sptakaのブツブツDiary

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5月3日(水)大日岳1億6千万円を国が控訴

2006-05-03 08:24:49 | スキー・登山・自然
 やはりそうでしたか。厚顔無礼な国、文部省は、先の民事判決で、1億6千万円払えという地裁の判決が出たものを、不服として控訴しましたね。国は無罪に自信をもっているわけですね。思ったとおりです。
 これは裁判ゲームなのです。ことの顛末は、もう何度も書きましたが、5年ほど前に文部省の学生研修で3月の富山・大日岳に登山して11人が雪庇から転落。2人が死亡。その民事裁判のことです。先日2人の死亡学生の遺族が勝って、1億6千万円を国が遺族に支払えと判決でたのですが、国が控訴したというものです。
 行政というのはこういうふうに厚顔無礼なのです。私ずーっと思っているんですよね。例えばアメリカでは、国とか行政のようにそれだけで権力があるものは、裁判所の判決に対して、権力側は確か控訴できない裁判制度になっているのです。これも一つのいい考えですよ。
 それと不思議なのは、国とか文部省が控訴するというこの意志なのですが、その文部省の意志というのは、一体何のことですか? 文部大臣ですか、小泉ですか、文部省(文部科学省)の次官のことですか。本来役人に意志などというものは、必要ないのです。連中は公僕であり、立法府の決め事にしたがって、レールの上を走りやすく制御するだけの存在なんですよ。いわば都バスの運転手のようなもんでね、仮にじゃまな駐車違反の車があって困ると思っていても、それは警察かその商店組合に処置を相談するべきものであって、運転手自らが降りていって、その車に駐車違反のステッカーはる権利なんてありません。
 日本が官僚国家としてひどく間違っている既存の悪習慣というのは、この木っ端役人といわれる都バスの運転手ごときに自主性だとか意志を持たせていることなんですね。明治維新いらい国民は馬鹿で、高文試験に通った東大卒の官僚こそが国を動かすという大きな勘違い国家がここにあるわけなんですよ。それが崩壊し始めているというのが、小泉、小沢の人気の秘訣ですけどね。
 どうせ1億6千万円など、出どこは税金でしょ。裁判でそれ支払えとなったのだから、払えばいいんです、それだけのこと。
 それともう一つこの事故周辺の人たちの勘違いは、これは民事なんですよ。例えばね、ロシアの強制所に不眠不休で車の運転させられていた運転手が、子供を大勢バスに乗せてね、睡眠も休憩も取らずに運転しろと強制されていたら、事故も起こしますよ。それをね、後に民主裁判で裁いたときに、この運転手は刑事では無罪になりますよ。しかし民事ではね、子供事故してしまえば、バス会社が慰謝料しはらいますよ、そういうことなんです、民事というのはね、それがなかなか理解できないらしいですね、私このあたりのことは自信を持っていいますよ。
 例えば有名な500人死んだ御巣鷹山の日航機事故は、民事では1人に1億円くらいを支払っていますが、当然ですが、あの事故の刑事責任はじゃどこにあったのかといえば、機長にも日航にもボーイングにもない、全員無罪という面白い判例なのですよ。こういうのはどこにでもあります。誰にも罪がないけど、結果死んでしまったのならば払いましょう、だからそこに保険制度があるわけじゃないですか。
 大日岳の事故もこれに相当するんです。しかし一審の判決をざっとみると、「事故は30mくらいの雪庇が崩れたのであって、これは予想不可能で、講師が予想できるのは10mくらいまで」。簡単にいえばこれが文部省が負けた理由なのです。これだとこの判決自体がまた御粗末だとおもうわけですね。実際に30mの雪庇が崩れて、予想が10mだなんて、ホントですか。最初のうちは予想は3mなんていっていたこともあったと思いましたけど。じゃ、大日は30mが崩れて事故だったわけで、10mが崩れたら事故になりませんか? これって屁理屈の類なのです。
 この裁判の大きな間違いは、民事の裁判だというのに、岡っ引きのように、刑事裁判みたいに原因追及して、たまたま一審は被害者が勝ったけど、こういうやり方だと控訴審では逆転して文部省が勝ってしまう可能性もあると私は思うんですよ。
 民事裁判というのは、それが発生した根拠というのは、息子が死んだ遺族が、お金もらえないことが不服であることにスタートしているわけです。原因は生命保険に入っていなかったからなんですよ。普通は就職して結婚、出産した頃に、勤務先に保険のおばさんが来て「大切なお父さんの身なんだから、死亡で5千万円くらいの生保に入りなさい」とかいわれてみんな入っている。しかし登山学生は本人はもとより、親も、主催の文部省もどうせスポーツ保険なんていうのは、死んで100万円くらいですからね、こんなものは役に立たない。原点はこれです。そうそう、自慢じゃないですが、私は学生のときに安かったけど当時1千万円くらいの生保に自分で入りましたよ。母親を受取人にしてね。岩登りやってると必ず死ぬとかいわれたもんでね。用心深いというのはそういうことです。
 だから、この30年に1回のこういう大きな事故では、事故ありきの後で、国の特例で保険制度初めてもいいし、そのくらいのことなんですよ。事故の原因究明争いじゃなくて、結果死んだことに補填をどうするのかということですよ。自殺じゃないんだから。
 しかもこれが引率講師の刑事事件として争われた形跡ってのはないんじゃないですか。不起訴だったのかどうか。刑事裁判で過失があったかどうかのときに、雪庇がどうこうという争いになるわけで、これは民事に過ぎない。
 で大まかに言えば、雪庇崩落とか雪崩なんていうのは、一冬に何度もあることで、冬山ではあったりまえのことですよ。宇宙からの隕石に当たって死んだというなら、無罪もあるけど、雪庇、カミナリ、豪雨なんていうのは、それが楽しくて冬山いくようなもんだからね。それが文部省の学生研修登山という場であったのならば、理由はどうあれ主催者は潔く金支払うのが道理というもんです、しかも主催は文部省ですから。それだけのことですよ。
 私一審に被害者が勝訴して、驚きました。普通はなかなか勝てないのに、裁判も進歩したのかなあと。しかし実態はそうでもなくて、文部省の控訴ですから、一審に文部省はあまり本気じゃなかったからと、こういう結論でしょ。本来なら行政は控訴すべきではない。しかも控訴審でも文部省は負けるのが理想なのだが、今の日本のどうしようもなく遅れている裁判制度では、勝ってしまうことが大いに予測できる。しかも原因追求だとなおさらだ。誰だって雪庇の上を通過しているわけで、たまたま崩落といえば、これは納得してしまう人が多いもんです。しかも講師というのは、ヒマラヤ経験のある連中でした。
 小沢が政権取ったときに、例の超法規的な特例として、裁判即刻中止で、一審に従うと金を払えば、これは民主政権になるきっかけでもあると思うがどうか。小泉はハンセン病でそんなことしたからね。冗談か。

コメント
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