日本語字幕つきのNTLive「ハムレット」を見ました。
ついにシェイクスピア英語の厚いカーテンが取り除かれたわけです!
字幕なしの先行上映の感想はコチラ →
去年の8月のバービカンプレビュー、11月の字幕なし上映としつこく追いました。遡ればこのハムレットを理解するために、日本語&英語で原作を読み、同じNTLiveのローリー・キニアの、BBCのディヴィッド・テナントの、V&Aアーカイヴのベン・ウィショーの映像を見て、シェイクスピア研究の文献なんかもちょっとかじってみました。
と言うのは、私にとっての初「ハムレット」ローリー・キニア版が「非常にわかりやすいモダンな演出と演技」という評判にもかかわらず、ハムレットという主人公のキャラクターに嫌悪を覚えて、
これが世界1有名な芝居の台詞「To be, or not to be, that is the question.」の出所なの?!
憂いの王子の正体ってこんな女性蔑視のうるさい男なの?!
という感想を抱いたので、ではなぜ世界の迷名作なのか、そこが知りたいと思ったからでした。
果たして、(途中眠って見逃しはあるものの)字幕ありで見てこれまでの私のハムレット観は・・・・
まず、「やっぱりひどい男だよ!恋人に邪険だし、母親に対してもずけずけと再婚を責めて!」と再確認したました。字幕で日本語読むとさらにそれが強調されました。
そしてベネディクト・カンバーバッチのハムレットのすっとぼけた笑いをとるキャラは、やはり実はあまり好きじゃない。現代版ハムレットの衣装も実はあまり似合ってると思えない。このふたつはミック・ジャガーなどの天性の不良さや素性の悪さがないと似合わない。
しかしですね、
ハムレットの世界でのデンマークの国際情勢、国家権力と体制の腐敗への批判、当時の人としての生き方の理想、ヘラクレス(ハーキュリー)と自分の比較、王子として世直しを父の亡霊に命令された負担、おまけに演劇の存在意義まで・・・
本で読んで知ってはいたけど、俳優達の演技と同時に正確にわかったおかげで、「ハムレット」はシェイクスピアが世間にいろいろ言いたいことがあったものを散りばめた作品で(これに限らないけど)、ハムレットというキャラクターはその歯車のひとつだったんだな~~と初めて意識しました。
そういう台詞は、ハムレットと母、オフィーリアなどの会話に比べて退屈で、本でも斜め読みだったし舞台での台詞も聞き逃していたのです。
母王妃の再婚をさんざん責めたのも、当時「情欲(セックス)」というものが他の世俗の悪「裏切り」とか「賭博」「泥酔」・・・あと何だったか思い出せないけど、とにかく現代の私達にも「悪人の行い」と思えるものと並ぶものだったのが台詞に出て来てました。今なら性欲は食欲や睡眠と同じ自然なものとの認識がありますが、昔キリスト教の世界では神が禁じた汚いものだったようで、それで母に向かって悪事を改めるように正座で詰め寄って説いていたわけですね~ 劇中何回も「神様!」って叫んでますしね~。女の悪事の制裁、世直しの一環だったんだ!今じゃ共感しようがないなあ。
と言うわけで、私は今まで主人公ハムレット王子しか目に入ってなかったのですが、父の幽霊に呪われ復讐を課され、時代の歯車に巻き込まれた悲劇の王子って客観的に見たら、私がもうひとつハムレットの嫌いだった点「いい大人の男が叫び続ける」ことも、可哀想な男がもがいてる図として納得しました。
ところで父ハムレット役のカール・ジョンソンさん、墓堀り職人の方がぴったりすぎ!亡霊役はあんまり怖くなかったわ~
ハムレットが海賊に襲われる、というエピソードも当時のエリザベス時代のイギリスが海軍国=海賊の時代だったことを物語ってますね。イギリスは海賊=泥棒で国力をつけて行った国。
シャイクスピアは女王にも気に入られて売れっ子劇作家だったからこそ、当時の権力に嫌な目にもあい、外国のロイヤルファミリーや権力者を出してこっそり批判したのかな、と私にでもわかるんだから、これをロイヤル・ファミリーはどう思ったのでしょうかね!ハムレットの劇中劇は英王家をも意識した自虐的なネタにも見えるわ・・・
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