39 | 鉄道(岐阜の路面電車と周辺情報)
今、この記事を書きながら名鉄時刻表を眺めている。
揖斐線の下り最終電車は岐阜市内線を忠節に向けて走っている頃だろう。
また、美濃町線の方はこれまた下り最終電車が名鉄岐阜で出発を待っている頃か。
多分、沿線には大勢の見送り客がいる。

それにしても、今日で廃止という実感があまりない。
年度末で忙しく、感傷に浸る暇もないというのが大きいと思うが、何故だろうか。

数日前にこんな新聞記事を見たからかも知れない。
記事自体は、市民参加で公共交通のあり方を議論してきた「市民交通会議」が中間報告を岐阜市長に提出したというものだが、そこでは環境都市の構築を初めとする都市経営戦略の中で路面電車の存在意義や活用策を研究する必要性があるとはっきり明記したという。この指摘は路面電車の廃止を打ち出した岐阜市の方針と真っ向から対立することになる。
岐阜市は中間報告を踏まえて、早期に大綱をまとめたいとしている。

しかし、もう遅い。
紙の上の言葉は、「廃止」という現実の前に何の意味を持つのだろうか。

今日をもって岐阜の路面電車は94年の歴史に幕を下ろす。
仮に路面電車が復活したとしても、その過程はとんでもなく高いハードルを伴うものだろう。
「路面電車を否定するものではない」と言っても、結果的に路面電車は姿を消す。
一度存続を否定した物を復活させるには莫大なお金と、熱意が必要になる。

路面電車がなくなって、長期的に誰が損をして誰が得をするかという議論よりも、まち作りのインフラとして評価されずに税金投入の対象から不適当という烙印を押されて姿を消す。
その岐阜市の判断は正しかったのかどうか、これからの歳月が実証していくことになる。

固い話はこれぐらいにして、初めて岐阜の路面電車に乗ったのは小学生ぐらいだったろうか。
正直、単に古い電車が走っているなぁと朧気に覚えていたことぐらいであまり印象はない。
本格的に鉄道趣味にのめり込んでいったのは大学に入ってから。
以来、谷汲線で600V線区の虜になり、以来、美濃町線新関~美濃間、谷汲線、揖斐線黒野・本揖斐間・・・と何度も何度も足を運んできた。
自分にとって名鉄600V線区は、いつしか名古屋地区における鉄道趣味の中心となっていた。

そうして長年親しんできた路線が今日で全て姿を消してしまう。
いくら「廃止の実感がない」と言っても、胸中にポッカリ空洞ができてしまったような気分である。
たぶん、その喪失感はしばらくの間埋めがたいだろう。

厳しい環境の中を走り続けてきた、岐阜の路面電車。
その存在を、いつまでも忘れることはない。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
PJニュースでも (カフェマスター)
2005-04-01 12:15:12
PJニュースでも紹介しています。

やっぱり、岐阜は速攻で線路を剥がすのかな?
返信する
tbありがとうございました (ie)
2005-04-04 19:12:34
ほんとに残念ですね。

老朽化を放置してきた名鉄にしろ自治体にしろ、

何らかの方法で残せなかったのかと切に思います。



僕にも喪失感があります。

岐阜に行ってももう走っていないという実感は、

あえていうと感じたくないほどです。



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Unknown (keystone)
2005-04-05 12:18:21
トラックバックありがとうございました。



なんですね。路面電車というものに感傷がない日本人も大勢いるわけで、かくいう私も長崎で久々に路面電車見たときは驚いたもんですが。でも、決して時代遅れの乗り物って感じもしないんですけどね。



モノレールよりも、便はいいと思うけどなぁ。
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岐阜から路面電車がなくなって (dyasu)
2005-04-06 01:23:35
私のblogへのトラックバックありがとうございました。



 早いもので、岐阜から路面電車が消えてもう6日になります。今はまだ路面電車が走っていた頃の遺構が残っていますが、今後はレールや施設が撤去され、路面電車が走っていたということも忘れ去られてしまうでしょう。



 路面電車が全国的に見直されている流れの中の廃止。しかも新車を投入するなど積極策に出ながらもそれが実らなかったという事実。これが他の地域に影響を及ぼさなければいいのですが。
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