Simplex's Memo

鉄道と本の話題を中心に、気の向くまま綴ります。

北海道ちほく高原鉄道、運行最終日。

2006-04-20 05:55:03 | 鉄道(地方・専用線など)
去年の今頃、北海道ちほく高原鉄道の廃止が決まり一年が過ぎた。
そして、ついに今日、最後の日を迎えた。
時間が経つのは早いものだと実感する。

これを書いている今、池田発の一番列車が足寄に到着寸前というところだろうか。
結局、廃止が決まってから現地へ行くことは叶わなかった。
現地は首都圏の通勤ラッシュもかくやという混雑で大盛況とのこと。
最後の場に立ち会いたいという気持ちはよくわかるし、「最後の宴」とはそういうものだろうと思う。しかし、ここまで混雑するとは当の会社自身も思わなかっただろう。

廃止を巡る新聞記事を見てみる。
「基金減り増収策なく/銀河線あすラストラン」(asahi.com、4/19)
沿線人口が少ない中、運営基金の運用益で赤字を補填していく形でスタートしたが、超低金利策で運用益が期待できなくなり、運営基金が目減りすることを回避することができなかったことが存廃協議の一因となったことが触れられている。
超低金利政策による運営基金の運用益が期待できないという点は、多くの第三セクター鉄道に共通する課題だと見ている。
その辺りを自治体はじめ出資者がどう対応していくか、今後の第三セクター鉄道の明暗がより際だっていくように思う。

また、廃止後の踏切の撤去は早々に始まることになっている。
「21日から警報機など撤去/ふるさと銀河線」(asahi.com、4/18)
23時2分に北見駅への最終列車到着後、早速警報機や遮断機の撤去工事に着手。ゴールデンウィーク後には137カ所の踏切部分にかかるレールも撤去する。
その結果、廃止後一ヶ月も経たない内に廃線跡は寸断されることになるが、その手際の良さに皮肉混じりに感心してしまう。

もっとも気になる車両の行き先だが、こちらも話が決まっているようだ。
「松本零士さんのラッピング列車 保存へ」(asahi.com、4/17)
最後まで活躍した10両のディーゼルカーのうち、3両がミャンマーに、1両が国内の個人、残り6両が陸別町に売却されることが決まっている。
「銀河鉄道999」のラッピング車2両は陸別町へ行くことになる。

陸別町と商工会は川上~陸別間9.8kmの線路を保存し、車両を動態保存する。
川上駅を歴史記念館として、見学客は陸別から列車に乗って入館する「銀河の森」構想に基づくものという。
早ければ8月にも第二の人生が始まるという。
川上駅の歴史記念館はどの程度の規模だろうか、長期的に集客が見込める規模になるのだろうか。
いずれにしても、廃止線の記念館によく見られる「朽ち果てた車両」にして欲しくないと思う。

話は変わってミャンマーへ行く3両だが、これまで同国へ輸出された中古車両は富士重工製のものばかりだったが、今回は新潟鉄工所製。
日本国内の第三セクター鉄道の廃車車両を手当たり次第に集めているという感じが強い。

そして、今日で北海道ちほく高原鉄道はその役割を終えるが、代替バスは鉄道時代より運賃が上がる。
例えば、毎日新聞の記事を見ると代替バスの定期券は陸別・北見間で1ヶ月38,760円。
鉄道時代の24,190円より大幅な値上げとなる。この差額は通勤客1年、通学客3年の期限つきで経営安定基金から補填されるが、期限が過ぎた後はそっくり利用者への負担増として跳ね返ってくる。

その結果がどうなるか。
これまでの事例を見ていると、負担増を嫌った利用者は自家用車などへ転移することが多い。
今回はこれに加えて沿線人口が元々多いとはいえない地域だけに、過疎が一層進むような気もしている。
いずれにしても、鉄道がなくなったからさっさと忘却してしまうのではなく、今後の動向を見ておくことが必要ではないか、そんな気もしている。

いつもに増してとりとめもなく書いてきたが、課題を残しながらも北見~池田間を約1世紀にわたって結んできた鉄路は今日、その一生を終える。
一度だけしか乗れなかったが、その車窓は未だに目に焼き付いて離れない。
お疲れ様でした。


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