Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

NTLive「ハムレット」字幕あり感想

2016-01-22 15:41:00 | ベネディクト・カンバーバッチ


日本語字幕つきのNTLive「ハムレット」を見ました。
ついにシェイクスピア英語の厚いカーテンが取り除かれたわけです!

字幕なしの先行上映の感想はコチラ → dokuro

去年の8月のバービカンプレビュー、11月の字幕なし上映としつこく追いました。遡ればこのハムレットを理解するために、日本語&英語で原作を読み、同じNTLiveのローリー・キニアの、BBCのディヴィッド・テナントの、V&Aアーカイヴのベン・ウィショーの映像を見て、シェイクスピア研究の文献なんかもちょっとかじってみました。

と言うのは、私にとっての初「ハムレット」ローリー・キニア版が「非常にわかりやすいモダンな演出と演技」という評判にもかかわらず、ハムレットという主人公のキャラクターに嫌悪を覚えて、

これが世界1有名な芝居の台詞「To be, or not to be, that is the question.」の出所なの?!
憂いの王子の正体ってこんな女性蔑視のうるさい男なの?!

という感想を抱いたので、ではなぜ世界の名作なのか、そこが知りたいと思ったからでした。

果たして、(途中眠って見逃しはあるものの)字幕ありで見てこれまでの私のハムレット観は・・・・

まず、「やっぱりひどい男だよ!恋人に邪険だし、母親に対してもずけずけと再婚を責めて!」と再確認したました。字幕で日本語読むとさらにそれが強調されました。

そしてベネディクト・カンバーバッチのハムレットのすっとぼけた笑いをとるキャラは、やはり実はあまり好きじゃない。現代版ハムレットの衣装も実はあまり似合ってると思えない。このふたつはミック・ジャガーなどの天性の不良さや素性の悪さがないと似合わない。

しかしですね、

ハムレットの世界でのデンマークの国際情勢、国家権力と体制の腐敗への批判、当時の人としての生き方の理想、ヘラクレス(ハーキュリー)と自分の比較、王子として世直しを父の亡霊に命令された負担、おまけに演劇の存在意義まで・・・

本で読んで知ってはいたけど、俳優達の演技と同時に正確にわかったおかげで、「ハムレット」はシェイクスピアが世間にいろいろ言いたいことがあったものを散りばめた作品で(これに限らないけど)、ハムレットというキャラクターはその歯車のひとつだったんだな~~と初めて意識しました。

そういう台詞は、ハムレットと母、オフィーリアなどの会話に比べて退屈で、本でも斜め読みだったし舞台での台詞も聞き逃していたのです。

母王妃の再婚をさんざん責めたのも、当時「情欲(セックス)」というものが他の世俗の悪「裏切り」とか「賭博」「泥酔」・・・あと何だったか思い出せないけど、とにかく現代の私達にも「悪人の行い」と思えるものと並ぶものだったのが台詞に出て来てました。今なら性欲は食欲や睡眠と同じ自然なものとの認識がありますが、昔キリスト教の世界では神が禁じた汚いものだったようで、それで母に向かって悪事を改めるように正座で詰め寄って説いていたわけですね~ 劇中何回も「神様!」って叫んでますしね~。女の悪事の制裁、世直しの一環だったんだ!今じゃ共感しようがないなあ。

と言うわけで、私は今まで主人公ハムレット王子しか目に入ってなかったのですが、父の幽霊に呪われ復讐を課され、時代の歯車に巻き込まれた悲劇の王子って客観的に見たら、私がもうひとつハムレットの嫌いだった点「いい大人の男が叫び続ける」ことも、可哀想な男がもがいてる図として納得しました。



ところで父ハムレット役のカール・ジョンソンさん、墓堀り職人の方がぴったりすぎ!亡霊役はあんまり怖くなかったわ~

ハムレットが海賊に襲われる、というエピソードも当時のエリザベス時代のイギリスが海軍国=海賊の時代だったことを物語ってますね。イギリスは海賊=泥棒で国力をつけて行った国。

シャイクスピアは女王にも気に入られて売れっ子劇作家だったからこそ、当時の権力に嫌な目にもあい、外国のロイヤルファミリーや権力者を出してこっそり批判したのかな、と私にでもわかるんだから、これをロイヤル・ファミリーはどう思ったのでしょうかね!ハムレットの劇中劇は英王家をも意識した自虐的なネタにも見えるわ・・・


写真はコチラのサイトから 読めないけどほかにも写真あります

白鯨との闘い 感想

2016-01-19 00:00:00 | ベン・ウィショー


こ・・・怖かったです。
私は閉所恐怖症なのに、船って一種の閉所だったんです・・・。
見てから3日が経過し、やっと冷静になれました。

あらすじ

捕鯨の港町として栄えたアメリカのナンタケット島(ブラック・スキャンダルの土地ボストンがあるマサチューセッツ州にあります。最近縁があるな)に新進作家のハーマン・メルヴィル(ベン・ウィショー)が尋ねて来る。伝説の白鯨と闘った捕鯨船エセックス号の乗組員の最後の生き残りの男トマスに真実を聞くために。
トマスは語りたがらないが、彼の妻の意向もあり、メルヴィルは偉大な小説を書くため熱心に話を乞い、聞き出す・・・


感想 ネタバレありですのでご注意

一等航海士オーウェン役のクリス・ヘムワーズって、かっこいいですね!捕鯨の話では主役なのですが、雷神ソーよりも頭も良さそうだし、当時14歳だったトマスが憧れる気持ちがよくわかります。

彼と船内で覇権争いするのが船長ポラード。親の七光りのぼんぼんです。ウィキによればベンジャミン・ウォーカーに決まる前に、ベネディクト・カンバーバッチ、トム・ヒドルストン、ヘンリー・カヴィルも候補だったそうです。ベネさんだったらまるっきりTo the Ends of the Worldのタルボット坊ちゃんになってしまいますし、クリへムとトムヒが揃ってしまってはソーとロキの兄弟喧嘩で船が沈没しますから、それもダメですね、残念!

あと気になってしかたなかったのは、エセックス号が白鯨と出会った航海に出たのは1819年、メルヴィルが「白鯨」を出版したのは1850年とのことですが、トマスは14歳で船に乗ったということは、メルヴィルに話をした時40歳代のはず。それがなぜ最後の生き残りで老人になっているのか?私の計算のどこが間違っているのでしょう?

西洋諸国から捕鯨を責められる日本人としては、捕鯨そのものを興味津々に見る事ができました。

まず、びっくりしたのは、鯨を見つけたら、帆船からボートでこぎ出して、銛を手に持って投げて鯨に打ち込むということです。ほとんど原始時代の狩り?!あんな小さな銛で必ず致命傷を与えることができたのか・・・?ロープがどんどん鯨に引っ張られて残りがなくなりそうになった時に、乗組員が切ろうとするんですが、あれは鯨が死ななかった場合ボートが引きずられて海に飲み込まれるのを防ぐためでしょうから、やはり逃す場合もあったのでしょうね。

まあそんな感じで鯨との一騎打ちと言う感じですので、「捕鯨とは戦争」と言って、奥さんに「必ず帰って来る」と誓って旅立つし、男のロマンとしてメルヴィルの小説「白鯨」もベストセラーになり映画化も何度もされたのだな、と納得しました。実はなんでクジラの話がアメリカの名著なのかずっと不思議に思っていましたから。

鯨が力つきたらロープを引っ張って、油をくみ出します。そう、西洋の捕鯨とは、ランプを灯す油のためだったのですよね!この油ビジネスで船のオーナーとか保健会社とかナンタケット島の産業が成り立っていたとのこと。この時代は石油に鯨油が取って代わられる直前だったようで、映画の中でも「地中から油が出るんだと!」という会話がありました。

そして、白鯨です。

経験あるオーウェンも見たことのない巨大鯨は、怖いけど、かわいかったです。だから上の鯨の目の画像が好きです。眉毛みたいなのもあるw大きな二重まぶたなのかな?この意思ある巨大な海の守り神みたいな白鯨を見せられたら、確かに「クジラは知性のあるかわいい生き物だから殺してはかわいそう」とも思います。

・・・だけどね、ネタバレいきますよ?

トマスが誰にも言えなかった心の闇となった真実とは、「白鯨に帆船を壊され漂流の果てに、生存者達は生き延びるため仲間の肉を食べた」ということでした。そして「死んだ仲間の身体を食べられる部分以外をきれいに縫い合わせて海に葬った」とも。

私はそれを聞いて、「日本の捕鯨で捕れたクジラは余す所なく利用」というのに似てるな、と思ったんです。日本の漁師はクジラにありがとう、と言って生きるために命をいただいている。やっぱり地球上は食物連鎖。ベジタリアン以外は、何かしらの動物を食べている人間は、「クジラをとってはイカン」と言う資格はないと思うのですよね。

メルヴィルの時代には西洋では人間はまだ万物の頂点、大自然との闘いは人間としての正義、アメリカ人のフロンティア精神に深く訴えるものがあったのでしょう。一晩かかってトマスから捕鯨船の難破の果ての漂流と白鯨との闘いを聞き終えたメルヴィルは、新作小説のためのネタをノートにびっしりと仕入れ、ノートを大切にカバンにしまってトマスの宿を徹夜明けというのに軽い足取りで後にします。そのカバンを脇に下げて去って行くベン・ウィショーの後ろ姿がパディントンに見えてしまった私をお許しください・・・!!




サーズデー警部とティーケーキ

2016-01-18 21:08:00 | モース&ショーン・エヴァンズ
ENDEAVOUR0303が昨夜イギリスにて放送されました。
日本でもWOWOWさんであと2ヶ月くらいしたら見せてくれるので
ネタバレはしない方向です。

しかし、これは皆様に報告したくて・・・

ネタにもなりもしないので許してもらえます?

サーズデー警部のお茶にティーケーキがついていたのです。
はい、それだけです。


                   ↓


ティーケーキとは上の文章からリンク先をお読みいただけるとわかりますが、伝統的なイギリス(スコットランド)のお菓子ですが、日本では知名度もあまりないし輸入もされてない残念な状況。

ブラック・スキャンダル 感想

2016-01-16 23:27:00 | ベネディクト・カンバーバッチ


縁あってワーナー・ブラザース映画での試写会を見せていただけました。
会社の地下にある劇場は新しくてコンパクト、客席の傾斜もあり、最新の商業用の映画館と同じような見やすさでした。ありがたいことです。

さてこの映画はベネディクト・カンバーバッチが出演ということで知ったものの、アメリカ、ボストンのマフィアの実話らしい・・・ということだけ聞いて、特に予習もしていなかったので、そのマフィアが「アイルランド系」と知り、牧歌的と思ってたアイルランドってそんなに熱い血だったのか?!と義母のことを考えました。うむ、確かに手強い。

そういえば、ベネディクトが登場しているトレイラーにアイルランドのお祭り「セント・パトリック・デー」のパレードありましたものね。すっかり忘れていました^^;

ベネさんの役はマフィアのボスの弟でマサチューセッツ州上院議長つまり政治家。また偉い人w しかしこの映画はマフィアの暗黒の世界が舞台なので、ベネさんのシーンは癒しでもありました。

そう、ギャング映画なので、怖かったです。血が・・・!

怖いのは血だけでなく、ジョニー・デップのギャングのボズ、バルジャーの凄みと言ったら、特殊メークの効果もてきめん、台詞も仕草も恐ろしさで凍りそうなくらいでした。

ジョニデと言えばイケメンの代名詞ですが、私は東京のマダム・タッソーの入り口で鑞ジョニーに出迎えられてもスルーしたくらい、あまり興味がなかったんです。ところが、このはげ頭に蒼白な顔、ブルーの瞳のコンタクトレンズという本人とは一見わからない姿をスクリーンで見ると、イケメン要素がしみ出していました!やはりかっこよかったんだ!

それと、完全に期待してなかったバルジャー兄弟と幼なじみのFBI捜査官コノリー役のジョエル・エドガートンがよかったです。

通常私のブログでは、ナヨナヨした美青年を「よかったです」と言うのですが、コノリーは、下品で情は熱く、日本で言ったら寅さんみたいな味の男なんです。それなのに彼の演技がもう、うまくて、いい役者を見せてもらえた、と思いました。

ところで、ボストンというと私のイメージでは「ヨーロッパ風の美しく中流階級の住む保守的な都市」だったんです。まあ旅行に行った人の受け売りですけど、この映画見て、イタリアン・マフィアもアイリッシュ・マフィアもいるし、警察は腐ってるし、売春と薬にまみれている・・・おかしいな?と思いました。もしやバルジャーの時代だけがそうで、現代はきれいになったのか。それともどんなキレイな都市にも汚点は隠されているのか。

あとアイリッシュ・マフィアの世界。その歴史と現在を知りたくなりました。

一般公開が始まったら、もう1度見に行きたいです。が、怖いです・・・!


ボウイ

2016-01-15 10:44:00 | イギリス


DAVID BOWIEが1月10日に肝臓がんで亡くなった。
すぐには信じられなかった。
私にとってボウイはスターと言うよりアイコンだったから、
生身の人間だという実感がずっとなかった。

彼がジギー・スターダストとしてスターになった
70年代のグラム・ロック・シーンは
さすがに私もリアタイで経験できなかった。

意識したのはベルリン3部作あたりで、その頃私は
ニューウェイブで元気なイギリスの音楽シーン沼に落ちていた。
ボウイのその頃の曲は知的で芸術的だったけど少し退屈だった。

70年代も終わる頃、ボウイ初の主演映画「地球に落ちて来た男」を見た。
痩せて神秘的で美しいボウイは特殊メークなしでも人類に見えなかった。
映画で彼に恋した人間の女性(美人で華奢です)が、
たおれたトーマス(ボウイ)をお姫様だっこするシーンがあって、
彼女に自然にすごく感情移入してしまった。

以降、ボウイは私のアイコンになった。
そして初期のグラム・ロックに遡ってベルリン以前の曲を聞いた。
感じたのは、周囲のメジャーな流れにとけ込めない孤独だったと思う。

ところが、もう少し後になって、
よりによってニューウィブのおかげかロックもファッション化した。
80年代はじめに新宿のクラブ「ツバキハウス」の「ロンドンナイト」
で話したオシャレな男子がボウイを好きだと言うので
少し突っ込んで話したかったのに彼はボウイなんてほとんど知らなかった。

皮肉にもそのころボウイのヒット曲にも「ファッション」というのがあり
批判してたのは服装だけじゃなくて流れに従う態度みたいなものだったな。

その曲が含まれていたアルバムでボウイは過去のジギーとしての
スターを自ら葬ってしまい、個人的にはそれは寂しかった。




ボウイの訃報に、アイコンだったころの数曲が頭をめぐったけれども
亡くなったのはアイコンではなくひとりの人間なのだから
過去の曲を懐かしんで悲しみに耽るのは違う気がした。

そこで亡くなる2日前に発売された「BLACKSTAR」買って聞いた。

デジタルで買ったのでミュージックビデオもついてきたけど
見る前に聞いてよかった。
ボウイのヴィジュアルから入って音楽を好きになったのだけど、
初めて音楽を聞いて自分の頭の中に広がる世界の方がビデオよりよかった。

アイコンとしての自分を捨て去ったボウイだけども
新作からはそのアイコンも生身の人間ディヴィッドも感じられた。