HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

高架下でメジャー復権。

2020-09-30 06:43:21 | Weblog
 かつて一世を風靡した「VAN」。米国・東海岸のキャンパスファッションを手本に、着こなしからライフスタイルまで徹底して拘った日本生まれのメンズブランドだ。筆者より10歳以上年上の洋服好き、中でもアイビー派の方々には垂涎の的だった。今でも偶にロゴ入りのスタジャンを着た人を見かけるが、それだけ根強い人気があるのだと思う。

 一方で、誕生から70年もの間には紆余曲折があった。発売元の(株)ヴァンヂャケットは、70年代までは順調に売り上げを伸ばしたが、ブランド拡大や多角化が災いして1978年に会社更生法の適用を申請し倒産した。80年に設立された新会社のヴァンヂャケットは、旧会社がもつ商標権を継承して再建にこぎつけたが、ファッションの多様化もありメジャーブランドとして復権を図れないまま、今日に至っている。

 今から20年ほど前には、メジャー化の動きがあった。2001年、福岡でカジュアル衣料の製造卸を手掛ける「バイスコーポレーション」が新生VANのプロジェクトを主導した。同社の中村勝司社長は東京でヴァンヂャケット社長の宮川烈氏と会い、ブランドに対する思いを伝えた。当時、筆者はその内容を直接、中村社長から聞いた。以下がそれである。

 「VANは御社のものでも、石津先生のものでもありません。VANは日本の文化そのものです。VANがほしい人は今でもたくさんいます。全盛期を知っている人にも、お金がなくて買えなかった人にも、夢をかなえてもらいたいんです。今の店舗数では満足いっているとは思いません。石津先生がご健在のうちに自分でなくてもいいから、もう一度浮上させてください

 この思いに宮川社長は相当驚いたとか。そこまではっきりものを言った企業は、それまでなかったからだ。そして、中村社長は宮川社長に対して、以下のような「VANファミリーショップ」戦略を提案した。

 1.団塊ジュニアのファミリー層を主なターゲットにする。
 2.ファミリーが買えるようにアイテムを絞り込み、リーズナブルな価格にする。
 3.企画は日本、生産は中国で行う。
 4.売場面積150坪の標準店としたストア型SPAで、FC展開する等だった。





 こうしてVANはメジャー化の道を歩み始めたか、に見えた。しかし、ブランド名こそVANではあったが、中国生産が災いしてチープさは否めず、今とは違い生産管理も十分ではなかった。実際に商品を見ると、全体的に企画が大味で作り込んでいない。そのため、MDの完成度は低かった。販売担当者は「機会ロスを無くすために、商品はどんどん供給する」と、豪語した。まるでユニクロと同じ手法だ。

 メジャー化=価格を下げ、多くの人に買ってもらうのを意図したが、往年のVANを知る人からすれば、それは似ても似つかない代物だった。急速な店舗展開に販売教育が追いつかず、売り上げが伸び悩んだにせよ、結果的に「量産品に商標を付けただけ」が仇となって運営会社の(株)ベルソンジャパンは2006年3月、倒産を余儀なくされた。


ブランド復権を秘めた旗艦店出店

 ブランドが頂点を極めれば極めるほど、一度でも凋落すると再建の道のりは険しい。三井物産に買収される末路を辿ったビギ然り、クロスプラスに身売りして量販系に堕したジュンコシマダ然り。どうしてもかつてと比べられるため、少々のリニューアルや再構築では物足りない。それはVANの商標を管理するヴァンヂャケットがいちばんわかっていたのではないか。

 2000年代に入り、ヴァンヂャケットはユナイテッドアローズやコムデギャルソン、ハリウッドランチマーケットなどとコラボアイテムを企画する一方、VANショップについては百貨店とオンラインでの展開で、定番的な商品を販売した。いたって愚直な経営、地道な戦略にも見えるが、それだけではブランドバリューの浸透には限界があった。

 ただ、ブランド復権とはいかないにしても、再開発事業が続く東京ではデベロッパーから出店要請があっても、おかしくない。先日、その兆しを感じるニュースを目にした。

 「ヴァンヂャケット 日比谷に『VAN』旗艦店を開設




 である。9月10日、東京のJR有楽町〜新橋駅間の高架下に開業した商業施設「日比谷オクロジ」にテナントとして誘致されたのだ。旗艦店だから、レギュラー店とは店作りもMDも異なる。「トラディショナルな定番商品ではなく、ここでしか買えない商品」で構成したとか。しかも、VANのユーロバーション「Mr.Van」は、この店限定でモダンなテイストのドレスカジュアルとして販売するという。

 メジャー化という言葉こそ使われていないが、出店の目的は、「VANを知らない40代男性など次世代顧客の開拓を目指し、限定品や協業品、セレクト品などによって新たなイメージを発信する拠点と位置付ける」と、している。この旗艦店が軌道に乗れば、駅ビルなど30〜40代を引きつける商業施設への出店にも弾みがつくと思われる。

 オクロジ(奥路地)と言っても辺鄙な場所ではない。鉄道を支えてきた重厚な高架、朽ち果てたレンガはトラディショナルそのもので、VANとシンクロする。ここなら、すでにリタイアした往年のファンも、映画や演劇を見に行った序でに立ち寄れる。逆に新橋界隈で働く現役は歩いて覗きに来れる。大人の男性が行きつけにするには丁度いい立地だ。

 価格帯は既存のアイテムでTシャツ1万円程度。シャツ1万円台、パンツ1万円台後半〜2万円台前半。ジャケットが4〜5万円。百貨店展開では妥当なプライスラインだから、日比谷立地ではいたって値ごろと言える。他にも上質素材を使った大人が着られるTシャツが9800円、ロンTが1万2000円。パンツブランド「バーンストーマー」とのチノパン、「ブルーブルー」とのブレザーといったコラボアイテムも販売される。


セレクトショップの客層にアプローチしては

 では、40代の男性を開拓できるのか。カギになるとすれば、セレクトショップの顧客層へのアプローチではないか。日本の大手セレクトショップは、少なからずVANの影響を受けた世代が創業した。ビームスの設楽洋社長やユナイテッドアローズの重松理名誉会長がそうだ。彼らはショップを発展進化させる過程でユーロテイストも取り入れたが、根底にあるのはVANがモチーフにしたアメリカントラディショナルである。



 創業者のもとに集まった生え抜きスタッフも皆、アメリカンテイストに対する造詣が深く、そのエッセンスを品揃えの其処彼処に打ち出しながら、40代以下の若者を攻略していった。だから、この旗艦店がトラディショナルな定番商品ではなく、ここでしか買えない商品やMr.Vanのドレスカジュアルを揃えるにしても、VANの底流にあるテイストから大きく外れることはないと思う。旬を知らない世代でも、引きつける要素は十分にある。

 お客の側からしても、日本男児は老弱を問わず米国風のテイストを好む。というか、それがファッションとしてはいちばん無難でしっくり来るからだ。ところが、巷に溢れるメンズウエアはチープで妙に流行を追っかけ、クロージングは似非オーダーのスーツばかり。しかも、ヤングトレンドは、抜け感のあるシルエットに揺り戻している。

 20代から30代前半までなら、それでもいいだろう。しかし、30歳後半になり体型が崩れ始めると、あまりにルーズで見栄えが悪い。むしろ、50歳近くもなれば、米国テイストの方がお腹が出ても、カチっとして様になる。購入方法もシーズン毎に服を買い換えるより、流行に左右されないアイテムを組み合わせる方が合理的と考えるのが多数派ではないか。多少値段が割高でも、結果的にはそちらの方がお得になる。

 また、ウィズコロナでリモートワークが定着するのは間違いなく、オンオフ兼用アイテムへのニーズは高まる。ただ、GAPのように一度洗濯するとヨレてしまうアイテムを中高年が着ると、やはりだらしくなく見える。ならば、布帛のシャツにしてもニット・カットソーにしても日本人の体型を知り尽くし、ベースのパターンを受け継ぐVANの方がリモートワーク向きのアイテムになりやすいのではないか。

 ヴァンヂャケット出身の貞末良雄氏が手掛けた「メーカーズシャツ鎌倉」が人気を博しているのも、そうした理由からだ。在宅ワーク着の上にジャケットを重ねるだけのスタイルが汎用になり、オフィス出勤や営業で外出する場合もOKになると思う。その意味では、日比谷店が手掛ける「アイビーらしいディテールはそのままに背幅や肩線、袖山などを修正し、更なる着心地の良さを追求したジャケット」などにも期待が持てる。

 冬に向けてレザーブルゾンも加わるというから、ロゴマークの入ったスタジャンより一格上のスタイリングも楽しめるのではないか。今度は新たなVANフリークが銀座の中央通りを闊歩する。そんな光景が見られた時、VANの復権は現実になる。

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