森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

システムの揺らぎと矛盾

2014年09月03日 17時15分54秒 | 脳講座



なかなか完成された社会は動く事はない。今色々取り上げられている臨床実習なんかその典型だ。しかしながら、その一方で、すぐさま動けば、それは草創期な、大した社会構造ではない。むしろそれは脆弱な社会である。個人の動きは全体からみれば些細な、見える事のない、感じる事のない安定した立位のような揺らぎにすぎない。完成された脳の中での一つの物理的なニューロンの興奮が脳のシステム全体に影響を与えるなんてないものと同じように。

一方で、時に動けば動くほど無力を感じる。興せば興すほど、著せば著するほど、自己の意図と環境から得るフィードバックの実際の間に誤差・矛盾が生まれる(だから人間は事を興すことをやめようとする)。個人の脳のシステムはそのようにできている。だから、「実績」とは、その個人がどれだけ無力を感じているかだと思うようになってきた。だから、その無力さ(勘違いしないでほしい。堕落者ではなく事をなそうとしている人たちの無力さだ)を感じていない、俺いけている感満載の若手や中堅は本当の意味での実績は積んでいないと思うのである。

生きて死ぬ私である人間にはそのステージ、グレードでの社会的役割がある。その役割を全うし、後世にその生き様を伝える事が人間としての使命・仕事である。

人生を逆算すると、私自身も、その一人称として時間がなくなってきている。やりたいこと、興しておきたいこと、著しておきたいこと、調べておきたいこと、そして何よりも楽しみたいこと、がいっぱいあって、、逆算して行くと時間が足りない。物足りてないなかで終えて行くのが人間なのかな。。。その意志を誰かが継ぎ、良き方向にその意志を埋葬してくれるのが社会の中の人間関係なのかもしれない。いや継がれようと思って生きているわけでない。それが良いもの(こと)と思って行動を続けるだけなのである。

ただ言っておきたいのは、自己の信念を「闇雲」に押し通さず、冗長性と柔軟性をもってその時代(空間と時間)を受け入れ、いや飲み込まれるようなそぶりで、環境の流れという時制に基づいて生きなければならない。でないと自己の進歩は止まるし、単なる口だけ人間(狭小化された空間;人間関係で過去を語るだけの後ろ向き)になってしまう。

けれども、最終的には「おのおの、その志のままに生きよ(坂本龍馬)。」になるわけである。I'm 土佐の男。。

最新の画像もっと見る