亡くなった田村の追悼で、古畑刑事と松嶋菜々子スペシャルなど見たが、ああやはり、この人は大いなるダイコンであって、しかも三谷幸喜作品であっては、誰でも人気主役にはなれたという、コロンボの盗作丸出しで、どうせ英語圏のドラマを、極東の貧民国が盗作してもバレないし、盗人は猛々しくも、本家はバカらしくて相手にせずで、のうのうとシリーズ化して、しかもこれは女方役者の、オカマの刑事であって、ならば久米宏にやらせた方がずっとテキパキしていたんじゃないかと思うほどで。
しかも田村の1年後輩が、久米宏とか田中真紀子なのだが、二人とも元気なのに、田村はわずか77歳で今時亡くなるとは、何を没落貴族のような晩年過ごしたかと、少々呆れる。ヤクルトタフマンの伊東四朗などは、83歳なのにバリバリ元気だし(それは端役だから、元気にならざるを得ないと死んだ者はいうのだが)、三国連太郎の釣りバカは、87歳くらいまで枯れた演技していたのに、比べれば小便たれの小僧で貴族引退して早々に死んだ、この七光りのダイコンは、一体何だったんだと、ジャニーズを追いかけるおばさん族は反乱するだろうが、ちょっと知っている者は、賛同してくれるかな。
友人の城下は、楽屋でしゃぶしゃぶかき込んでいた田村の話を聞いたけれど、ああそれは、明治大正のが、日陰で一人便所飯食うのが立派だと言われた、阿呆の時代で、今でもまともに信じている偏差値ゼロのダイコンの思い込みで、ならば、本人がイタリアのマストロヤンニだか誰ぞに惚れていたというなら、飯食いながら女口説くらいのことを、平時でもさっさとやればいいのに、便所飯やるようなすべてを勘違いしているだけで、ああ、嘆かわしい。
どうやら歌手の中村晃子と同期らしくて、彼女はエールフランスのモデルだったのに、売れない七光りの田村とベアにさせられたが、どちらもさっぱり売れないと、当時の松竹は、65年頃は嘆いたというのだ。その彼女が、田村の楽屋に泊めてといった時も、童貞の彼は相手にできなくて、どうやら彼女に馬鹿にされたんじゃないのかと、勘繰る(押し入れで寝ろと文春には書いてあるが)。
ところが早々と彼女は67年に、虹色の湖で、一発屋らしくミリオンセラー記録して、紅白にも出た。私世代は、今でも彼女の記憶は、この一発で実にクリアに憧れの向こうに存在しているわけだ。あの時代、ちあきなおみよりも、黛ジュンよりも、奥村チヨよりも、弘田三枝子よりも、中村晃子だった。
そしてこの二人が再会するのは、80年である。TBSドラマの「離婚ともだち」なのだが、ここでも彼女は「恋の綱わたり」で再度ヒット飛ばした。主役が大原麗子と田村。脇に藤竜也や浅野温子、末端に彼女がいたのだが、これが三枚目田村の足掛かりとなったらしい。この時に、しゃぶしゃぶのかき込み飯を田村がやっていたというわけで、人前で飯を食えないというのは、歯欠けているか、仁王ドカ食いのどちらかで、ために便所飯やっているなら、逆効果誉められたもんじゃないのだが、今のメディアは追悼のなかで、ウソを盛る。
んな田村をバカ扱いするなら、こんな俳優は「一穴主義」と馬鹿にされる、女房にしか持てないと言われる所以であって、せめて梅宮辰夫か、松方弘樹か、三国連太郎には、遠く及ばなく、ああ、高倉健レベルかと、大笑いしてやろう。
所詮一人娘だけがいて、それにはバカ父親やっていて、これが結婚しないのが一番だったのに、中華外食と結婚されて泣き叫んだとは、バカ丸出しのシロウト父親で、この訃報に際しても、心不全なのは当たり前で、その原因は誰も言えないという、子供家族丸出しだったのだ。だったら、役者なんかやってるな。
彼の話はここで失墜する。さてそのドラマの演出が服部晴治で、これは東大卒のTBS勤務の世紀の女ったらしの、当時でバツ2で、中村晃子と婚前旅行にアメリカに行ったという、当時の大話題になったものだ。ところが翌年に服部が結婚した相手がなんと、大竹しのぶで、当時35歳の中村晃子よりも、11歳若い大竹に「服部さんの赤いフェアレディに乗せられて」という、大カマトト縛かれて、ついに彼は大竹と結婚せざるを得なくなり、二千翔という長男生まれたが、間もなく彼はガンで死亡。その後さんまとの再婚は有名過ぎる。
さて中村は、私をどうしてくれるのよと、男不信になって、以降76歳の今日まで、彼女は結婚できなくなった。罪が大きいのは服部であり、いや大竹はさらに上手でもある。すると田村などは、虫けらである。田村の追悼を語ると、こんな余計な話に盛り上がる。