少子化は、経済的に結婚できないのではなくて「結婚したくない」が理由である。
そもそも儒教などは、家父長制度であり、男尊女卑だから、女は父親の言うとおりに結婚しろと、中韓日の中世から近代~現代は、世界でも異変的にこうなっていた。
昭和17年の「産めよ増やせよ」の国家の政策に、アホウのようにしたがって、戦後は焼け野原なのに、帰還兵のセックス願望だけで、団塊とは3年間で1千万人近くが生まれた。いまでいえば15年分の出生数である。
あんなドヤしかない国民全貧乏のどこに、経済的ゆとりがあったのだ。カネとセックスとは、まったくの別物である。腹減ったと、眠たいの次にセックス願望があるだけ。せめてハウツー・セックスではないのか。
この50年の歴史のなかで、「女性解放」してきたのは、雑誌「微笑」もその一つだった。男のチンポコとはどういうものかと、実物大の付録を添付して、この女性エロ雑誌は、70,80年代を謳歌した。それは女性の性の解放であって、せめてオヤジの元を逃げろ。それが今は、人生すべて父親の元から逃げろ。それは結婚のない生涯独身。
蓮舫の「若者は~」と、このガキを甘やかせるのは、この独身主義を助長させるだけ。女子にとっては、家父長と男尊女卑は、思っている以上に嫌悪感があるということなのだ。それは50年前の全共闘の女版ともいえるのかも。
せめて、別姓結婚ができない。本名と旧姓があって、パスポートのときだけ、いちいち二重人格になるのは、もう御免である。女の立ち位置がどこにもない。
ならば、小池百合子のいう「無痛分娩の支援」が圧倒している。今の女子は、無痛分娩とは何なのか知らないのだ。
自然分娩とは相当に痛い。絶叫するほど痛い。「これが男だったら即死する」ともいわれるが、全国の出産女子は、これを亭主に決して言わない。隣りの妻はそれを知っているのに、なぜか夫に言わないのは、全国に渡ってそうなのだ。それは女子のイスラム教と言ってもいいほどの、口の堅さは何なんだ。あんなものは虫歯抜くのに、麻酔も使わずに、漫画のようにペンチでそのまま抜くようなもので、文句いえば「アンタの怪しい歯磨きのせいで虫歯ができた」と歯医者に笑われるだけ。そんな歯医者がいたら、男は胸倉掴んでけりを入れるが、産婦人科が「女は痛みを感じないと赤ん坊を大事に育てない」と今でも平気でこれをいう。殴られないのが不思議なくらいで。「だからせめて麻酔使いましょう」という小池は、まあ事態をよくご存じの支援である。
妊娠出産子育ては、結果的に犬飼いよりも、1万倍以上の楽しみがあるのだが、それは後に思うことで、当初は「それは義務だ」と教えるのが、キリスト教であり、イスラムでもある。ところが儒教は「女は産むもの」決めつけるだけのパワハラに思う。そして無宗教の日本では「それはご自由に」。ならば産まない。
せめて勤労と税の支払いのように「義務」なのだ。義務といっても、義務教育さえ拒否する家族がいるし、プーも、未納の寄生虫も、生きる権利はある。だか、しょせんは寄生虫であり、いずれ生活保護で守られる。こんな連中の正当性を説くのが、国家のバカさ加減でもある。
男尊女卑と家父長を捨てるならば、当然であるが、「道徳儒教は違法だった」の宣言が先である。そしてせめて妊娠出産は努力義務である。
セックスはしたいかもしれないが、妊娠出産は、多分したくない。それが今の日韓の世界ワースト少子化の原因である。
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