sptakaのブツブツDiary

sptakaさんは、毎日ブツブツ発言しています。

4月11日(金)スバルの崩壊

2008-04-11 14:49:04 | ブツブツ日記
4月11日(金)スバルの崩壊
 スバルがついに、軽自動車の生産をやめるらしい。かつてのてんとう虫はドイツのビートルと同じように国民車だったのだが、ダイハツやスズキにさえも負けて、往年の国策ゼロ戦を作った中島飛行機→スバルは、三菱と同じ運命になる。しかしそれも、必然なのだ。簡単にいえば不真面目なクルマ屋だったわけだから。
 うちのオヤジはスバルの技術屋だった。旧制中学年代だから、さしずめ理系や国策企業の技術屋志望だったのだろうが、戦後は民間に格落ちしたものの、同じつもりで仕事をしていたと思われる。
 私も影響でスバルに乗っていたことが長かったが、このメーカーの愚かなところは、車が故障したとディーラーにいっても「ああ、そうですか」と答えることだ。「そうじゃ、ねえだろう」というと、「修理ですか?」当たり前だ。「ならば向こうのフロントに行ってください」。所詮は役所の企業である。てんとう虫なんて売っていたことはそれでもまかり通ったと思うのだが、以降は客がそっぽを向く。今はホンダなのだが、ここのディーラーは、マックの店員みたいに元気がいいだけの体育会系落ちこぼれだと思うのだが、それでもスバルよりはいい。何しろスバルには若いもんがいない。みんなオヤジ。
 私の同級生で何を間違えたかマスコミ志望で読売と毎日に受かったのに、毎日に就職して、以降冷や飯がいるのだが、同じことだ。
 あるときスバルはボルボと提携したことがあって、二両連結のバスを筑波万博で走らせたのはいいが、この方式のバスがその後日の目を見たことがない。
 うちの親父は若いころに本田宗一郎を見かけたことがあったらしく、工場視察にきたというわけだ。本田松下は教科書にも出てくる立身出世で、それで本田は?と聞けば、あんなばんからオヤジなど評価しないというわけだ。聞けば、二輪当時の本田は、スバルのラビットというスクーターを見て「こんなエンジン作ったって、走りはしないよ」と、馬鹿にしたらしいのだ。つまり他人の工場を馬鹿にするようなやつはろくなものじゃないというわけだ。しかしエンジンがどうだったかは、ラビットのスクーターなどは早々に撤退したわけで、やはり本田は正しかった。他人の辛辣な評価は得てして頭に来るのだが、しかし言われて当然の不手際も当方にあるわけで、それをしっかり聞き取れる人は少ない。最もちゃんと聞きとれれば潰れなくても済む話なんだけど。
 70年代にオートマが流行りだして、それは当初トルコンと呼ばれていたのだが「あんな車は女が乗るもの」と、父親は言っていたし、オートマにはクリーピングというブレーキはずしでゆっくり前進する習性があるのだが、それは「調整ミスだろう」なんていうトンチンカン。車メーカーの技術者にあるまじき不勉強。さらに後年父親もオートマに乗り出して、「親父も女か?」と冷やかすと、それに等しく老いぼれたとあっさり認めるという不合理。つまりスバルという会社は、オートマも認めずに、つまり技術革新にはおおよそ役所のように保守的で、三菱のようにゼロ戦のエンジン作りだけにかけては優秀だったかもしれないが、いやそれも利権の産物で、消費者、ユーザーのニーズには鈍感で、そんなことはトヨタやホンダに任せておけと喝破したものの、今ではその完全子会社孫会社になっているという、愚かで悲しい会社だということだ。
 そのスバルがスポーツカーを作るといっても、まあ知れているものしか作れない。スバルの技術者は、いま電気自動車の開発で、そんなものは公園の子供遊戯かと思ったら、新幹線だって電気自動車の仲間だと言われればそのとおり。しかし不貞腐れた技術屋が会社が見向きもしなくても、こういうもの勝手に作っているだけにしか見えず、これを実用化するのはやはりトヨタやホンダが先になるだろうと思われている。
 スバルなどはもう亡くなってもいい会社でもある。日本に自動車会社が多すぎるとはよく言われることで、ダイハツや日野がトヨタの傘下で安泰になったように、その三番煎じで小生意気なスバルが今更子会社ですよと言っても、はたして成功するかどうか。潰れても何の不幸も感じられない。んじゃ、レガシーの4WDがそんなにいいのかといわれれば、似たような車はどこにもある。
 まさか空飛ぶ車はつくれないわけで、どの車買っても大差ないのなら、サービスがよくて、修理は無料で、好感度の営業マンがいるにこしたことはないわけで、スバルというのは、利権も権力も無くなった疲れ切った公務員が車を作っているだけで、これで潰れないほうが珍しいと誰もが思う。

 元大工で今派遣社員の父親のウソ
 岡山で少年が人を電車に押して殺した事件で、その優しそうな父親が、やはりおかしい。
 よく分らんが、この少年の志望は東大だったのだが、学費を父親が支払えずに無職高卒。ハローワークで職探ししながら自分でどこかの大学に入るという話があって、事件当日に父親が出てきてすでにそれを応援していたと報道されている。
 しかも少年の動機は殺せば刑務所に入れるというのに、この子供はファザコンだったか?と思われるほど四六時中父親と一緒で、しかし小学生の頃に子供がいじめで被害を受けましたと父親は語っているのだが、こんなこと思い出す前にいじめの仕返しに子供と行動を共にしろと思うのだが、そうではなかったらしい。一緒に風呂にはいったら、子供の体があざだらけだったとは、懐かしい思い出のように話す。
 今日のニュースでは、子供は「父親に捨てられたかと思った」と動機を話し、父親は、その日ハローワークに一緒に出向いて食事をして「頑張れ」と励ましたと話している。頑張れは父の最後通告だと子供は思い、父は通常の励ましだという。この程度の食い違いが殺人事件とはやはりこの父子供は、特に今では父親が、うそつきのようでならない。
 まさか二人で断崖絶壁の狭いところを歩いているわけではあるまい。言葉の少しの行き違いで殺人とは、遭難みたいなものだ。高校を卒業して就職もせずにハローワークで国立大学とはいったいやはり、話のつじつまが合わない。
少し前の会見で父親は、「家庭内での会話は自分と100%だった。お父さん子だと思っていた」
といいながら、
「自分といるのがしんどかったのかとも思う」
 とはどういう頭の構造。
 自立するべきに、親が私物化干渉するのは良くないとは、福沢諭吉の時代から言われていることで、親子関係のゆがみの一面。すでに歪んでいれば、うそつきでもないか。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月10日(木)三浦雄一郎... | トップ | 4月15日(火)ほっと一息 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブツブツ日記」カテゴリの最新記事