土曜、岡山での講義を終え、ゆっくりと出て新幹線に乗る。
いつもは「のぞみ」だが、新神戸までなので、「ひかり」レールスターに乗る。
シートがゆったりしていい。
久しぶりに「サイレンスカー」に乗るが、新神戸までの短距離なので、逆に眠ることができなかった。乗り過ごしたらどうしよう・・・ってことで。新大阪までなのでいいやと思いつつ、逆にそっから引返してくるのはもったいないとも思った。近鉄ではよくやる。
ちょっと早めについたので、神戸を歩き、旧居留地あたりの店を散策する。イタリアンレストラン、名前はフランス語だが・・に入り、ワインとスープ、前菜をいただく。高架下の靴屋を見ながら、三宮まで戻る。靴はこのあたり、革製品は三宮で買うことが多い。財布もバックもそうである。
三宮より西明石へ。
いつも利用させていただくホテルへ。
この道を何回歩いたことか、けどいつきても新幹線出口で降りると迷う。
神経系理学療法研究部会の吉尾部会長、神沢大会長、シンポジストの先生方らといろんな話に花を咲かせたために、あまり食にありつけず。アルコールばかり入っていった。やっとこのとき、一人の持ち時間がわかった。それでいい。
皆さんの思考に共感する部分多々あり。
久しぶりに但馬長寿の郷の小森先輩にあい、相変わらずのあぐれっしぶかつロジカルな仕事ぶりに感服する。また山梨リハ病院の高村さんが同い年で共通の知人・友人がいることに親近感を覚える。同級生が脳卒中に真剣に向き合っていることを聞き、未来に光明が指す。最近、そういう年代の話は管理のことばかりで夢がないことから嫌気がさしていた。介入方法は変わるが、リハ未来のために神経可塑性のための議論を重ねたい。
いつも行く、ロックバーに行き、The Hippy Hippy Shakeを久しぶりに聞き、3月のsailingでのライブの曲どうしようかと思いを走らせる。カッコウつけてもロック大好き人間である。シャンソンだとか、ジャズだとか、ボサノバだとか、クラシックだとかも聞くが、やっぱり長年連れ添ったこの音楽、それが自分の体に染み付いている。正月には高知からベースを持ってきた。約三年ぶりに、マイ・プレシジョンに再会した。
翌日は、ダラダラ会場内をしながら、自分のシンポで使用するスライドを調整。
機能解離、シナプス可塑性、情動(快・不快)、運動学習、感覚、弁別、予期、スキーマ、心の理論などを話し、「私」の視点の重要性、対象者の目線、個別性、多様性、選択性などを話した。
後半のディスカッションでは2点のことについて意見を述べた。
急性期、回復期、維持期、あるいはクリニカルパスといった時系列上でのある意味、差別化は、規則なのか、基準なのかという視点。
もちろん基準であるが、これは対象者の視点によって容易に変化してしまう点。またその精度が悪ければ、規則にはならず、守られない規則はいらない。
これは理学療法士教育がなぜ3~4年間なのかにも似ている。
生涯学習プログラムがあるのなら、患者にもそれがあってもいいと思うし、その受け皿を早急に検討すべきである。
脳の学習にそのような便宜上の区別はない。
杓子定規も脳の回復には当てはまらない。
何でも急性期は座位をとらせるという先入意識には少し反発しようと思ったが、論議が変わるのでやめた。
なぜ、人間は座位をとる(に向かおうとするのか)のか、その人間らしさについて、あるいは子どもの発達について、急性期のセラピストは勉強して欲しい。
人間は死ぬまで学習し続ける。
生きているって言うことはそうだ。
人生、それは私(私らしさ)が生きているということ。
もう1点は、人生の質とは何か。それは自由を感じることである。
これは秩序のなかの自由だ。
以前のブログで魂の自由を書いたけど、そういうこと。
自らの人生に自由を感じる。
そのためには、自分自身で選択できるということである。
そのためには、1よりも2、2よりも3といった秩序のなかでの多様性から選択
できる自由である。
これは行動の自由のみならず、運動の自由もある。コップをつかむ一つの動作においても自由のなかからひとつを選択できるという自由度である。
そうした患者自身で選択できるというところまで、リハは必要である。子供が独り立ちするのと似ている。
QOL、それは私自身が決めることであり、私に決定権がない生活は生きていてつらい(息苦しい)。秩序の中に自由あり。その私の中のQOLは第三者からは見えない。
吉尾先生から聞いた。千里リハビリテーション病院では、食事の時間も自由(4時間以内)、その料理の選択も自由であると。
これも秩序のなかに自由ありである。
こういう選択性があれば、そのつど、患者さんの脳は表象される。心のみならず、ワーキングメモリ、記憶、そして自らの制御、など奥深い。
いい話を聞いた。
もうひとついいたかったことだが、横の連携、対話の重要性は言うまでもないのだが、それをするのもセラピスト同士、人間である。お互いが「忙しい」と思っていれば、それも機械的になり、いつしか、形だけに消えていく。結局のところ今の申し送りに舞い戻ると思う。脳に隙間(余裕)がないと成功しない。忙しいと思うのは自分にブレーキをかけているという心のサイン。その閾値を上げることだ。もちろん、無理のない範囲で。それが無理なら、忙しいシステムを心底変えようと努力することだ。欧州のように1日4名ぐらいの患者担当ならどうか!?日本システムには合わないというが、横の連携をみつにとることが機能回復、生活機能向上に結ぶならば、その効果は大きいと思う。果たしてセラピストの介入はそれに耐え切れるか、勝負してみないだろうか。
脳には空間、そして時間的的にも隙間、ギャップを作るべきである。
創造性は連合野を休めないと生まれない。
1日1時間でも寝ないで、休ませる、好きなことをする。
それがいい。
自分に言い聞かせている。
20代のときなんか、それが1年でも2年でもいいと思う。
留年なんて平気だよ。
1~2年、外国を遊学してみれば。
帰りは、奈良リハの佐藤、喜多先生に送ってもらい、楽しかった。
近くに心豊かな、そして自らに厳しい好きな2人がいて、うれしい。
車にのっていながら、奈良に来てよかったと思った。
ロマンティックな世界とはこういうことである。
La vie!
私は生きている、私は感じている。
人が愛おしく思う。
いつもは「のぞみ」だが、新神戸までなので、「ひかり」レールスターに乗る。
シートがゆったりしていい。
久しぶりに「サイレンスカー」に乗るが、新神戸までの短距離なので、逆に眠ることができなかった。乗り過ごしたらどうしよう・・・ってことで。新大阪までなのでいいやと思いつつ、逆にそっから引返してくるのはもったいないとも思った。近鉄ではよくやる。
ちょっと早めについたので、神戸を歩き、旧居留地あたりの店を散策する。イタリアンレストラン、名前はフランス語だが・・に入り、ワインとスープ、前菜をいただく。高架下の靴屋を見ながら、三宮まで戻る。靴はこのあたり、革製品は三宮で買うことが多い。財布もバックもそうである。
三宮より西明石へ。
いつも利用させていただくホテルへ。
この道を何回歩いたことか、けどいつきても新幹線出口で降りると迷う。
神経系理学療法研究部会の吉尾部会長、神沢大会長、シンポジストの先生方らといろんな話に花を咲かせたために、あまり食にありつけず。アルコールばかり入っていった。やっとこのとき、一人の持ち時間がわかった。それでいい。
皆さんの思考に共感する部分多々あり。
久しぶりに但馬長寿の郷の小森先輩にあい、相変わらずのあぐれっしぶかつロジカルな仕事ぶりに感服する。また山梨リハ病院の高村さんが同い年で共通の知人・友人がいることに親近感を覚える。同級生が脳卒中に真剣に向き合っていることを聞き、未来に光明が指す。最近、そういう年代の話は管理のことばかりで夢がないことから嫌気がさしていた。介入方法は変わるが、リハ未来のために神経可塑性のための議論を重ねたい。
いつも行く、ロックバーに行き、The Hippy Hippy Shakeを久しぶりに聞き、3月のsailingでのライブの曲どうしようかと思いを走らせる。カッコウつけてもロック大好き人間である。シャンソンだとか、ジャズだとか、ボサノバだとか、クラシックだとかも聞くが、やっぱり長年連れ添ったこの音楽、それが自分の体に染み付いている。正月には高知からベースを持ってきた。約三年ぶりに、マイ・プレシジョンに再会した。
翌日は、ダラダラ会場内をしながら、自分のシンポで使用するスライドを調整。
機能解離、シナプス可塑性、情動(快・不快)、運動学習、感覚、弁別、予期、スキーマ、心の理論などを話し、「私」の視点の重要性、対象者の目線、個別性、多様性、選択性などを話した。
後半のディスカッションでは2点のことについて意見を述べた。
急性期、回復期、維持期、あるいはクリニカルパスといった時系列上でのある意味、差別化は、規則なのか、基準なのかという視点。
もちろん基準であるが、これは対象者の視点によって容易に変化してしまう点。またその精度が悪ければ、規則にはならず、守られない規則はいらない。
これは理学療法士教育がなぜ3~4年間なのかにも似ている。
生涯学習プログラムがあるのなら、患者にもそれがあってもいいと思うし、その受け皿を早急に検討すべきである。
脳の学習にそのような便宜上の区別はない。
杓子定規も脳の回復には当てはまらない。
何でも急性期は座位をとらせるという先入意識には少し反発しようと思ったが、論議が変わるのでやめた。
なぜ、人間は座位をとる(に向かおうとするのか)のか、その人間らしさについて、あるいは子どもの発達について、急性期のセラピストは勉強して欲しい。
人間は死ぬまで学習し続ける。
生きているって言うことはそうだ。
人生、それは私(私らしさ)が生きているということ。
もう1点は、人生の質とは何か。それは自由を感じることである。
これは秩序のなかの自由だ。
以前のブログで魂の自由を書いたけど、そういうこと。
自らの人生に自由を感じる。
そのためには、自分自身で選択できるということである。
そのためには、1よりも2、2よりも3といった秩序のなかでの多様性から選択
できる自由である。
これは行動の自由のみならず、運動の自由もある。コップをつかむ一つの動作においても自由のなかからひとつを選択できるという自由度である。
そうした患者自身で選択できるというところまで、リハは必要である。子供が独り立ちするのと似ている。
QOL、それは私自身が決めることであり、私に決定権がない生活は生きていてつらい(息苦しい)。秩序の中に自由あり。その私の中のQOLは第三者からは見えない。
吉尾先生から聞いた。千里リハビリテーション病院では、食事の時間も自由(4時間以内)、その料理の選択も自由であると。
これも秩序のなかに自由ありである。
こういう選択性があれば、そのつど、患者さんの脳は表象される。心のみならず、ワーキングメモリ、記憶、そして自らの制御、など奥深い。
いい話を聞いた。
もうひとついいたかったことだが、横の連携、対話の重要性は言うまでもないのだが、それをするのもセラピスト同士、人間である。お互いが「忙しい」と思っていれば、それも機械的になり、いつしか、形だけに消えていく。結局のところ今の申し送りに舞い戻ると思う。脳に隙間(余裕)がないと成功しない。忙しいと思うのは自分にブレーキをかけているという心のサイン。その閾値を上げることだ。もちろん、無理のない範囲で。それが無理なら、忙しいシステムを心底変えようと努力することだ。欧州のように1日4名ぐらいの患者担当ならどうか!?日本システムには合わないというが、横の連携をみつにとることが機能回復、生活機能向上に結ぶならば、その効果は大きいと思う。果たしてセラピストの介入はそれに耐え切れるか、勝負してみないだろうか。
脳には空間、そして時間的的にも隙間、ギャップを作るべきである。
創造性は連合野を休めないと生まれない。
1日1時間でも寝ないで、休ませる、好きなことをする。
それがいい。
自分に言い聞かせている。
20代のときなんか、それが1年でも2年でもいいと思う。
留年なんて平気だよ。
1~2年、外国を遊学してみれば。
帰りは、奈良リハの佐藤、喜多先生に送ってもらい、楽しかった。
近くに心豊かな、そして自らに厳しい好きな2人がいて、うれしい。
車にのっていながら、奈良に来てよかったと思った。
ロマンティックな世界とはこういうことである。
La vie!
私は生きている、私は感じている。
人が愛おしく思う。