観劇目的の旅の初心者としての反省点があります。
今回ハムレットは2回、バッカイは3回観たのですが、日程を近いところに入れてしまったのです。それは、ロンドンの予定はなるべく短期にまとめておけばスコットランドとコツウォルズへの旅を入れやすいと思ったのでした。
しかし演技が日に日に変化するものなら、同じものを日程あけて複数回観た方がよりその違いを楽しめたかなあ・・・と。あと、これ重要なんですけど、ロンドン着いて1週間目に(バレエを除き)初めての舞台のバッカイ、最後のバッカイはそこから約1週間後で、脚本を買って眺めたのもあるけど、その1週間の差で台詞の理解度が上がっていました。まあ、単純に3回目の方が1回目よりよくわかる、というだけの話かも知れないんですけど・・・英語には最初の数日慣れなかったもので。
アルメイダ・シアターのホワイエ
左にカフェ&バー、右に劇場
ギリシア悲劇特集の特別メニュー「バッカイ」
チーズとザクロにクラッカーとパン、チャツネーの盛り合わせ
幕はないので上演前はこんな感じ
さて本題に入りましょう。
「バッカイ」とは3大古代ギリシア悲劇作家エウリピデスの最後の作品ですので、ハムレットの400年よりももっともっと遡って2500年くらい前の作品ですが、今上演中のものはAnne Caesonによるa new versionです。
主な登場人物
ディオニューソス(ゼウスの息子/バッカス、ダイモンなどとも呼ばれる)
ペンテウス(テーバイの王/カドモスの孫)
カドモス(テーバイの建国者/ディオニューソス&ペンテウスの祖父)
バッカイ(コーラスの女声グループ)
それ以外の出番が少ない役が上記3人の役者によって演じられるのは
古代ギリシア悲劇の形式を踏襲しています。
まずキャスティングが素晴らしかったです。
ゼウスの息子にウィショー。しかもこの神の人間界での姿は、「長髪の巻き毛で色白で女にモテそうじゃないか」とペンテウスの台詞にあるんですよ~
彼と敵対するペンテウスは人間ですが、一国の王。権力を持った男を演じるバーティ・カーヴェルはギリシア彫刻の美青年そのものの容姿です。古代ギリシアではオリンピックが生まれたことでもわかるようにマッチョな男が理想型でした。バーティーさんではスリムすぎるくらいですが、ベンくんが並べばマッチョに見えます。
カドモス役のケヴィン・ハーヴィーもとても上手く、本当にベテランの年配の俳優かと思ったら、バッカイ・プレスナイトのパーティー写真見たら他の2人と同世代の青年でした。3つの役のうちカドモス役に肌の色の違う役者さんを当てることにより、残り2つの役が共通項により浮き出て相反する存在がはっきり見える構図になったと思います。
物語は単純で、神話の神様が人間に接する近い存在だった(ゼウスが人間の女に子供を産ませるくらいですから!)古代ギリシアにおいて、高い文明を築いた人間が神を神とも思わなかった罪により罰せられる、しかも当時の神を鎮める手段であった動物を生け贄として捧げる儀式に倣い、神に憑かれた女が動物の生け贄と同じに息子を生きたまま四肢を引き裂くという残酷なやり方で愚かさを思い知らされるのです。
こんなあり得そうもない生臭い怖い話ですが、そこはウィショー神の怪しい説得力で、神に狂った女達をどうせセックスが目的なのだとバカにする理性的な男から、そのセックスに耽る女の集団の姿を見たくないか?バレないように女の姿で近寄ろう、という提案で、女装して女を覗きに行くいやらしい男に変えてしまうので、クライマックスは喜劇ですらあるのです。
理性的な男にそんな無理な豹変をさせるには、人間を超えてると思わせる存在感がデォニューソスに必要です。そんな役にベン・ウィショー以外に誰が適役か思いつきましょうか?????
舞台の床は本来観客席と同じ高さですが、この舞台用に正方形の高さ80cmくらいのステージが中央に設置され、そのまわりに木々のような山脈のようななだらかな凸凹の丘が3方を囲んでいます。舞台に役者さんが出入りするには、その凸凹を越えなくてはならないせいか、ディオニューソスは袖のないロングドレスのような衣装で早く動く時、両手で裾を持ち上げるので神の御御足が人間界に露出されておりました・・・嬉しい恐れ多い・・・。
リシア悲劇と言えばドレープの羽衣にサンダルと言ったロマンティックな衣装で、そのままでも十分じゃないの!別にモダン版を作らなくても・・・と思うのですが、今回、古典に現代衣装を持ち込む意味をこの「バッカイ」にて知りました。
はっきりと現代の衣装を着るのはペンテウス。現代のお金持ち/権力者そのもののパリッとしたスーツ姿です。立ち姿や話し方でもわかりますけど服は記号なのでよりわかりやすいのです。
それからデォニューソスは、彼を崇めないペンテウスとその国の人間を戒めるために人間の形をしてやって来るので、それを強調する登場時の姿は白いTシャツにちょっと落ちかかったジーンズ。その格好でHow do I look? Convincingly human?(どう見える?人間らしいかな?)というモノローグがあるのですが、動きでシャツがめくれ上がって腹部が見える様子は神々しかったです・・・いいですか?ジーンズは落ちかかってるんです・・・
バッカイは、現代の服の上に古代ギリシア風の衣装を着ていました。バッカイは国の女に加えて外国からディオニューソスの旅について来た女もいるので、そのことが女優さん達の人種の多様さでも表現され、それがアフリカ系の人の民族衣装などで強調されたと思います。
そのバッカイは古代ギリシャ悲劇の様式のひとつであるコーラスを受け持っています。それがまたディオニューソスに憑かれた集団を表すのにぴったりでした。そしてまた、他の3人の俳優は2つから3つの役をこなすので、着替えの時間を無理なく作れる形式です。
古代ギリシア悲劇の知識ゼロの状態で原作を日本語訳で読んで臨みましたが、やたらに古代っぽさ韻文ぽさの日本語文体に比べて、とても表情の豊かな、わかりやすく躍動感あふれる舞台でした。
始まりからしてこうでしたから ー
Here I am.
Dionysos.
I am
son of Zeus, .......
上の写真は、外からホワイエをガラスのドアごしに見たところ。
このただの劇場の出入り口から誰もが出入りするので、入出待ちはここという小さな劇場のありがたさです。そのありがたみに与ったウィショーさんとの遭遇編は次回♡
今回ハムレットは2回、バッカイは3回観たのですが、日程を近いところに入れてしまったのです。それは、ロンドンの予定はなるべく短期にまとめておけばスコットランドとコツウォルズへの旅を入れやすいと思ったのでした。
しかし演技が日に日に変化するものなら、同じものを日程あけて複数回観た方がよりその違いを楽しめたかなあ・・・と。あと、これ重要なんですけど、ロンドン着いて1週間目に(バレエを除き)初めての舞台のバッカイ、最後のバッカイはそこから約1週間後で、脚本を買って眺めたのもあるけど、その1週間の差で台詞の理解度が上がっていました。まあ、単純に3回目の方が1回目よりよくわかる、というだけの話かも知れないんですけど・・・英語には最初の数日慣れなかったもので。
アルメイダ・シアターのホワイエ
左にカフェ&バー、右に劇場
ギリシア悲劇特集の特別メニュー「バッカイ」
チーズとザクロにクラッカーとパン、チャツネーの盛り合わせ
幕はないので上演前はこんな感じ
さて本題に入りましょう。
「バッカイ」とは3大古代ギリシア悲劇作家エウリピデスの最後の作品ですので、ハムレットの400年よりももっともっと遡って2500年くらい前の作品ですが、今上演中のものはAnne Caesonによるa new versionです。
主な登場人物
ディオニューソス(ゼウスの息子/バッカス、ダイモンなどとも呼ばれる)
ペンテウス(テーバイの王/カドモスの孫)
カドモス(テーバイの建国者/ディオニューソス&ペンテウスの祖父)
バッカイ(コーラスの女声グループ)
それ以外の出番が少ない役が上記3人の役者によって演じられるのは
古代ギリシア悲劇の形式を踏襲しています。
まずキャスティングが素晴らしかったです。
ゼウスの息子にウィショー。しかもこの神の人間界での姿は、「長髪の巻き毛で色白で女にモテそうじゃないか」とペンテウスの台詞にあるんですよ~
彼と敵対するペンテウスは人間ですが、一国の王。権力を持った男を演じるバーティ・カーヴェルはギリシア彫刻の美青年そのものの容姿です。古代ギリシアではオリンピックが生まれたことでもわかるようにマッチョな男が理想型でした。バーティーさんではスリムすぎるくらいですが、ベンくんが並べばマッチョに見えます。
カドモス役のケヴィン・ハーヴィーもとても上手く、本当にベテランの年配の俳優かと思ったら、バッカイ・プレスナイトのパーティー写真見たら他の2人と同世代の青年でした。3つの役のうちカドモス役に肌の色の違う役者さんを当てることにより、残り2つの役が共通項により浮き出て相反する存在がはっきり見える構図になったと思います。
物語は単純で、神話の神様が人間に接する近い存在だった(ゼウスが人間の女に子供を産ませるくらいですから!)古代ギリシアにおいて、高い文明を築いた人間が神を神とも思わなかった罪により罰せられる、しかも当時の神を鎮める手段であった動物を生け贄として捧げる儀式に倣い、神に憑かれた女が動物の生け贄と同じに息子を生きたまま四肢を引き裂くという残酷なやり方で愚かさを思い知らされるのです。
こんなあり得そうもない生臭い怖い話ですが、そこはウィショー神の怪しい説得力で、神に狂った女達をどうせセックスが目的なのだとバカにする理性的な男から、そのセックスに耽る女の集団の姿を見たくないか?バレないように女の姿で近寄ろう、という提案で、女装して女を覗きに行くいやらしい男に変えてしまうので、クライマックスは喜劇ですらあるのです。
理性的な男にそんな無理な豹変をさせるには、人間を超えてると思わせる存在感がデォニューソスに必要です。そんな役にベン・ウィショー以外に誰が適役か思いつきましょうか?????
舞台の床は本来観客席と同じ高さですが、この舞台用に正方形の高さ80cmくらいのステージが中央に設置され、そのまわりに木々のような山脈のようななだらかな凸凹の丘が3方を囲んでいます。舞台に役者さんが出入りするには、その凸凹を越えなくてはならないせいか、ディオニューソスは袖のないロングドレスのような衣装で早く動く時、両手で裾を持ち上げるので神の御御足が人間界に露出されておりました・・・嬉しい恐れ多い・・・。
リシア悲劇と言えばドレープの羽衣にサンダルと言ったロマンティックな衣装で、そのままでも十分じゃないの!別にモダン版を作らなくても・・・と思うのですが、今回、古典に現代衣装を持ち込む意味をこの「バッカイ」にて知りました。
はっきりと現代の衣装を着るのはペンテウス。現代のお金持ち/権力者そのもののパリッとしたスーツ姿です。立ち姿や話し方でもわかりますけど服は記号なのでよりわかりやすいのです。
それからデォニューソスは、彼を崇めないペンテウスとその国の人間を戒めるために人間の形をしてやって来るので、それを強調する登場時の姿は白いTシャツにちょっと落ちかかったジーンズ。その格好でHow do I look? Convincingly human?(どう見える?人間らしいかな?)というモノローグがあるのですが、動きでシャツがめくれ上がって腹部が見える様子は神々しかったです・・・いいですか?ジーンズは落ちかかってるんです・・・
バッカイは、現代の服の上に古代ギリシア風の衣装を着ていました。バッカイは国の女に加えて外国からディオニューソスの旅について来た女もいるので、そのことが女優さん達の人種の多様さでも表現され、それがアフリカ系の人の民族衣装などで強調されたと思います。
そのバッカイは古代ギリシャ悲劇の様式のひとつであるコーラスを受け持っています。それがまたディオニューソスに憑かれた集団を表すのにぴったりでした。そしてまた、他の3人の俳優は2つから3つの役をこなすので、着替えの時間を無理なく作れる形式です。
古代ギリシア悲劇の知識ゼロの状態で原作を日本語訳で読んで臨みましたが、やたらに古代っぽさ韻文ぽさの日本語文体に比べて、とても表情の豊かな、わかりやすく躍動感あふれる舞台でした。
始まりからしてこうでしたから ー
Here I am.
Dionysos.
I am
son of Zeus, .......
上の写真は、外からホワイエをガラスのドアごしに見たところ。
このただの劇場の出入り口から誰もが出入りするので、入出待ちはここという小さな劇場のありがたさです。そのありがたみに与ったウィショーさんとの遭遇編は次回♡
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