昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

いとやむごとなききはのおかた

2005年04月20日 | Weblog
 いずれの おおんときにか いとやむごとなききはにはあらねど きはめて ときめきたまふありけり。
 これは、有名な源氏物語の書き出しの部分だね。
 この酔っ払いの爺さんもね、さっき何をしたかなかなか思い出せないのだけれど、若い頃習った事は、不思議と良く覚えているんだよね。
 それでは、我孫達、耳を澄ませてごらん、遥か遠い私達祖先の声が聞こえるよ。
 今日の話題は、私達の始めの始めから、至上のお立場で時を刻んで来られた方のお話をしよう。
 私達の住んでいるこの地が文字を知らなかった頃、彼の中国大陸では、すでに文字が存在し、公文書という形で、私達のことも書き残してくれてあった、本当にありがたいことです。
 中国は魏の国の史書魏志東夷の条に記載されている文章です。いわゆる魏志倭人伝だね。
 その中で特に印象に残る単語が二つあります。邪馬台国と倭という単語だね。邪馬台国をヤマタイコクなどと発音してはいけません、ヤマト国と言うべきです。
 次に倭という文字ですが、当時魏の国からみて、遥か僻地にある小人の国倭国という表現だったのですが、中国語を学んだ結果として、私達は自らを和と称することにしました。
 話が横道に反れてしまいましたが、ヤマトを代表していたのは、鬼道をよくする人卑弥呼であり、実際の政治をおこなっていたのは、男弟であったと記されています。
 卑弥呼はヒミコと読み、日巫女であると説明される方々がいらっしゃいますが、本筋を言いえていると思います。
 クニを代表する神聖なヒミコと実際の政治を行なう汚れ役の男弟がいたということです。
 これは、期限2世紀から3世紀初めの日本の姿であったのですが、このようなクニの有りかたが
実は、連綿と21世紀を迎える今日まで、形のうえで残っているのですから、私達ほど伝統といいますか歴史を大切にしてきた民族もいないと思います。
 ヒミコの地位を天皇に、男弟の地位を時の政府に、置き換えてみてくれるかな。
 不思議と納得できる図式ではないのかな?
天皇というお立場で親政を行なおうとなさっても、不思議と長続きせず、また天皇になろうとした輩がいたとしても、その野望が実現されたことは有りませんでした。
 時の政権は、太政官、摂政、関白、征夷大将軍などと呼ばれました、そしてそれらの政権は、天皇の委任を受けて、天皇のご名代として政治を司るという形をとって来ました。
 当然にして、天皇は、血の正統さが要求されました、従って、そのお血筋は極めて純粋なものであります。
 私達庶民も、天皇の血の純粋さに憧れました。そのうちに自分達も何かしら由緒ある血統があればと願うようになりました。
 そのように心理の変化する過程で開放的だった性格が閉鎖的に変わっていきました。よそ者を排除するような力が働くのもそのためです。
 我々は純血でなければならないという固定観念が私達は何者なのかという研究を一種のタブーとしてしまったのでしょう。
 そう考えると、日本語の構造がこんなにも外を向いているのに、私達が閉鎖的なのか理解できるような気がします。
 天皇は神聖にして犯すべからず。以外にも国民的なセンチメントなのかもしれない。
 ごめんよ、爺さん耄碌してしまって、明治憲法までもちだしてしまった。悪しからず。