大阪の通天閣の三桂クラブは今日閉店したというのだが、東京の三桂の宮さんは、20代の頃に、この大阪で3,4年くらい住み込んでいたことがあったんじゃないのかなあ。その後東京に戻って、のれん分けだったんだろうか、新宿で三桂クラブを70年代から30年くらい経営していたと思うんだね。
彼はアマ将棋指しだったけど、森鶏も櫛田もここの常連だったし、羽生も郷田も先崎も佐藤康光もやってきたねえ。私は将棋はやらないんだが、妙なことに宮さんはサイコロ、バックギャモンをここでやっていて、それにハマった連中も将棋とは別にここの常連になったんだね。
いや~宮さんは、言っていたねえ。「感想戦なんて、意味ないんですよ」といいながら、閉店後に「感想戦に行こう」というのは、居酒屋で一杯やろうの同義語だったんだね。
明確に聞いたことはないんだが、しかし、感想戦やって自分の敗因を知ったところで、それさえ「意味ないんだよ」と。つまり感想戦で敗戦探って了解して、次には失敗しないようにして、自分はその後強くなれると思うのは「錯覚なんだよ」とも言っていたね。
例えば、藤井聡太のようなものは「最初から強い」わけで、たまに負けたときの、勝ったときでもその感想戦からさらに強くなったなんて、聞いたことがない。つまり負けても勝っても、その勝因敗因とは、その対戦中におおよそ気が付いているわけでね。それを試合中に気が付かなくて、感想戦の時に「そうだったのか」なんて言う棋士は、人生永遠に「そうだったのか」と思うわけで、最終的に自分は弱かった理由は「ああそうだったのか」と死に際に気が付いて、それじゃ遅いというんだね、私なりに訳したとして、こういうことなんだ。
つまり対戦中の疑問手は、その場でおよそ気が付いて、それが理由で勝ったり負けたりしたときに、その結果にも自分で気づくわけで、ならば感想戦とは「負けたやつが気が付きたい」のと「勝ったやつが自慢したい」の低レベルな話し合いに過ぎなくて、そんなもん辞めて、さっさと飲みに行けというんだね。もしくは観客の素人騙しでね。
それに藤井聡太その他の強い人いうのは「最初から強かった」のであってね。そう中学生でプロデビューした時に、もうその時から、マスコミ引き連れて勝率8割とか、20連勝とかやっていて、藤井は「いつが弱かったんだ」と思うわけね。小学生の頃に弱かったといっても、小5の頃から、詰将棋はNO1であり、じゃ小3の頃には弱かったと思っても、確かに小学生道場にはいっていたが、しかし相当に強かった。つまり結果的に強くなった人は、感想戦の有無などではなくて、その場その場の敗因などは承知の上で「もう一局」と言いながら、同じ失敗はすでに繰り返すことなく、同じ敗戦はしなかったはずなんだね、そして勝つ。ドンドン勝つ。たまに負けても「あれがダメだった」とすでに自分で気が付いて「もう一局」と言いながら同じ間違えやらずに勝つ。そういうことなんだね。つまり一瞬は弱かったとしても、以降は常勝だから、普通は藤井聡太が弱かった時代に気が付かないし、弱い時代はなかったという結論になるわけだね。
それが理由で「感想戦は意味なし」というわけで(アベマの観客にとってはいいのかも)だが、対局者にとって、特に負けた者には、人生最終まで感想戦やって「ああ、そうだったの」と感じること自体が、そういう人生なんだよねという、もしくは指導将棋を受けている者は、70歳になっても同じく受けているわけで、それは自分が弱いことが「趣味」になるってことでね。上昇を目指す者にとっては、すべてが戒めだったのだろうと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます