森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:厄年に入り

2011年01月28日 10時49分16秒 | 日記
新年あけて,2月にならないうちに,厄除けにいっておこうと,
今週水曜日は奈良の松尾寺に行ってきました.
大和郡山にありながら,とてつもなく田舎を感じさせる情緒あふれる山ぶかい場所にあり,
本堂に行くまでの石段の急さが,余計に風情を感じさせる場所でした.

前厄の年になりましたので,ちゃんとしておこうという気持ちでむかいました.
このような宗教ごとは自分の信念を確かめる上で,重要なイベントです,
信じるか信じないか,そんなことは関係なく,
そういうタームをむかえ,自分自身を観察し,
そして,懺悔する,という意味でも意味はあると思っています.
つまり,必要性でなく意味性です.
教育も同じようなものです.

脳科学は理学療法や作業療法,言語聴覚療法に必要かといえば,それはNOですし,
教育に必要かといえば,それもNOです.
一方,運動学は必要かといえば,これまたNOです.
NOと思えない人は,もうすでに自分の脳にバイアスがかかっています.
癒しの効果や,リラクゼーション,default modeなどは,運動学では説明できない現象です.
それらがリハビリテーションに効果を示す可能性もあります.

つまり,脳科学からみた教育とか,脳科学からみたリハビリテーションとか,脳科学からみた運動学習とか,と題して講演していますが,
脳科学をそのまま直接的に臨床に使うという意識は捨てたほうがよいです.

脳科学にしろ,運動学にしろ,解剖学にしろ,生理学にしろ,心理学にしろ,
はたまたEBM研究の臨床医学にしろ,それは情報でしかありません.
目の前の患者,学生,そしてそれからもたらされる現象を解読し,
そして推論をたて,意思決定し,そして循環させていく志向性をつくるためにあるもので,
そうした循環を促すための意味性として勉強していくようにならなければなりません.

だから,既存の何々アプローチという講習会に出て,
その情報をそのまま鵜呑みにするのではなく,
それを自己の経験,他の情報,そして人間を科学するという魂,などと照合して,
目の前の現象に向き合わなければなりません.

講習会マニアという人たちがいますが,
それは何々アプローチvs何々アプローチという視点でしか見れてないようです.
つまり,自己の経験が全く活かされていないと思います.

自己の経験をつくるために様々な情報に向き合い,
自己の意思決定で,その情報を取り入れるか,捨てるかを判断する,
そうした世界観がよのなかを幸せにするものだと思います.

いつも言っていますが,「借り物では生きていけない」のです.

そんなことを思いながら,昨日,痛みの情動的側面に対するアプローチを考えていました.
これを言語で表現するのは難しく,つまり,その場その場の私の脳のなかで生み出される神経現象に基づいたものであり,その時はもはや過ぎ去り,波紋のように消え去っていきます.
論理的な言語に置き換えた瞬間,その情報はすでに過去のものとなっています.

その瞬間を私は知りたい…

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