HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

その先に目指すもの。

2021-01-13 06:48:14 | Weblog
 正月休みに日本経済新聞を読んでいたら、以下の記事が目を引いた。

西友と無印の新・創業期


 「2021年は新型コロナウイルスを克服する『第二、あるいは第三の創業期』と位置づける経営者は多いだろう。西友と、同社のPB(プライベートブランド)商品から派生した良品計画も時を同じくして新たな創業に踏み出す」との書き出しで、両社がこれまでの反省を踏まえ、新たに打ち出そうする戦略を対比し経営の行方を展望する内容だ。

 西友と無印は、西武セゾングループの崩壊後には明暗が分かれている。西友は業界2位から4位まで落ち込み、高丘季昭氏がグループの筆頭代表幹事を務めた時代には、ニチイにも抜かれる瀬戸際まで追い込まれた。その後も売上げが回復することはなく、2000年には米・ウォルマートの傘下入りでディスカウント路線に移行し、再建に道を探ることになった。



 筆者は2003年、ウォルマートが手がけた日本1号店「西友佐賀巨勢店」の開業に立ち会った。取材にやってきたテレ東のワールドビジネスサテライトをはじめ、各メディアが色めき立つ中、売場を見た印象は「Rollback(同じエリアにある他店が安い価格を広告している場合は、その価格に合わせる)やPrice cutなどのEDLP戦略が目を引くだけで、品揃えでは魅力がない」だった。結局、地元スーパーには勝てず、2010年に撤退を余儀なくされている。



 福岡でも「サニー」が西友に買収されたため、売場にはウォルマートのPOPやPBが氾濫した。サニー各店はRollbackをそのまま実践したが、絶対的な競争力をもったとは言い難い。お客は価格が同じなら、サニーまで行かずとも近くの店舗で購入すればいいからだ。筆者がニューヨーク時代に現地で購入し家族や友人に送っていた「Reese’s Choco」(140gミニカップ、170g4パック、共に298円)。これも西友がウォルマートの調達網を生かして国内向けに販売したが、日本ではメジャーになることもなく廃番となった。

 日本は中間層が没落したとは言え、消費者は米国のように単純ではない。日々の買い物では安心できるNBを好み、鮮度や美味しさを求めれば多少割高でも購入する。食品スーパーの他に百貨店、専門店、ディスカウントストア、スーパーセンター、道の駅、さらにドラッグストアまでもが生鮮やグロサリーを扱うのが何よりの証左である。いろいろ買いまわる日本の消費者にとって、EDLPは選択肢の一つでしかないのだ。



 2000年には突然、米投資ファンドのコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)が西友の株式を65%、楽天が同20%を取得。ウォルマートは事実上、経営の一線から退いた。それは米国で支持される低価格戦略の敗北を認めたようなものだ。代わって経営権を握ったKKRは昨年末、経営コンサルタントの大久保恒夫氏を次期最高経営責任者(CEO)に就任させる人事案を発表した。「日本のスーパーは日本の市場を知る人間に任せたほうがいい」との判断から、大久保氏を西友再建の切り札として招聘したと思われる。

 筆者は過去に二度ほど大久保氏にヒアリングをしている。「ドラッグイレブン」の社長を務めていた2000年代初頭だ。当時、ドラッグ業界はマツモトキヨシやツルハ、サンドラッグなどが全国展開に攻勢をかけていた頃。ドラッグイレブンは鹿児島の一薬局から九州北上による多店舗・ドミナント化を進めていたものの、確固とした経営戦略を持たず壁にぶつかっていた。同氏は戦略のフォーマット作りを託されたのである。



 大久保氏は、「無名ブランドでも高付加価値、高粗利の商品をお客に奨励販売する」「ヘア&エステサロンを併設して来店動機に繋げる」等などの施策を実行。並行してローコストオペレーションや業務の効率化を進め、同社の成長戦略を構築した。2006年にはドラッグイレブンHDのポラリス・プリンシパル・ファイナンス傘下入り、07年にはJR九州によるポラリス所有の全株式取得と、同社が安定経営を続けられるようお膳立てを行なった。

 その後は成城石井の業績を好転させるなど、その手腕は多くが知るところ。過去にはユニクロや無印の事業改革にも携わり、流通系コンサルタントとしての地位を不動にしている。ただ、大久保氏とてドラッグイレブンでは郊外店を成長軌道に乗せるまでには至らなかった。宮崎発の「コスモス薬品」が東証一部上場を成し遂げ、2020年には売上高業界3位まで躍進したのとは対照的だ(https://pcareer.m3.com/shokubanavi/feature_articles/169)。

 大久保氏が西友再建に向けて振るう辣腕には、同社と共同でネットスーパー事業を進める楽天を含め、周囲の期待は非常に大きいと思う。KKRとしては西友が再建を果たせば、他社に売却するはず。まさか、その相手が楽天になるのか。いろんな意味で、大久保氏は再建請負人であり、事業売却の仕掛人にもなり得る。果たして、ハーレを乗りこなすように颯爽とスキームを描くことはできるのだろうか。


個店仕入れ程度では小売りの競争に勝てない

 一方、無印はセゾングループの崩壊後に(株)良品計画として独立し、生活全般の商材を製造販売して確固たるポジションを築いた。さらに同社は90年代から2000年にかけて、無印をグローバルブランドに成長させた。だが、筆者は00年代の半ばから無印のモノづくりに見られた哲学や意志、虚飾を排した独特の美意識が少しずつ失われていくのを感じた。デフレの蔓延で価格が安いことが価値を決めるようになった時期だ。

 リーマンショックを境に無印は、質感より安さを押し出していく。アパレルに限って言えば、低価格で買いやすい商品=無印となっていった。それを「無印量品」と揶揄する人もいる。金井会長は「良品計画は20年に創業40年を迎え、『従来の小売業のあり方を反省し、第二の創業を目指す』」と語り、記事はその心は大量生産・消費に伴い軽視された生産者、地域、環境の再生と成長の両立という「ユートピア」の実現にあると解説する。

 「従来の小売業」というが、確かに無印は製造小売業だから、あえて「小売業」と言っても間違いではない。しかし、無印が確固としたブランドになったのは、たとえ商社タイアップでも、ものづくりの素晴らしさ、いわゆる企画製造のノウハウやブランドの世界観を独自で構築していったからだ。それが長引くデフレ禍で「低価格の量産品=無印量品を単に仕入れて売ってきただけ」と、自ら公言しているように受け取れ、とても反省には見えない。




 12月に開業した東京有明店に「フードロスを減らす量り売りコーナー」や「青果売場」を展開したのも生産者、地域、環境の再生と成長の一環だが、それらを世界中の店舗に行き渡らせることができるのか。20年9〜11月連結決算の純利益は、巣ごもり消費で前期比69%増の122億円だった。しかし、欧米事業はコロナ禍で昨期は142億円の減損損失を出し、中国事業も周政権の国家主義的姿勢から、今後の展開には不安要素がつきまとう。

 単に安いだけに成り下がってしまった無印アパレルでは、かつてのような哲学や美意識に裏打ちされた秀逸な企画を復活できるのか。「地域住民のための相談所」も、お客がどう利用するのか具体的なイメージが湧きにくい。金井会長にはその辺をもっと如実に語ってもらいたかった。むしろ、新たに量り売りや青果を導入したくらいでは、従来のあり方を修正したとは言えないし、第二の創業というエポックにも程遠いと思う。

 また、金井会長は「地域に土着したコミュニティーに脱皮」し、「個店の仕入れを増やすなど、現場への権限委譲を加速する」という。だが、小売業という意味では地方の百貨店や食品スーパーも、すでに地産地消を積極的に進めており、郊外には道の駅といった競合が存在する。これまで量り売りや青果を扱ってきていない無印が社員に仕入れ権限を移譲したとしても、ロスを出さずに収益を上げるノウハウを蓄積するまでには相当の時間を要する。

 奇しくも、コスモス薬品が売上げ伸長のカギとして「日配品」を導入し始めた2000年代初めは、「豆腐すらいったい何丁仕入れていいのかがわからず、相当のロスを出した」と、当時の営業部長は語っていた。それから店頭に「契約農家の朝穫れ野菜」を展開できるまで15年の歳月を要したが、これらの戦略が巣ごもり消費をうまく捉え業績をアップさせている。逆にこれまで無印が青果を扱ってこなかったのは、そうした不安があったからではないのか。

 消費者が完全に成熟する中で、競合他社の小売業はあの手この手で消費を喚起しようと、進化を続けている。果たして無印が小売業としてそんな相手と互角に戦える術を整えることができるのか。スローガンは偉大でも、具体的な施策が再び消費者の心を打たければ、第二の創業は単なる「理想郷」で終わってしまう。

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