森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

やはり「間」だと思う

2006年08月05日 12時13分15秒 | 過去ログ
一昨日は、見学実習のコーディネート後、実習総括などの会議3時間・・・


その後、疲労感が残りながら、電車で京橋まで、村田病院の富永先生をはじめスタッフ、摂南総合病院の川見先生をはじめスタッフと懇親。

「脳血管障害」の病態について議論に花が咲く。
新たな「大阪認知運動療法研究会」へとUp dateしそうな勢いだ。
よい意見交換が今後もできればと思う。
ただし、安易に現象学に行くべきでないと思う。
科学という面、それを常に求め続けるということ、最近くどいようだが、解離が生じているように感じる。この前の学会の分科会では、経験の言語を求めたが、それはヒューマニティを求めたのではない。科学における共通言語を用いて、説明する。これを忘れてはならない。それが学会である。「一人称記述」を引き出す始点においても忘れてはならないし、学会の演者は、自らの感動物語を語るところでない。メタをきかせて語る。徹底的に科学で論破する人間が現れてもいいのに・・・その限界に来たとき、はじめて現象学に意味を持つ。

いや、現象学から始めてもいいかもしれないが,そこには徹底的な自己言及を重ね,自らに対して批判的吟味を重ね続けることが求められるように思う。それがなくなれば,ただの思想であり,一人よがりの概念世界である。概念世界は三人称な私にあらわれるが、一人称な私にはあらわれてはならないような気がする。三人称な概念世界に、科学の共有があるように思う。そしてそれは、近い将来批判されるかもしれない。守りに入ってはならぬ。



結局、近鉄には乗れず、しかし、タクシーで帰る時間でなく、JRの最終で王寺まで。眠り続ける。

明けて、翌日(金曜)は、4回生の臨時ゼミを行い、今後の計画を立てる。
さらに細分化し、

1.motor learning
2.brain function
3.attention and memory or balance function

の3つに20名を分ける。

9月にはデータ採取完了してください。

その後、朝日リハの夜間部の夏休み前の最終授業。
ディベートを自主性に任せ行うが、時間配分、展開などに学生自身が悩む。
これに対して、いろんな学生自身の感情が沸き立ったと思うが、思い通りにならないという感覚が生起するほうが、いい。

だが、難しい。

久しぶりに「教育」に悩んでいる。

9時過ぎに終え、酒井先生、石田先生と懇親。
いろんな問題提起を行う。
夜間は、昼休みなど、長い共有する時間がなく、関係性が希薄だ。
これはどの学校にも言えることだと思うが、そうした一見「意味」のない時間が、ほんとうは人間性を形成する上で意味を持つ。

つまり、これも「間」ということだ。

そこに自己意識が発生する。

「リカレント」な経済優先な教育、その行く末は「資格」取得への志向性のみ生まれる危険性がはらんでいる。

学年進行とともに、みんなの成長を祈る。

明けて、新幹線でいつものように奈良へ。

大学に戻りました。

「原稿」or「試験採点」揺れ動きますが・・・夏ですね。


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1 コメント

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Unknown (jasmine)
2006-08-06 10:39:28
現象学は科学の対極にあるものではないと思います。科学が切り取る断面を(セラピスト)個人の内面でつなぐものが現象学だと思います。切り取れる断面(既に示されている知見)に(患者さんを)当てはめようとする逆転思考を克服するものは現象学から全体を見る視点だと思います。

「認知を生きる」という言葉の意味深さがそこにあると思います。
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