森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

ニューロリハセミナー応用編一日目を終えて

2014年09月28日 00時00分37秒 | 日記




素晴らしい秋晴れに恵まれましたね。
出張先で「花子とアン」の最終回を見て、大学のニューロリハセミナーに。今日、はじめて注意だけにしぼった、その神経機構について話しました。テーマが注意である以上、聴衆者の注意のコントロールも実践しないと、矛盾をするため、アラートや誘導をどのように企てるか、真剣に考えたのでした。
おかげで、セミナー終了後、21時前から先ほどまで疲れて寝ていました。1時間の講演ではあり得ないのですが、やはり、ホストとなるニューロリハセミナーではチカラの入れ方が違います。
全国いろいろ講演でいっていますが、情報の提供の仕方を考えつつも、今現在(今年は2014年9月までの)情報を取り入れ、それを解釈し最先端でぶっ放すのは、このセミナーだけです。



1時間とという限られた時間でしたので、最後のdefaultと外因性なbottom up注意とのsalience swithと目標志向型の認知における前頭-頭頂ネットワークによるswitchの情報を詳しく説明できなかったのが残念です。これに関しては半側空間無視のときに話します。
私たちはよくある歪んだ解釈を極力せず、ありのままの情報(結果)を提供しようと心がけています。それが学者です。わからないことをわかったようにはしゃべりません。
例えば、養成校で関節運動学(基礎運動学)を学ぶ際、いきなり臨床家が臨むような、よく様々な講演であるようなびっくりするような歪んだ情報提供はしないでしょう(メソドロジーの講習会でよくあります)。それに私は閉口することがしばしばあります。そうした解釈は時に間違って伝達されることが多いわけです。脳を学ぶ(注意と報酬の関係性)とその辺りも理解できるでしょう。
実は私も外部で講演で呼ばれる時は、臨床家にうけがいいように、データ・手続きを説明せず、結果のみを出して臨床に結びつきやすい情報のみをフィルターにかけ、それを用いて解釈で話すことが多々あります。その場合、聴衆者の臨床家の方々にはとても受けもよいようですが、実はその自分があまり好きではありません。その場だけの腑に落ちる情報にとどまってしまうからです。腑に落ちるのはもっと先、そう自己の経験からで良いのです。臨床家の皆さんにとっては、先の臨床の現場でです。その場で腑に落とさせる手法は口がうまければできますが、本質的な腑に落ちるというのは自己の体験を伴っています。
僕の夢・目標は標準生理学のような教科書を理学療法学・作業療法学が完成させることができるかなのです。今の標準理学療法学・作業療法学をみてみると、その個人の解釈だらけになってしまってるのが現状です。それは本当に一般化されるのかと?になることだらけです。これでは学問として認められません。
解釈は最先端でなく最前線として議論という手続きで行えばいいと思っています。そのための対話だと思います。その場合は大いに私の解釈を加え、臨床との接点を考えます。しかしながら、それは個人的であり、仮説であり、一般化された公共的なものではありません。ニューロリハセミナーの講演(一方向性)では私の学者としての意識からそこはしていません。そしてうちのメンバーもそれを理解しています。私たちのやるべき仕事は解釈のもっと前段階にあると。
解釈的講義は、12月の臨床編で少し出る程度です。それを本格的にやるのは、症例を検討するニューロリハビリテーションフォーラムです。そこまでには関節運動学と同じように、絶対的な人間神経科学の基本的知識が療法士達には必要なんです。評価を関節運動学だけでなく、人間神経科学を用いてできるか、まずはそこからスタートしてみましょう。
巷に存在するセミナーの流暢さかつ綺麗さはむしろ疑ってかかれ!なわけです。自分の概念・理論を正当化するトリックなのかもしれないわけです。

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