HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

迫る実店舗の限界。

2017-11-22 06:56:42 | Weblog
 ネットショッピングの人気で人手が足らず、宅配業者は配送料の値上げに踏み切る。日本ではそんなニュースが業界を駆け巡る中、米国ではネットショッピングの影響から、実店舗、ショッピングモールが閉鎖に追い込まれる事態に発展している。

 11月の初め、そんな現状を紹介したBusiness Insiderの記事がネットにアップされた。タイトルは「まさに廃墟! ショッピングモールやゴルフ場の閉鎖で変わるアメリカの暮らし」だ。https://www.businessinsider.jp/post-106658

 記事は米国のショッピングモールやゴルフ場の惨状をアーティストで活動家のSeph Lawless氏やBusiness Insiderの記者がとらえ、「過去の遺産」として取り上げたもの。写真グラビアにキャプションを付けただけの内容だが、まさにタイトル通りの廃墟が全米各地に広がっていることを印象づける。記事からショッピングモールに関する部分をピックアップしてみよう。

 ●アメリカの郊外はここ数十年で大きく変わった。

 ●かつては郊外に暮らす人々の憩いの場であったショッピングモールは、小売業界が崩壊する中で極めて苦しい状況にあり、その多くが閉鎖に追い込まれた。

 ●写真にあるシカゴのリンカーン・モールも、2015年1月に閉店した。

 ●このモールは、1973年にオープンした。床面積約6万5000平方メートル(東京ドーム1.5個分弱)のこのモールには、4つの中核店舗と100のテナントが入っていた。

 ●だが閉鎖間近には、店舗数は40まで減った。

 ●モールのオーナーは2013年、シカゴ・トリビューン紙に対し、毎年200万ドルの赤字が出ていると語った。

 ●営業は続いていても、ゴーストタウンのように閑散としたモールもある。例えば、写真のバージニア州リッチモンドにあるリージェンシー・スクエア・モールもその1つだ。

 ●空になったテナントスペースが並んでいる。

 ●多くの小売業者は、消費者動向の変化になかなか適応できなかった。バージニア州グレンアレンにあるモールでは、アンカーストアのシアーズがまだ営業を続けているが、陳列商品は驚くほど少ない。


 筆者が米国のアウトレット視察に出かけた1992年〜93年頃が、郊外施設の売上げはピークだったのではないか。その後はインターネットの発達により、ECが生活に浸透すると、米国の消費者は車で1時間以上もかけてSCに出かけることがバカらしくなってきたのだろう。それは都市と都市が近接している日本では想像もつかないことだ。

 そもそも、米国ではいつぐらいから、郊外に大型店やショッピングモールが出来始めたのか。米国は欧州やアジアと違って第二次大戦の戦場にならなかったため、1940年代後半から急激にモータリゼーションが発達した。全米に高速道路網が普及すると、ジャンクション近くやインターを降りた一般道のロードサイドに次々と大型施設が出現。代表的なものでは、オハイオ州コロンバスの「タウン・アンド・カントリーSC」やワシントン州シアトルの「ノースゲートSC」である。

 モールという体裁を整えたのは、1950年代にミネソタ州ミネアポリスに誕生した「サウスデール・センター」だ。広域集客のためにアンカーテナントを誘致し、広い駐車場と降雪や低温にも対応するクローズドモールに専門店を配置して、来乗客がショッピングをしやすいように配慮した。

 その後、核店舗に百貨店、テナントに有名専門店などがリーシングされ、今日にみるショッピングモールのプロトタイプができ上がった。当時、戦後復興に一生懸命で、各地の駅前でようやく商店街が息を吹き返した日本とは大違いである。

 だが、作家の城山三郎氏が書いた「官僚たちの夏」に登場するような有能な通産官僚が米国の商業、流通事情を見過ごすはずは無い。いち早く視察に赴き、その巨大な商業施設を目の当たりにすると、「日本もやがてモータリゼーションの時代が来る。しかし、こんな大型施設ができれば、駅前商店街などひとたまりも無い」と、感じとった。

 帰国後、早速、大型店の進出を抑制する法案の作成に取りかかり、自民党の商業族を通じて「大規模小売店法」の制定、施行に動き出したのは想像に難くない。ただ、法律では出店そのものが阻止されたわけではなく、出店の申請から審査、調整、許認可までに相当の時間がかかるようにしたのである。

 お上が商業競争の激化に猶予を与えたということだ。それでも 1969年には東京の世田谷に「玉川高島屋SC」がオープンする。さらに1981年は千葉の船橋に「ららぽーと船橋SC」が開業した。ここは筆者もしっかり憶えているが、当時、売場面積は日本一と言われていた。

 その後、外圧による内需拡大によって大店法が改正に動き出すのは、90年代である。しかし、大店法の施行から改正までの30年間、日本の一般商店が大型店の進出を抑える規制で安穏と過ごしていたのも、また事実だろう。大店法は2000年に廃止され、新たな大規模小売店立地法のもとで、環境を保護する色彩が強められた。しかし、商店街がシャッター通りと化してしまったのは、規制によって個々の商店が保護され過ぎ、競争力を醸成していなかったことにも一因がある。



 ところが、今日では小売りをリードしてきた米国の大型商業施設がECというハードを持たない競争相手に駆逐されようとしているのだから、何とも皮肉な話である。もっとも、米国では1980年代の不動産バブルで、SC開発が金融機関や投資家にとっての「利回りビジネス」になったのも事実だ。

 特に専門デベロッパーがを開発するために、モールの土地や建物をSPC(特別目的会社)が保有するケースは少なくない。SPCは土地や建物を保有するための資金を債券等を発行して調達し、この一部は投資家に販売されている。つまり、不動産の証券化することで、SCは投資家から開発資金を集めてきたのだ。

 また、小売業も総資産を拡大することなく出店することができ、ROA(事業利益/総資産)の改善が期待できる。ただ、SPCは核店舗やテナントが売上げを伸ばし、成功するという条件が不可欠になる。でないと、投資家には配当できないからだ。つまり、SCのSPC債券は非常にリスクが高いため、債券価格を低く抑えて、利回りを高く設定する方法をとらざるを得なくなる。
 
 結局、小売店は高額な家賃を取られてしまい、収益を圧迫されてしまう。核店舗となるGMSや百貨店のクレジットトレーディングも重要になるわけだ。米国のSCの中にはこうしたケースもかなりあると思われる。SCにとって小売店は不動産価値を高める単なる手段に過ぎず、そこでは大量生産の商品を売り減らしていく上で、実店舗の価値を決める「サービス」や「おもてなし」的は発想が深堀されていたとは思えない。

 結局、品揃えやテナントミックスでは差別化できないSCばかりになっている。出店している小売店が凋落すれば、大家には部率家賃が入って来なくなるわけだから、SCという器も閉鎖を余儀なくされる。今は単に商品を並べて売るだけなら、仮想空間でも十分にできるわけで、金融機関に貯まった大量のカネが行き場を求めて不動産にしか向かわなかったのは、まさに因果応報とも言えるだろう。

 今年3月に発表された米国の商業レポートによると、百貨店のメイシーズやシアーズ、JCペニー、ファッションブランドのBCBGやアバクロンビー&フィッチ、Bebeなどが数カ月以内に閉店し、その数は全米で3500店以上に及ぶと言われている。米国では実店舗がもつ魅力、スタッフによる接客サービス、VMDや空間演出が醸し出すエモーショナルな部分は、ニューヨークやロサンゼルスのように人の往来が盛んな大都市の一部店舗を除き、求められなくなったのかもしれない。

 個人的には、大学2年生の時に初めてニューヨークを訪れ、メイシーズやJCペニーなどの売場を見てまわった。5番街に軒を並べる高級専門店は別にして、一般の衣料品店では大量の商品が型や色、サイズ別にハンギングされているだけだった。



 90年代にはGAPをはじめとして次々と米国ブランドが日本に上陸したが、その時も売場づくりはほとんど変わらなかった。大量生産してそれを見やすいように陳列し、売り捌いていく。売れないものはマークダウンやセールにかけるか、アウトレットで現金化する。それが米国の小売りビジネスのDNAで、変わることはないようだと感じた。

 しかし、そんなアバウトな小売りスタイルがITを駆使して需要を予測し、在庫管理まで徹底できるECに太刀打ちできるはずがない。さらに無駄な店舗在庫を抑制し、物流費や販売管理費の削減にも貢献するショールーミングがECを後押ししている。実店舗の大量閉鎖、店舗販売の崩壊は小売りの進化を如実に表しているのだ。

 日本でも、ECは伸びで行くだろうし、そのあおりを受けて店舗販売の縮小は避けられないと思う。米国のようなSCの大量閉鎖とまでは行かないにしても、すでに駅前商店街は衰退し、地方百貨店も閉店している。次なる段階はどの店舗、どの業態になるのだろうか。

 東京のような大都市ではまだまだ再開発が続くので、新業態のリアル店舗が登場するに違いない。福岡市のように地方都市でも人口が増えているところは、商業開発は今後も続くと思う。しかし、かつてニュータウンと言われた郊外の住宅地では住民が高齢化しているし、これから確実に人口は減少していく。車の免許を返納する人たちが増えていけば、モータリゼーション頼みのロードサイド店、ショッピングモールへの影響は避けられない。

 2018年から19年にかけて、イオン系では石川県や岐阜県など、三井不動産系でも静岡県で郊外SCが開発されるなど物件は少なくない。熊本県では今年11月開業予定だったSCがあるが、計画変更で2018年春の開業となった。しかし、用地は未だに更地のままで土地区画整理事業の整備が続く。おそらく来春の開業も不可能ではないかと思う。

 人口が減っていく地方都市で、旧態依然とした商業施設がどこまで必要なのだろうか。小売事業者は米国の惨劇が日本でも起こりうることを想像しながら、リストラよりも先に小売りのリエンジニアリングに手を付けるべきではないかと思う。

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