昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

出戻り日中友好(多感人的故事)

2005年04月27日 | Weblog
 何々、楽天 兄 俺だと、昔やってた日中友好を思い出すではないか。
 ヤカラじゃと、まったくもう人からパクリおって、ええかげんにせい!漢字で輩であったかの。
 それにの、日本の首相が謝罪という言葉を知るわけないやろ、中国人じゃないのだから。
 冗談はさておき、突然あの場所から消えてしまって、ごめんよ、私の原意ではなかったのだが、
なにせ、言論自由の国から制限された国へ発信するものである故、こちらも気を使うし、そんなものがもとで、相手に迷惑がかかることがあっては、友好などと言っていれまい。そういう配慮でやめたのであります。
 でも、いい人々もいるぞ、中国には、私の書くあの程度の中国語を読んでくれた上で、こういう表現にしたほうがいいとか、この字は現在では使わないとか、50過ぎの手習いで中国語を始めた老いぼれだからと言えば、つまらぬことを言うものではない、そんなことは杖をついて歩くようになってから言う言葉で、死にそうになってから言えなどと言ってくれたり、3000字にも及ぶ返信をくれたりしました。本当に嬉しかったです。
 世界中の国、世界中の人々が望んでいることは、早く国民個人個人が各々の価値観をもち行動できる国になってくれることです。そうなってくれないと世界にとっても、貴方方自身にとっても、危険です。
 今回の一連のデモ騒動の中で、投石する輩を止めにはいった人々もいたとか、そういう芽を早く大きく育てていってください。
 今後、私たちは何かにつけて対峙していかねばならないと思います。しかし、知恵を持って乗り切っていけるそういう民族どうしでありたいですね。
 中国内陸の貧しい農村に行き、そこに150人ほど収容できる小学校を自費で建て、子供達の栄養状態が余りにも良くないといってミルクを贈り、貧しくて学校に行けない子供達もせめて小学校ぐらいは出させてあげたいと頑張っている日本人もいることを知りたまえ。君たちは。
 日本の大使館に、大挙して押しかけ石を投げる暇があるのだったら、是非そういう方面に目を向けていただきたい。