つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

育てるということ・・・松本人志の放送室から教えられたこと

2010年10月16日 | 子育て
PCの動画サイトを覚えて、いろいろと動画を検索してみるようになった。
古いテレビやラジオがアップされていて、懐かしくなることが多い。
それが電波にのっていた時には興味を持たなかったのに、今観たり聞いたりするとなかなかおもしろく、その番組に鮮度のあるうちに理解できる自分であれば、人生変わっただろうなあと思う。

先日、何の気なしに 松本人志の“放送室”を聴いた。
調べたら、2001年から2009年まで東京FMで流されていたものらしいので、子育てまっしぐらましてローカルの私には聴きようもなかったのだが、放送作家の高須光聖ととりとめもなく話していくが結構面白い。まだ、アップされている全部を聴いていないが、中にココロに刺さる内容があった。

だめな後輩について熱く松本が語っている。とにかくだめだというのだ。やることなすことだめだと、はじまりから延々といかにだめかと話し続ける。人間としては生きていてもいいが、芸人としては「死ね!」とまで言われてしまう。たとえればとその後輩のことを象徴的に語るのだが、それが、子育てで悩むものとして核心を突いているように見えた。

喫茶店でコーヒーをたのんで、彼がひっかけてそのコーヒーを倒してしまうという失敗をする。
「注意せなあかんやないか!」と怒る。そうすると彼は「コーヒーをこぼしたらあかんのや」と理解する。だけど、本当はこぼしたらあかんのは「コーヒー」だけでなくて「水」でも「酒」でもこぼしたらあかんということを理解しなければいけないのに、「コーヒーはあかんのやな」で終わってしまう。
尚いえば、その彼は「喫茶店で、松本さんと一緒のときにコーヒーをこぼしたらいかんのや」と考えてしまうという。だから「喫茶店でなければいい」「松本さんと一緒でないときはコーヒーでもこぼしていい」と考えるタイプの人間なんだそうだ。話相手の高須が「応用が利かない。高いところからものをみることができない」と言っていたが、こういうことはわが子に通じるものがあります。
その上、松本人志は「あいつな、修学旅行の準備。全部おかんにやらせたのやと。俺はそれ聞いて、あいつのすべてがそれだあ思った」という。

子育てをしていて思うこと。子育ては楽しくって、ついついのめりこんでしまい、手をかけすぎてしまう。そうやって過ごしてしまい、子どもも親も年齢が上がった時、上手に子どもと距離を置くのはとても難しいことです。うまく生きていてくれればいいけれど物事がうまくいかないでいたら、親はついつい手をかけ声をかけ…。でも、それが一番その子どもがうまくいかない原因なんでしょうね。

後輩を育てる。子どもを育てる。
仕事の先輩と親は当然役割が違うけれど、考えなければいけないと思う内容でした。
コメント
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