昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

オリエンタル スタンダード(東方標準)

2005年04月10日 | Weblog
 日本人の美意識ってどういうものなんだろう。
 絵画でいうなら、ほらあの絵葛飾北斎の、真ん中に富士山があって、前面に今にも落ちそう
と言うか、とぐろを巻いた大波があって、その中に五、六人で舟を漕いでいるあの絵、一番好
きだね。それと、建築物でいうなら、姫路城、桂離宮それといわゆる和服、あ、それに、もう
一つ有ったっけ、日本刀。どれもこれも、シルエットがとても美しい、究極の単純美だね。
 美しさを、シルエットという形にして、心に描き、究極まで追究する、或いは、物の持つべ
き機能をやはりシルエットとして、とことん追究する、実に美しい。
 ところが、実に不幸なことに、当の日本人自身がその素晴らしさに気が付かないことだ。
 最初に、日本文化に触れた西洋人は、さぞ驚いたことであろう。
 この地の果てに、こんなにも精緻で美しく磨き上げられた文化があって良いものかと。
今日は、飲んべい父さん飲みすぎちゃったよー本論に行く前に、ダウンだー。
ところで、何を言いたかったんだっけ、いやだよね年をとると、物忘れが激しくって。
 私達は、何かというと、好きだよね、剣術を剣道、柔術を柔道、弓術を弓道、その他、華道
、書道果ては人生道、等等、道という言葉を使うのが。
 道という言葉を使えば生涯を懸けても探求し、奥義を極める価値を生じさせうるのである。
 こういう心情を、持ち、実は釘一本打つのにも、どうして打ったらいいのかと、自己研鑽し
てきたのが、私達日本人だね。
 こういう類の特質を自ら自覚し誇りに思うべきだね。
 自分が納得しない限りとても、人前には出せないというとても純真で真摯な感性、大切にし、
よう。
 ここからが、実は本題である。
 或る地域から、市町村議員候補者を選出する時のシステムが実に面白い。
 市町村議員に成りたかったら、まず、地域の有力者のもとに行き、それとなく議員を、やっ
てみたいと言う話をそれとなくするのである。すると、有力者は、まあいいんじゃないの、と
言うぐらいの返事をする。そして、選挙が近くなると、末端では、あの人にぜひ選挙に立って
頂かなくては、と言う話になっている。まさしく、根回しと持ち上げの世界である。めでたく
当選したら、何もできないかもしれませんが、一生懸命頑張りますと礼を述べるのである。
 本当に、何も能が無い人材であるから、何もできないのである、しかし、それで良いのであ
る。選ぶほうも何も期待していないのであるから。
 こういう風潮は地方のリーダー選出はいうに及ばず、一国の元首を選出する際にももちいら
れる、平和時に於いては、それでもまあ仕方無いのであろうが、国民の意思をもって、変えて
いかねばなるまい。
 一国のリーダーがだらしが無いとか、無能などと不平不満ばかりを言って嘆いていてはいけ
ない。彼に我日本国の代表として、踏ん張れるだけの力を与えなければならない、それを考え
もせずに,ただ文句だけをたれるべきではない。そうさせているのは、実は、我々国民自身な
のだから。気づけ日本人。
 この続きは、また明日にしよう。
 ようやく一日が過ぎたか、忘れないうちに書いてしまおう。
 この国に、まだ文字の無かった時代、私達の祖先は、どんな風にこの地にやって来たのだろ
う。
 この件に関しては、確か半年程前にNHKが番組を組んでいた。其れによると、私達の母体
は、ロシアのバイカル湖の近辺に住んでいた人々が、第四氷河期に、カムチャッカ半島を渡っ
て、この日本列島に移り住んだものであるとか。結構説得力の有る番組でした。
 その下地の上に、かなりの時間を経て、朝鮮半島或いは中国南部の人々が、黒潮に乗って渡
来し、我が日本人を形成したとの話である。
 此処からが、実は重要なのであるが。
 それでは、この日本列島において、言語も文化も違う集団の人々はお互いに、遭遇しあった
時どうしたのでしょう。
西洋にしろ中国にしろ大陸では、強者が弱者を従属させる或いは滅ぼしてしまう、そして強者
の言語を強要する、そのようなことがなされたと思います。
 ところが、この日本列島では、各々の集団が融和しあって、共通の言語を生み出したのだと
思います。およそ、他国の言語においては、主語、動詞、目的語の並び順が重要な要素でしょ
うが、我日本語に於いては全くといえるほど関係有りません。主語を導く助詞、目的語を導
く助詞、結果を導く助詞、或いは方向を助詞が極度に発達していますから、どのように並べて
も意を通じることができます。観念さえあれば動詞さえ作れます。
 最近、私は中国語を学んでおりますが、(50過ぎの手習いです)全くといえるほど、影響
受けていないことに驚きました。
 強く感じます、日本語と言うのは我々の祖先がお互いに融和しながら創り上げていった言語
構造そのものを言うのではないかと。OS言語日本語だ。
 これぞオリエンタル スタンダード!