ピッチャーが4番だと思っていたのは、高校野球だけ見ていた時代。ところが水野も、桑田も、金村もみんなDHになったか、送りバント専用要因になって、野球はつまらなくなった。
大谷が、メジャー移籍するときに、二刀流は「それは無理」と、日本人はすべての可能性を否定する島国である。「出る釘は打たれる」と平気で言い「~~だから、目立たないことにするのも、上手に生きていく手段だよ」と、妙な説教する。
メジャーでも、多分無理とは言っていたが、しかしその常識を超えてしまうと、ピッチャー2番(それは過去の4番と同じこと)が成立するし、平日の2番DHが可能になった。投げてすぐに打って、また投げてという忙しさは、高校野球までの小僧にとって楽しいことだ。それを本格的に実現させたのは、やはりメジャーだった。
日本は、そのメジャーではとっくに死語になっている送りバントを、正岡子規の明治の時代から、何の進歩もなく、毎日何度もやっているとは、本気で進化のない国だと全くダメに思う。
メジャーは意味ない敬遠に「宣告敬遠」を始めて、日本も真似したが、いつも開拓するのはメジャーからである。つまらない試合もある。初回に10点入れたら、攻撃は1イニング「消滅」させるルールはまだない。9回攻めなくて十分、8回、いや7回でもいいよと、攻撃休める。
そんなに送りバントしたいなら、五輪で日米野球やったら、アメリカは「宣告犠打」でいいですよと、言い出すに違いない。犠打喜んでやる攻撃側を、普通は精神状態を疑う。1回やれば1アウト2塁、「もう一度やる」と聞けば、はいで、2アウト3塁。こんなこと始めたら野球はつまらなくなるのだが、それに近いのが毎日犠打やっている日本の野球である。あんなもんは自爆テロ。だから日本のプロ野球はいつまでもダメだ。
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